加州清光はお人よし


「あぁ、来てたんだ」


午後の出陣から戻って、べにに癒してもらった後。
ほぼ執務室と化している自室へ戻っての、第一声がそれだった。
部屋の中央でぱたりと尻尾を床に落とす、こんのすけの中身が紺野だと一目でわかるようになったのはいつからだろう。
何が気に入らないのか顔をしかめてみせる紺野のことは気にも留めず、加州は自身の本体を腰からはずして床に座る。
普段本体を置いている棚まで行くのもなんだか面倒で、口からは自然とため息がでた。
少しの疲れを見せる加州に、紺野は物申そうとしていた口を一度閉じる。
そして諸々を押し込めて、ぽつりと一言分だけ音を乗せた。


「…変わりはないか」

「そうねー。安定とくりちゃんも大分ついてこれるようになったし。あれなら自分の身くらいは守れるかな」

「…そうか」

「…?」


どこか(声色はほとんど変わっていないが)落胆したような雰囲気に首をかしげて覗きこむも、その表情は変わらない。
はて?と反対側にもう一度首を倒して、ピン、とひとつひらめいた。


「べにならこの間、後ろに向かってハイハイできるようになったよ」

「………そうか」


声の調子は、まるで機械か何かのようにさっきと変わらない。
けれど、息を吸い込んだことでほんの少し大きくなった身体、落ち着かな気に一歩踏みしめた前足、返事までのわずかな間。
気を抜けば見過ごしてしまいそうなそれらは、こっちが正しい答えだと教えていて。


「(なんだかんだ、ちゃんと気にしてるんだよね)」


こうして紺野から(紺野にしては)あからさまに様子を聞くことは珍しいが、加州がべにの話題を出すと、興味のない風を装いながらもじっと耳を傾けていることぐらいは気付いている。
普段は報告程度に抑えているが、せっかく聞いてくれたんだし、と加州は後ろ手に休めていた身体を起こし、紺野に向かって身を乗り出した。


「昨日なんて可愛かったんだよー。ちょっと前でおもちゃを見せたら、近付こうとするんだけどべに、今はまだ後ろにしか進めないじゃん?どんどん離れていっちゃうから不思議そうな顔して、部屋の隅につく頃にはもうふえぇぇって泣いちゃってねー」


その泣き顔が可愛いのなんのって。
加州は自分の顔がでれっでれに蕩けているのを自覚しながら、半ばのろけのようにべにの最近の様子を語り始める。
ハイハイが後ろに進んでしまうこと、離乳食をよく食べるようになったこと、名前を呼ぶと振り返ること。
始めのうちは目を伏せながらも聞いていた紺野だったが、際限なく出てきそうな様子に「おい、」ととうとう口を挟んできた。


「…そんな話をしにきたわけではない」

「あれ、そーなの?」


わざとらしくあっけらかんとそう言えば、舌打ちでもしそうな顔で睨まれる。
ちょっとやりすぎちゃったかな、とそっぽをむいて軽く舌を出せば、小さなため息が聞こえてきた。
紺野も紺野で、加州の性格に相当慣れてきたようだ。


「…最近は出陣も安定しているようだ。本丸全体の錬度も上がってきたようだし、今回は互いの錬度をより高めるために行う“演練”についての説明をしに来た」

「演練?」

「他の本丸の審神者が持つ刀剣男士と戦う模擬実戦訓練だ。政府の用意した疑似体験場に赴き、審神者同士の交流も含めて合戦を行う。環境を合戦場に似せた特殊な空間の中で行うため、たとえ重傷を負っても影響は一切残らない。六振りまでであれば刀種も錬度も自由、短刀を育てるも、己の力を見せ付けるも編成次第だ」


初めて聞く単語に顔を戻せば、淡々と説明される“演練”というもの。
今までのように過去の合戦場に赴くのとは違う、現代での戦闘。
いくつか気になるところはあったけど、確認しておきたいことは、二つ。


「それってさ、つまり、その場所でなら怪我しても大丈夫だし、べにを本丸の外に連れ出せるってこと?」

「…まぁ、そうなるな」

「…!」


紺野の返答を聞いた瞬間、自分の目が輝いたのがわかった。
本気の、戦闘が、できる。
手に触れていた本体を、思わずぎゅっと握り締める。
怪我をしないように、しないようにと気を張ってばかりの戦闘は、しばしばフラストレーションを溜めるものだ。
カチリと鳴った自身が、どこか歓喜しているようにも思えた。
けれど本能のようなそれががんがんと腹を叩く一方で、ふわりと胸のうちから温かくなっていく感情。
激しい闘争本能を押さえ込むわけでも、打ち消すわけでもなく、ただ同じ大きさで存在を示すそれ。

―――べにに、違う世界を見せてあげられる。


「いいじゃんいいじゃん。たまには全力で戦わないと、鈍っちゃうしねー」


俄然うきうきしだした感覚に、足取りも軽く本体を棚へと戻す。
ぽんぽん、とついてもいないほこりを払うように本体を撫で、「それで、いつ?」と我ながら満面の笑みで振り返った。
呆れたのか、驚いたのか。
冷めた目で加州の動向を見守っていた紺野は、小さく頭を振ると「五日後に予定がある」と告げた。


