燭台切光忠は料理好き


くつくつ、コトコト。
穏やかな音がいい香りとともに広がる厨の中で、手際よく動き回る男が一人。
火にかかっている鍋のひとつを開ければ、そこには鍋の大きさに不釣合いな魚の切り身がひとつ、コトコトと薄い色の汁に煮られていた。
その汁を味見皿に移し、軽く息を吹きかけて冷ますとず、とすする。


「―――うん、いい味」


決して粉ミルクの味ではないけれど、通常人が食べる味付けにしては薄いそれ。
満足、といわんばかりの笑みを湛えた男―――燭台切は、味見皿を置くとフライ返しを使って切り身を皿に移した。
箸で軽くつつけば柔らかく崩れるそれにうろこや骨がまぎれていないか丁寧に確認すると、返すその手でまだ火の通っていない魚の切り身を煮汁に入れ、しょうゆを加えて味を見る。
唇についた煮汁をぺろりと舐め取ると、先ほどまでとうって変わって魚の切り身で満たされた鍋に蓋をして、さらに隣の鍋の蓋を開けた。
今度は小さなそれに見合った、ほんの少量の粥。
端を掬って固さを見、またひとつ頷くとそれも小鉢に優しく移す。
次は、あれは、と頭の中で手順をなぞりながら手際よく小さな品と、合わせて大人数用の食事を作っていく燭台切。
換気用に開けてある窓には庭の風景が入っていて、遠征を終えた短刀たちの楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
その中でもひときわ小さな「虎くん、待ってぇ・・・!」という声を耳に入れた燭台切は、手を動かしながらも庭の情景を思い浮かべてクスリと笑った。

今は丁度昼時。
食事時には一度全員で集まるようにしているが、太刀・打刀連中が午前と午後に一度ずつ出陣する一方、近場への遠征を一日に何度も行ってくれる短刀たちのおかげで、この本丸にも資材が充実してきた。
一緒に見つけてくる手伝い札も節約していれば溜まるもので、今ならたとえ三日月が重傷になったとしても大きな問題にはならないだろう。
勿論、ならないに越したことはないのだけれど。
今度また、余裕を見て鍛刀しないか聞いてみようか、とそろそろ入ってくるであろう彼らのことを思い浮かべてスピードアップする燭台切のその後ろ・・・少し離れた日当たりのいい場所では、べにがちょうどお昼寝から目を覚ましたところだった。
漂ってくるいい香りに釣られたのか、もはや当然のように寝返りを打つと、肘を支えにして頭を持ち上げる。
そうして見えた背中に、べには迷うことなく声を出した。


「・・・あー、ま、ままま・・・」

「ん?あれ、おはよう。起きちゃった?」


べにの声に振り返った燭台切は、一度火を止めると一生懸命こちらを見上げるべにに近付いてひょい、と抱き上げる。
そのまま目は届き、火は決して届かないところにべにを降ろすと、周囲にクッションをひいてから「もうちょっと待っててね」と頭を一撫でした。
おすわりが安定してきた今日この頃、こうして一人で座らせておくこともできるようになったのだ。
それでも全く心配がないわけではないから、安全策は取っておくのだけど。


「今、美味しいものを作ってあげるからね」

「あい!」

「うん、いいお返事だ」


微笑ましい返事に目を細めながら、作りかけの離乳食に再び取り掛かる。
誰がなんと言おうと、べにが離乳食を食べられるようになって一番喜んだのは燭台切だ。
まだ乳しか飲めない頃から紺野にレシピをせがんで、渋い顔をされながらも“赤ちゃんとお母さんのための離乳食レシピ集”なるものを手に入れたのは、もう随分前のこと。
周りから「まだ早い」と言われつつもレシピを覚えるまで読み込んだ燭台切に、べにが一口食べたときからの隙はなかった。
べにが初めて離乳食を食べたとき、感極まった燭台切が泣いたことは・・・まぁ、置いておくとして。
今思い出してもあれは格好悪かったよな・・・と何度目かの後悔をしながら、出来上がった離乳食を膳に乗せていく。
今日のメニューは、お粥に、カレイの煮付け、豆腐の味噌汁。
刀剣たちはこれに菜っ葉の煮浸しもつくという、純和風の献立だ。
さて、今日は何口いけるかな?と振り返れば、いつのまにやらべにがクッションにがじがじと噛み付いていた。


