皆、名前で呼ばれたい
「三日月だ、三日月」
「ぅ、う゛ぃ〜・・・?」
「“み”、“み”だぞ、べによ」
「う゛ぃ〜・・・」
「み」
「う゛ぃ?」
「三日月だ」
「ぅ゛い〜あーば」
「うん?なにやら遠ざかったような・・・」
「たーい!」
非番組刀剣達が集まる部屋の中央で、べにと三日月が延々と奇妙なやり取りをしている。
薬研が本のページをめくる音や燭台切が食器を動かす音、加州が刀装を磨く音・・・、と静かな部屋の中で、もはやBGMのように耳に入ってきていたそれ。
加州が部屋に入ったときからずっと続いていて、まぁ遊んでいるんだろう、と放って作業を始めたが・・・さすがに、四半刻近くずっとそれを繰り返されては、気にしないわけにはいかなかった。
「ねえ・・・あれは何をやってんの?」
「どうやら名前を呼ばせたいらしいよ」
耐え切れず加州よりも先に部屋にいた燭台切にこっそりと伺えば、えんどうのスジとりをしていた本丸の食事当番は苦笑しながらそう答える。
横目でボウルの中を見てまだ残っていることを確認すると、加州は「・・・ふーん?」と気のない返事をしながらひょいとえんどうを摘み上げた。
「ありがとう」
「別に」
ぷち、とスジをとりながら、ぼんやりとべにと三日月を視界に入れる。
べにを抱き上げているとき、その視線が口に集中していることに気付いたのは割りと最近だ。
試しにはっきりゆっくりと口を動かせば、まねるようにモグモグと動く口。
まだまだ正確性には程遠いけどね、と思いながらも、「“み”」の言葉に応えるように「ぅ゛い」と言っている姿を見れば、ちょっとひっかかるところはあるもので。
何度も何度も飽きもせず「“み”」と繰り返す三日月を、その腕に抱かれて三日月だけを目に映すべにを見て。
ぷち。
加州は手にしていたえんどうのスジを取って分けると、ゆらりと立ち上がって二人に近付いた。
燭台切も、加州の背中を見て苦笑はするものの、止めはしない。
加州は、初期刀。
燭台切は、初めて鍛刀した刀。
二振りとも、初期から居た刀だという、矜持はちゃんとあるのだ。
「ねぇ、べに」
「う?」
「俺、加州清光ね。加州、清光」
きょとんと加州を見上げるべにに、もう一度「かしゅう、きよみつ」と繰り返す。
さっきまで三日月しか映していなかった瞳が今は自分の口に集中している。
それだけでどこか胸が埋まったような気がして、加州は自分の口が弧を描くのを感じた。
「あ〜・・・?」
「うーん。“か”でもいいけど、それだと歌仙とかぶるしなぁ」
コテンと首をかしげるべにと視線を合わせるようにしゃがみこんで、べにの目の前に顔を突き出す。
まん丸の目に自分の姿が映って、まるで瞳を独占したような気分になった。
―――悪くない。
またにまりと上がりそうになる頬をきゅっと引き締めて、うっすらと歯を見せる。
舌の奥を上顎につけて、音を吐き出した。
「“き”だよ、“き”」
「いぃ・・・い・・・・・・きぃ〜・・・?」
「そう!きよみつの、き」
「きぃー!」
「よくできましたー!」
「きゃーっ♪」
上手に言えたご褒美に、と、脇に手を差し入れて思い切り抱き上げる。
急激に変わった視界に驚くどころか喜びの悲鳴を上げるべにに耐え切れず頬ずりすれば、足元で顔を伏せてぷるぷると震えていた三日月ががばりと勢いよく顔を上げた。
「・・・何故お主はそんなにあっさりと呼ばれるのだ!俺はこんなに教えているのに!」
「じいさんの“み”は難しいんじゃない?」
「ぬぅ・・・?」
納得したのかしていないのか、口元を隠して首を傾げる三日月。
正直なところ“き”も“み”も似たような音の気がするけれど、人の身を得て一番日が浅い三日月には違いがわからないようだった。
当然のように使えるものは、改めて使い方を聞かれるとわからなくなるものだ。
「じゃあ僕は?・・・って、“燭台切光忠”じゃあ、どっちも無理があるか・・・」
えんどうがひと段落ついたのか、燭台切が声をかけてくる。
本人の言うように“しょ”も、今正に難儀している“み”も、べにには難しそうだ。
けれどそんな燭台切の心配は、どうやら杞憂に終わるようだった。
「あー!まーま!」
「・・・え?」
「ぷっ」
「まーま!まーぁっま!んーっま、まままま」
