大倶利伽羅は静かに耳を傾ける


「内緒だよ?」


顕現した大倶利伽羅がその違和感に気付くのに、そう時間はかからなかった。
同じ時代、同じ主に仕えていた身とはいえ、人の身をとって言葉を交わしたわけでもない。
ただ漠然と、アイツか、と思ったくらいで、燭台切がこんなおしゃべりな奴だとは思わなかったし、ましてや刀としても初めて顔を合わせた加州の性格など、知る由もなかった。
だが、それでも。
二人のやり取りを見ていて、感じるのはただひとつ。
―――ぎこちない。


「いやぁ、さすがに酒瓶一本分じゃあね。皆を誘うには足りないし、かといって人を選ぶのも悪いだろ?だったらいっそ、二人で空けちゃったほうがいいだろうしね」


遠征で手に入れた酒を掲げて、しー、と悪戯な笑みを浮かべる燭台切。
言い訳のように理由を連ねる姿は、普段あれだけ求める“格好良い”からは程遠い。
本人もそれをわかっているのか、それとも。
そそくさと縁側に腰を下ろして、夕飯を作る片手間に用意したつまみをコトリコトリと並べていく。
「さ、くりちゃんも、」と猪口に酒を注がれ、申し訳なさそうな目に見上げられ。
…無視してもよかったが…フン、と鼻から少し息を吐いて、つまみを挟んだ反対側にドカリと腰を下ろした。
嬉しそうな笑みは黙殺して、並々と注がれたそれを手に取る。
ゆらりと揺らいだ小さな水面に、歪んだ月がまぶしく映った。


「前は酒なんてほとんど知らなかったんだけど・・・最近、ようやくべにちゃんも夜しっかり眠るようになってね。僕が来たばかりのころはほんと、一刻置きには泣いちゃってたんだよ?今じゃ信じられないよね。でもその分昼間たっぷり遊ぶから僕たちもへとへとになっちゃって、こうして晩酌を楽しむ余裕もなかったんだ。…順番に、息抜きをしていくのもいいかもね。僕らは抜け駆けしちゃったから、回ってくるのはまたしばらく後になりそうだけど」


ぺらぺらとよく口の回る燭台切の話を耳に受けながら、ゆっくりと猪口を傾ける。
…悪くない酒だ。
少し甘いそれを舌の上で転がして、ゆっくりと飲み下す。
通ったところからカッと熱くなるそれにはぁ、と熱い息を吐いて、口の中に残る風味を純粋に楽しんだ。
刀剣にとっては食事ですら嗜好品である中で、こういったモノは主への手土産となることが多い。
全くの無表情で(狐の表情など分かりはしないが声に感情がなかった)「紺野という。政府の者だ」と大倶利伽羅よりも無愛想な挨拶をしてみせた男(狐)が「酒が手に入るなどという報告は聞いたことがない」と少し驚いたような声を出していたことからして、おおかたどこの本丸もうまいこと着服しているのだろう。
ただこの本丸では、それはありえない事だが。


「そういえば、今日はべにちゃん、僕の打ったうどんを10口も食べてくれたんだよ。嬉しいなぁ、やっぱり小麦から作った甲斐があったのかな?あの子が離乳食としてうどんやパンを食べると知ったときから育てておいたんだよね」


“離乳食”
意味こそ理解はできるが、まさか使うとは思ってもみなかった言葉の一つ。
意識してか、無意識か。燭台切が話すことのほとんどはべにのことで、それは今回の主のこと。
今回の主…ようやく離乳食を食べるようになった、まだ一歳にもなっていない―――赤子。

…何故、赤子を戦に関わらせなければならないんだ。

顕現してすぐ、本丸の説明を聞かされて「何か質問はある?」と聞かれたとき、まだ上手く形にすることができなかったその言葉。
もやもやとした言葉になりきれないそれが、喉の辺りで引っかかってうずくような感覚になったのもまだ記憶に新しい。
だがそのときも今も、その“もやもや”を言葉にして舌に乗せたところで、納得できる答えが返ってくることはないだろう。
それでも実際自分たちを顕現したのがあの赤子である限り、赤子も戦と無関係ではいられない。
思わず渋い顔をすると、燭台切はひとつ笑ってようやくその手にある猪口を傾けた。
燭台切が黙ったことで、静かな夜の帖がそっと虫の声を連れてくる。
静かに騒がしい風が届く中、その端正な横顔を横目で盗み見れば伏せた瞼がぴくりと震えたのがわかった。
―――あぁ、コイツには少し、甘すぎる味かもしれないな。


