一期一振は兄である


夏の終わりを感じさせる、穏やかな日差しの中。
午前の出陣を終えた一期一振は、自身の本体を携えたまま本丸の縁側を歩いていた。
今日の出陣も万事順風。誰一人として怪我ひとつ負っていない。
刀装の被害も少ないようで、拾ってきた資材もそこそこ。
だがその表情は、そんな功績とは裏腹に、ひどく疲れきっていた。


「はぁ…」


大和守が本丸に来て一週間、加州は一段と張り切って出陣するようになった。
どうやら前の主が同じらしい大和守と加州は気心が知れた仲のようで、お互いに言いたい事をずけずけと言い合った結果よく口喧嘩になっているのを見かける。
勿論錬度に圧倒的な差があるため、お互い手を出すことはないのだが。
どちらかというと加州のほうが一歩引いているようで、そしてそれは、大和守にとっても歯がゆいものらしい。
早く一緒に戦いたい加州と、加州に守られてばかりは嫌な大和守。
利害の一致といわんばかりに額をつき合わせて出陣の計画を立てる二人は、確かに仲がいいのだろう。
似たような関係の大倶利伽羅と燭台切はもう少し大人なのか個人の性格なのか、空間を共有しつつお互い別のことをやっているのをよく見かける。
…そこに大和守が突っ込んできて大倶利伽羅を遠征に引きずって行く姿も、よく見るが。
燭台切も燭台切で微笑ましい目で手を振って見送るし。

いいのだ、それは。

出陣するときも、その四人は常に桜吹雪が舞っている状態で、お互い高めあっているのが良くわかる。
問題は、それを補佐する二人。
確かに、以前までの一軍メンバーで向かっていた戦場より敵の強さは劣る。
だがそれでも、間をおかない出陣を重ねれば、必然的に疲労は蓄積されるのだ。
戦場での誉をあの四人に掻っ攫われてしまっている現状では、尚更。


「次の出陣は三日月殿と代わってもらおうか…」


自分の本体すらもが重く感じられるようでは、戦場で本来の力を発揮できない。
ここは大人しく代わっていただいたほうが賢明か、と重い首を動かして辺りを見渡した。
今日、三日月は非番で、午後から短刀たちと手合わせをする予定のはず。
ならば今の時間、普段茶を飲んでいる縁側にいる…と、思ったのだが。


「どこに…?」


普段居るはずのそこに、茶を携えのほほんと庭を眺める男の姿はない。
ならば、べに様のところだろうか。となると、本丸中を散歩してまわっていることが多いため、見つけるのは一気に困難になる。
どうしたものか…と立ち尽くしたまま渋面を作っていると、不意に向かいからぱたぱたと軽い足音が聞こえてきた。
この音は乱か、と目星をつけて、本丸の中で走らないようにと前に注意したのに、と頭を押さえる。
そのときの聞き分けはいいのだけれど…、と落ちそうになるため息を飲み込んで、再び注意すべく角を曲がってもぶつからない位置で足音の主を待つ。
その直後に角から飛び出したのは、短いスカートを翻して風を切る、乱藤四郎。
予想通りの相手に叱るときの表情をつくる一期と、はっと顔を上げて視線を合わせる乱。
そしてすぐ一期の表情を見て「やっちゃった」という顔をする…と、思ったのだが。


「あっ、いち兄みーつけたっ!」

「…え?わっ、ちょっ、乱!?」

「早く早く!見せたいものがあるの!!」


顔を輝かせた乱にぱっと手を取られ、引きずられる形で走り出す羽目になってしまった。
来た道を戻っていく乱の足は一期より速く、低い位置から引っ張られていることもあってばたばたと先ほどより大きな足音が本丸の中に響く。
普段注意している自分が廊下を走っているということもいささか気になったが、乱が今しがた言い残した一言のほうが引っかかった。


「み、見せたいもの…!?」

「いいからいいから!行けばわかるの!」


弟たちの機動がすばらしいことは兄として誇らしいことなのだが…いかんせん、半ば引きずられているこの状況はいただけない。
しかしこの調子では何を言っても足を緩めるなんてことはしてくれないだろう。
兄としての矜持で何とか付いていっていると、乱はしばらく走った後、ある一室の前でぴたりと足を止めた。


「こ、ここ、は…」


はぁはぁと、情けなくも乱れる息を整えながら部屋を見上げる。
部屋の外観自体はどこも変わらない、ごく一般的な和室の障子。
けれど他より間取が広く、情景よりも走り回ることに重きを置いた、開けた庭に面したこの部屋は。