「おっと、それはあんまり綺麗じゃないから、口に入れたら駄目だよ」

「あー!」


そう言いながらクッションを優しく取り上げ、代わりにと懐に入っていた円形の少し柔らかい玩具を差し出す。
上機嫌で受け取って素早く口に運ばれたそれは、少し前に歌仙が紺野に要求したものだ。
机に膳を置き、温度の最終確認をしながらそのときのことを思い出す。



『紺野、べにがそのあたりにあるものを口に運ぶことが多くなったんだ。口に入れてもいい玩具がほしいのだけれど、何かいいものはあるかい?』

『・・・支給品は基本的に必要最低限のものに抑えてもらいたい。清潔であれば問題ないのだろう』

『そうは言っても、身の回りにあるものすべてを清潔に保つなんて不可能だよ。べにが何かを口に入れたら代わりに差し出せるものがあるといいのだけれど』

『・・・“歯がため”という玩具があるらしいが、木製のものも多い。庭に生えている木で作れないのか』

『君は虫が入っていないとも限らないものをべにの口に入れさせろというのか!?それに、僕たちは職人じゃないし、木の材質だって何でもいいわけじゃないんだ。間違って木屑を食べてしまったらどうする!口の中や喉に刺さったらどうする!?そもそも・・・!』



・・・あのときの歌仙の勢いはすごかった。
紺野に逃げる(通信を切る)隙も与えず怒涛の勢いで噛むための玩具の重要性を説き続ける歌仙に、誰が静止をかけることができようか。
終わる頃にはすっかり耳が垂れていた紺野に思わず同情してしまったのは、燭台切だけではないだろう。
「何故こいつに育児書を渡してしまったんだ・・・」となにやら後悔しているようだったけれど、思いっきり熟読しているらしい歌仙には後の祭り。
どこぞの教育ママのようにべにの成長をきっちりと記録している歌仙を見て、加州に「鬼に金棒を与えてしまったようなものだね、」と笑ったら、なんとも微妙な顔をされてしまったけれど。
・・・まぁ、こと食事に関しては歌仙より詳しい自信、あるけどね。

その日ぐったりとして帰った紺野はしばらく顔を出さなかったけれど、しばらくしてこんのすけが「お届けものです!」と持ってきた大きな箱の中には“歯がため”と書いてあるカラフルなリングがひっそりと収まっていた。
いくつもセットになっているそれは結局全員色違いでひとつずつ持つことになって、今ではそれぞれがべに御用達だ。


「・・・ん?」


他の皆の食事も準備しないとね、と立ち上がろうとして、てし、と足の上に小さな重みを感じる。
そちらに視線を落とせば、キラキラとした目で見上げてくるべにと目が合って、思わず頬がだらしないくらい緩むのを感じた。


「珍しいね、おなかが空いたかい?」

「うー、ま、ままま」

「うーん、もうすぐ皆も来ると思うけど・・・」


ちら、と障子に視線を移しても、まだ誰の影も入ってくる気配はない。
これは、待たせると長くなるかもな・・・と思案をめぐらせたけれど、それもそう長くはなく。


「・・・まぁ、せっかく食べたいと思ってくれてるんだしね」


内緒だよ?と唇に人差し指を当てて微笑む。
結局、丹精込めて食事を作った身としては、“食べたい”と思ってくれるだけで誉れに等しい喜びなのだ。
これじゃあ“食べたい”なのか“食べさせたい”なのかわからないな、と苦笑しながらも、平たい形をした小さな匙に粥を乗せる。
期待のこもった目で見上げる姿に胸を打ち抜かれつつ、その小さな口に匙を差し出した。


「はい、あーん」

「あー」


かぱ、と大きく開けられた口。
そこに何の気なしに匙を差し入れて、ふと何か、違和感を覚えた。


「・・・ん?」


口に入れたものの上手く取り込めず、少し戻ってくる粥をほぼ無意識のうちに匙で掬い取りながら、先ほど見えた光景をもう一度頭の中で繰り返す。
今・・・何か、見えたような。


「も、もう一口どうかな?」

「あー!」


見たものがいまいち信じられず、誤魔化すようにへらりと笑ってみせればばしばしと嬉しそうに床を叩くべに。
高鳴る心臓を感じながらほんの少し粥を掬い、注意深く目を凝らしつつ匙を差し出す。
あー、と、大きく開けられる口。
その中に覗く、赤い舌。

そして、白い、


「っ・・・か、加州ー!今夜はお赤飯だよー!!!!!」

「たーい!」


喜びか驚きかわからない燭台切の大声に、口の周りを汚したべにが合わせるように笑う。
その口の中、柔らかい米粒に混じってひとつ。
小さくも固い、白い歯が、ぽちりと顔を出していた。


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