「始めは私も付いていく。相手との応対ができるようになったらそれもお前に任せよう」

「りょーかい!」


話半分に机の上に置いてあった出陣計画と、今本丸に居る刀剣男士の錬度の一覧を確認する。
基本的に本丸に来た順番で錬度も高いが、三日月の追い上げが上々で歌仙と張るレベル。
一軍メンバーで行くか、紺野の言うように全体の底上げを図って短刀中心に編成するか…
普段よりずっと軽い気分で編成を考えていれば、紺野が「話は以上だ」と通信を切る気配を感じて、はっと顔を上げる。
そうだ、今回はまだ紺野に用があるんだった。


「あ、待って紺野。まだ時間ある?」

「…特に急ぎの用はないが」

「ならべにに会っていきなよ」

「…それは」

「何言ってんのさ、最近全然会ってないでしょ!」


毎度のことながら尻込みする紺野の身体を有無も言わさずひょいと持ち上げて、いつかと同じように肩に乗せる。
こうすればなんだかんだ文句を言いながらも逃げることはないということがわかってきたのだ。
適当に机の上を片付けて、来たときとは正反対に意気揚々と障子を開ける。
「必要がない」「会っても意味はない」とぶつぶつといい続ける紺野を宥めすかして、べにが居るであろう広間へと足を向けた。

今回は、紺野とべにを会わせたいのだ。

勿論上手くいけばの話だが、この日のためにこんのすけにも協力してもらっていたのだし。
スキップでもしそうな調子で足を進めれば、いつも以上にその距離は近く感じて。


「べにー、紺野が来たよー!」


スパン!と障子を大きく開けば、大和守とべにが綺麗に二人そろって振り返った。


「あーっんっ!たっ!」

「おかえり。…あれ?珍しいね、こんのすけ肩に乗せてるなんて」

「あーこれ、今中身は紺野っていう人間なの」


そういえば安定は初めてだね、と紺野を下ろせば、あわせて大和守の視線も上から下へ下がってくる。
それが床すれすれまで降りるころには紺野も観念したのか、足先を揃えると大和守を見上げて「…紺野という」と礼儀ギリギリの挨拶を発した。
対する大和守も大したもので、「へぇ…俺は大和守安定だよ、よろしくね」と冷たい声で返す。
何でいきなり一触即発の雰囲気になってんだか、と首をかしげる加州。
そんな三人の微妙な雰囲気など何のその、べには視線の近くなった紺野に向けて手を伸ばすと、「あー」と物欲しそうな声を出した。
“遊んで”とか、“欲しい”のサインだ。
それに気付いてしばし戸惑った様子の紺野だったが、加州が促すよりは早く。べにのまっすぐな瞳に耐え切れなくなったのかそろりと一歩踏み出し、ゆっくりと近付いていった。
そしてべにの手の届く範囲に来れば、当然。


「あーっきゃっ!」

「…話は終わっただろう。本丸外の人間との接触は極力最低限に抑えるべきだ」

「それはそっちの都合だよねー。俺たちは別に気にしないし?」


べににむぎゅっと尻尾をつかまれている状態では、紺野の淡々とした話し方が逆に笑いを誘う。
なんともしまらない状態に噴出しそうになりながらも平静を保って肩をすくめれば、「話って?」と大和守が疑問符を飛ばしてきた。
何故不機嫌なのかは知らないけど、声が冷たいせいで詰問されている気分だ。


「あーうん。なんか怪我を気にせずに全力で戦える戦場があるんだって」

「…なんか、まるでお前が審神者みたいだね」

「加州は審神者の助手だ」

「助手ってかもはや本業?みたいな?」


大和守がそこまで深い意味を含めて言ったわけではないだろう。
加州だって、軽口を叩いた程度のつもりで笑いを含ませて言った。
だが。


「この本丸の審神者はあくまでこいつだ。お前は自身が刀剣だということを忘れるな」


ぴしゃり、と。
普段の平坦な声を、刺々しく低くして告げられた言葉は、あまりにも攻撃的だった。


「…嫌な言い方」


わかっている。
刀剣男士たちを顕現させたのはべに。加州はただ、事務的なことを肩代わりしているだけ。
わかりきっているからこそ、軽い突っ込みが来るものだと思ったそれをはっきりと否定されて、ぴくりと片眉が跳ね上がるのを感じた。
反発するような大和守の言葉にもフォローを入れることが出来ない。
今度こそ氷点下に凍えきった空気に、べにもきょろきょろと三人の顔を見比べて。


「こぉー…ん?」


聞こえた言葉にはっとなって視線を少しずらせば、不安げに眉をハの字にさせているべに。
その身体いっぱいで尻尾を抱きしめて、不安を紛らわせようと…


「あああべに!それ毛が口の中に入っちゃうから!ばっちいよ!ほら、こっちにしなって!」

「……いっ!」

「…べに〜…」


歯がためを差し出しても、じっと二つを見比べて、また尻尾に顔を埋めるべに。
まぁ口に入れようとしてないだけ、ましかな。
一気に溶けた空気を感じてさすが主、と思う一方。
空気の代わりといわんばかりに見事に固まった紺野を見て、やっぱり俺の主は最高だ、と計画の成功に小さくガッツポーズを決めた。
紺野だって、この本丸の一員だと思ってるんだよ?
もう少し砕けてもいいんじゃない、という言葉は、結局尻尾を開放されるまで帰らなかった紺野には、まだ、言わない。



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