燭台切を見た瞬間、唐突に始まった“ま”コール。
場の空気が音を立てて固まる中、ただ一人、加州だけが顔を隠して肩を震わせている。
それまで部屋の隅で静かに本を読んでいた薬研が、黙り込んでしまった刀剣達を見かねたのか、本から顔を上げて声をかけた。
「どうも、“ママ”と言ってるみたいだな」
「・・・僕、そんなこと教えた覚えないんだけど」
「まー?」
「ほら、ママがご飯作ってくれるからねー」
「たーい!」
「君の仕業か!」
「何、不満?」
「ありがとう!」
「まーま?」とこてんと首を傾げられて、否定できる者がいるなら教えてほしい。
どや顔をしてみせる加州はどうやらかなり前から燭台切のことを“ママ”と刷り込んできたらしく、べにの中にかなり定着しているようだ。
それはそれで名誉なことじゃねえか、と頬の緩んでいる燭台切を見て少し考えた薬研は、パタンと本を閉じて腰を上げた。
向かうは勿論、べにの下へ。
「どれ、べに。俺っちのことはどう呼んでくれる?」
「うー?」
「俺っちは薬研藤四郎。藤四郎兄弟は全員銘が同じだから、まぁ、薬研だな。や・げ・ん」
「ん?」
「そっちか」
思わぬ音を拾われて、思わず苦笑する。
軌道修正するなら今のうちだな、と加州の腕の中のべにに顔を近付けて、はっきりと口を動かした。
「やげん、だ」
「やー・・・ん?」
「っ・・・!」
「そう、やげん。俺っちは薬研藤四郎だ。これからは名前で呼んでくれよ?」
「やーん!」
「おう、べに」
何人かが手で顔を覆って悶絶しているのは、見ないほうが得策だろうか。
ひらりひらりと部屋の中に桜が舞い始めて、現金だな、と思いながらも自身からも力が溢れてくるのを感じる。
やはり、主に名を呼ばれるということは、格別。
たとえそれが正しい音でなくても、“己”を意識した音であるというだけで、かなり変わってくるものだ。
・・・ただ一振り、その音すら上手くできない者が畳みに爪を立てんばかりの落ち込みっぷりだったが。
「・・・・・・ずるい、ずるいぞ・・・皆、呼びやすい方法を上手いこと選びおって・・・」
しくしく、ずーん。気のせいか、しょんぼり顔のマークが頭についているようにさえ見える。
わかりやすく落ち込んだ三日月を見かねて、加州はやれやれとため息をついた。
「だったらじいさんも呼びやすい呼び方にすればいいんじゃない?じいじとか」
「何・・・?・・・それなら、べにに呼んでもらえるのか・・・?」
「ま、やってみれば?」
提案したわりに投げやりな加州の態度に眉をはの字にするものの、他に名案があるわけでもない。
縮こまって落ち込んでいた三日月はのそのそと起き上がると、べにの顔を覗き込むように腰を屈めた。
「・・・べによ。俺は、じいじだ」
「・・・うぅ?ぅう゛ぃ〜・・・」
「ぅうむ・・・じ・い・じ・だ。“じ”。繰り返してみよ」
「ち・・・ち・・・」
「じ」
「し・・・?しぃー・・・」
「・・・じいじ」
「ち・・・しぃ・・・じ・・・」
「・・・!そう、じいじだ!じいじ!」
難攻を極めるかと思われたやり取りは、ふとした瞬間にその扉を開ける。
「・・・じぃじ?」
「・・・!なんだ、べによ?じいじはここだぞ?」
「うわ、花びらが・・・」
ぶわっ、と舞い散った桜の花びらに思わず顔をしかめても、当の原因はどこ吹く風。
それどころか先ほどまでと打って変わって背を正し、ゆるりと腕を広げてみせる姿にはどこか余裕すら伺えた。
「はっはっは、ほら、べに。じいじのところに来い」
「じぃじ?」
「そう、じいじだ」
「じぃじ!」
「はっはっは。よきかなよきかな」
自重する気配のない花びらはいっそすがすがしいほどに視界を埋める。
その向こうにこの本丸に来て一番のとろけるような笑顔が見え隠れして、まぁ、たまには許してやるかと重みのなくなった腕を下ろした。
「・・・あれでいいのかな?」
「まぁ、本人嬉しそうだし、いいんじゃない?」
「きぃ!」
「・・・ん?」
「呼んだ?べに」
「あー!じぃじ!」
「・・・ちっがーう!!俺は清光!!適当に呼ばないでよべに!!」
覚えたはいいものの、それが誰なのか一致するまでは、もうしばらく掛かりそうだった。
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