「…美味しい、けど、思ったより甘いね。これなら…加州君が、好みだったかな」


言葉の間の、ほんの少しの“間”。
味が好みではなかったことで下がったと、思ってもおかしくない程度の声色。
“違和感”
普段感じているのはこれだ、と確信するのに、時間なんてものは必要なかった。


「…言わないのか」

「…何を?」


目を合わせずに問い返すそれは、形だけの問い。
わかっている質問を、はぐらかそうとするときの癖だ。
けれどここでひいてしまえば、コイツがもう絶対に話をそこまで持っていかせないこともわかっていて。
顕現してからまだそれほど経っていないのに “癖”と断言できるほど慣れてしまった状況と、話が進まないもどかしさにひとつ舌打ちをして、薄く笑みを湛えて月を見上げる横顔を睨み付けた。


「…遠征の、本当の目的だ」


―――『内緒だよ?』
初めての遠征中、やけに資材にこだわる燭台切に思わず怪訝な目を向ければ、困ったように頬を掻きながらそう言われた。
加州にはああ言ったが、大倶利伽羅の経験は二の次。
本当に目的は、鍛刀のための資材集めだと燭台切は申し訳なさそうに打ち明けた。
特に珍しいわけでもない打刀―――大和守安定を、鍛刀するための。


「―――あのとき、寂しそうな顔をしたのが気になって」


コトリ、と床に置かれる猪口。
まだ半分以上入ったままのそれに釣られて視線を落とせば、やけにはっきりとした燭台切の手の影がすっぽりとそれを覆った。


「でも、恩着せがましいのも格好悪いしね」


そう続ける燭台切の表情に嘘はない。
本当にそれだけの理由で今の遠征強行軍は為されているのだと思うと、もはやため息しか出なかった。


「…フン。相変わらずだな」

「褒め言葉として受け取っておくよ。…まぁ、我侭が過ぎてちょっと怒ってるみたいなのが、早く資材を貯めたい要因なんだけどね…」


もうちょっとなんだけどなぁ、と渋い顔で猪口を揺らす燭台切に、小さく首を傾げる。
加州は怒って、いるのだろうか。
時折物言いたげに見てくるその視線は、怒気をはらんでいただろうか。
けれど自分よりも付き合いが長く、また人の身を得てからの経験も段違いに多い燭台切の言うこと…殊更感情に関する話で、意見できるわけもなく。


「それにくりちゃんにも、僕たちみたいな関係の相手がいてほしいしね」


気分を変えようとしたのか、声の高さを変えて言われた言葉に、その疑問は空へと消えた。
意味がわからず自然と眉間に皺が寄るのを見て、燭台切がまた軽く笑う。
手の中の小さな水面に映る月が、柔らかく燭台切の顔を照らした。


「加州と僕…僕は、彼とは切磋琢磨しあう“ライバル”で、背中を任せられる“戦友”だと思ってる」


彼も、そう思ってくれていたら嬉しいのだけど。
苦笑気味に続けられたそれは、逆にコイツが本気でそう思っていると強調して。
単純に、純粋に。

―――うらやましい、と、思ってしまった。

今の大倶利伽羅では、燭台切の足元にも及ばない。
たとえ向かっていったとしても、軽くあしらわれて終わりだろう。
そんな燭台切が、実力を認める男。


「…俺は一人で十分だ」

「いいや?きっと必要だよ。…強さを、手に入れるためにもね」

「…!チッ…」

「うん、いい子いい子」

「やめろ…!」


子どものように頭をなでてくる手をぐいと押し返して顔を伏せる。
この男がどこまでわかっているのかはわからない。
ただすべてを見越せるような明るさの月を水面に捕らえ、消えてしまえと一気にあおった。










「え?何その腕の…赤ちゃん?それ、主なの?…簡単に死んじゃわない?大丈夫?」

「…ブッ殺す!」

「わあああ落ち着いて加州!」


後日、見事顕現した大和守が加州に本気で追い掛け回されるという事件が発生した。
見たこともないキレっぷりに大慌てで加州を止めにかかる燭台切だったが、機動で圧倒的に劣るはずの加州を捕まえられたことに首をかしげ。
どこか楽しそうなその姿に、そっと腕の力を緩めた。


「やっぱり彼にも、 “相棒”が居たんだね」


満足げに笑う燭台切の向こうで本丸が破壊されているという、ギャップの激しい光景だったが。
本人たちが責任をもって直していたので、まぁよしとしよう。



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