「いち兄捕まえたよーっ」

「あ、おかえりなさい!」


結論を出すより早く、スパンと小気味良い勢いで開けられた障子。
中に居たのは、べにを腕に抱いた薬研と、秋田、五虎退。
ここまではいい。弟たちに割り当てられた部屋だと、再認識することができたから。


「うむ、ご苦労」


一人、妙にでかい。青い。
揚々と頷いた拍子に、優美な髪飾りがしゃらりと音を立てたのが鼓膜を揺らした。
…何か混じってる。


「ここにいらしたんですか…」

「はっはっは。何だ、探しておったのか?」


それはあいすまなんだ、と笑う三日月は何の反省もしていないだろう。
まぁ行動を制限する権利などないのだから、三日月がどこにいようと自由ではあるのだが。
自由すぎるほど自由な天下五剣にため息を付いて、ここへ来た本来の原因に視線を戻した。
乱はいつの間にか他の三振りの下へ加わっていて、四振りそろって意味深な笑みを浮かべてこちらを見ている。
その視線に若干たじろいだことを咳払いで誤魔化すと、改めて問いかけた。


「それで、これは一体…?」

「いち兄に、見てもらいたくて…」

「べに、疲れてねぇか?」

「あー!」

「よし。いっちょやってやろうぜ」


何を、と問い直す暇もなく、うつ伏せで床に下ろされるべに。
薬研に「そこに座っててくれよ、」と示されて、わからないながらもひとまず腰を下ろした。
顔を上げるべにに「頑張れな、」と顔を近付ける薬研に、まさか、と胸が高鳴り始める。
がしかし、何かおかしい。
うつ伏せにされた向きは、薬研側。
一期には、丁度足を向けている状態だった。
ここから何が起こるのかわからず、首を傾げるしかない一期。
そんな一期を尻目に、短刀たちは熱の入った目でべにを食い入るように見つめる。


「よーし、バックオーライだよ、べに!」

「が、頑張ってください…!」

「ぁんがっ!」


奇妙な掛け声とともに、ぐいと両腕を突っ張って上半身を持ち上げるべに。
思わず目を見開くと、その視線の先で「んぎゅっ」と奇妙な声が響いた。
べにが腕の力で身体を動かした結果、支えがなくなって腹が床にぶつかったのだ。


「(こ、これは…俗に言う“はいはい”…!?)」


まさかの出来事に、思わず口を手で覆う。
しかし一方で足はぴょこんぴょこんと宙を蹴っており、その視線は薬研に向いているはずなのに身体は徐々に後ろに下がっているという奇妙な状況が出来上がっていた。


「よーしその調子だ!いいぞべに!」

「はっはっは。良いぞ良いぞ」

「もうちょっとです!」


どうやら、これで正しいらしい。
2mほどの距離はじわりじわりと詰められ、一期の膝にべにの足がぶつかる。
何かがぶつかったことに気付いたのか、一心に薬研を見つめていたべにがおや?とばかりに振り向き。


「…あー♪」

「…っ!!!」

「あぁーっ!そこで“にーに”だって!」

「お、惜しいです…」

「詰めが甘かったか…」

「大丈夫だ、お前たち」


悔しがる弟たちの横で、月が微笑む。


「十分に効果はあったようだぞ」


細められた目が、顔を伏せた一期と、方向転換して一期の膝に両手を置いたべにに向けられる。
手で口元は隠れているとはいえ、隠し切れない赤に染まる一期の周りを、ひらひらと桜の花弁が彩っていた。
兄のそんな様子に、弟たちは満足げに頷きあう。
その様子を見て微笑みを深くした三日月は、ゆるりと立ち上がってべにに近付くと、片手ですっぽりと覆えてしまう頭を優しく撫でた。


「さて、疲労もなくなったようだが、ここはまぁ、給料分の仕事をしてこよう」

「…お気遣い、痛み入ります」

「なに、じぃじの余裕よ」


短刀たちと“一番”も頂いてしまったしな、と笑う三日月が部屋から出れば、短刀たちが一期とべにを囲む。
もうすぐはいはいするはずだと歌仙に聞いてから、最近はずっと秘密の特訓をしていたこと。
三日月に見つかってしまい、一期に最初に見せることが出来なくて残念だということ。
そのうち前にも進むようになるから、待っていてくれということ。
一斉に、嬉しそうに、楽しそうに話す弟たちをまとめて抱きしめれば、部屋の床はあっという間に桜の花びらで埋まっていった。
ふと、あの四振りが常に桜を纏っている理由が、じわりと胸を濡らすように浸透する。

―――あぁ、なんと、幸せなことか。

膝の上から見上げる主君に、情けないながらも精一杯の笑顔を差し上げた。



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