歌仙兼定は当惑する


『―――演練終了です。各部隊の刀剣男士様方は、速やかに審神者様と合流してください』


はっ、と意識が浮上する。
まるで、夢を見ていたような感覚。
ばっと手を見てみても、そこに赤く濡れた自身の本体はない。
本体がない―――武器が、ない。
一瞬パニックになりかけた脳は、無意識のうちにとっさに腰に伸びた手が冷静に戻した。
何事もなかったかのように腰に鎮座する感覚は、演練に向かう前と全く同じ。
そうだ・・・、僕は、相手の・・・


「よー。どうよ調子は?」


―――思わず、手の掛かっていたそれを抜きそうになったのは、仕方のないことだろう。
受付を挟んで向こう側。
先ほどまで刃を交えて戦っていた刀剣男士たちが、涼しい顔で近付いてくる。
その先頭に立つ、―――あの男。


「え?身の程が知れてすがすがしい気分だって?いやー光栄光栄ww」

「・・・っ・・・!」


誰も言葉を発していないのに、わざとらしく耳を傾ける仕草をしてみせる。
この男は、どうしてこうも人の神経を逆撫でるのが上手いのだろう?


「あ、そうそう。言い忘れてたけど、今日連れて来てんの二軍メンバーなんだよね。負けたら言うつもりなかったんだけどー。負け惜しみみたくそんなこと言ってもかっこ悪いじゃん?ていうかないわーwwみたいな?」


く、と小さく息を詰める。
脳裏を過ぎっていた、“一軍メンバーで来ていたら、”という淡い考えを、読まれたような言葉。
だが、たとえ一軍で来ていたとしても、勝てたかわからないほどの錬度の差。
男の後ろから睨みつけるわけでもない、ただ見据えてくる男士たちの目に、驕りはない。
それが余計、自分たちの強さに自信をもっているように見えて。
ただただ睨みつけるしかできない自分の弱さに、唇をかみ締めた。


「君」


不意に、呼びかけられた。
“君”という不特定多数へ向かう二人称でありながら、“自分のことか”と気付けたのは、その声がはっきりと自分に向かっていたからか。
それとも


「なんだい?その髪型は。なんて雅じゃないんだ」


その声の主が、自分と同じだったからか。
目を細めて眉を顰める表情は、雅じゃないものを見たときの顔。
腕を組んでいるのは、腹を立てているときの癖。
ここまでは、同じなのに。


「公の場に来るのに、農作業のときと同じ格好はないだろう。同じ歌仙兼定として頭が痛い」


・・・やはり、主人が違えば人柄というのも変わってしまうのか。
自分であれば少なくとも、公衆の面前で晒し上げるようには指摘しない。
そのほうが恥ずかしいのだと、知っている。
同じ歌仙兼定なのにこうも違うのか、と頭が痛くなるのを感じて米神に手を付いた。
心底呆れたときの仕草だと、気付いたのだろう。相手の歌仙兼定が片眉を跳ね上げる。
気に障ったかい?だがね、僕だって腹を立てない道理はないんだよ。


「・・・初めは彼女に捕まれないため、だったんだがね。顔を近付けたとき、髪が彼女の目に入りでもしたら大変だろう」

「・・・では、いつでも君の主を抱き上げられるように?」

「あぁ」


何か問題でも?間違ったことはしていない、と胸を張って前を見据える。
べにのためを思ってやったこと。それを、彼女を知らない者にとやかく言われる筋合いはない。
さて、次は一体どんな雅さの欠片もない言葉が飛び出すのか。
何を言われても正しく言い返せるように、ぐっと腹に力を込めた。
そして、相手の歌仙兼定が、口を開き、


「それはすまなかった!やはり君は僕だね、思慮深ぐっ!?」

「・・・・・・は?」


出てきた言葉に、脳が一瞬、働くのを止めた。
それほどまでに、衝撃的な一言。

ソレハ スマナカッタ・・・

それは、すまなかった・・・



・・・・・・今・・・、謝られた・・、のか?



そのまま続けて褒めるようなことを言い始めた相手の歌仙兼定はしかし、言葉の途中で唐突に身体をくの字に折り曲げる。
わき腹を押さえて「おおぉぉ・・・!」と悶えているその隣、へし切長谷部が涼しい顔で目を伏せているが・・・何か、したのだろうか。
歌仙兼定に集中してしまっていたというのもあり、へし切長谷部自体の機動の速さもあり。
歌仙の目には何も映らなかったが、隣では加州がポカンとした顔でへし切長谷部を見ている。

・・・・・・・・・まさか・・・?


「い、いや。・・・ゴホン。やはりそれを知らない者にとってはそんなこと、ただの言い訳に過ぎない。もっと大衆の目というものを意識すべきだ」

「あ、あぁ・・・?そう、だね・・・」


取り繕うような咳払いの後に続いた言葉は、何故か嫌味というより指摘、言ってしまえば助言のようにまで聞こえてくる。
気分が落ち着いているときなら、「なるほど。参考になったよ、ありがとう」などと言ってしまいそうだ。
先ほどまでの印象とはガラリと変わったそれに、疑問よりも先に困惑が頭を占める。
どういうことだ?一体、あいつらは何をしているんだ?

・・・・・・・・・相手の歌仙兼定は、謝った。へし切長谷部が、殴った。

・・・もし・・・・・・、もし、相手の歌仙兼定が褒めようとしていたのだとして、それをへし切長谷部が止めたのだと、したら。


「ブラック本丸、か・・・呆れるね、まったく・・・」


ボソリと燭台切が呟いたのが聞こえて、は、と思考が塗り変わるのを感じる。
そ、そうか。そっちか。
それなら、褒めたのを止めたのも、主が蔑んでいる相手を褒めるなどと、という感じだろうか。
消化できず、モヤモヤと心の中で右往左往していた考えがぽんとひとつところに収まるのを感じる。
そうか、こいつはブラック本丸の審神者。いつか、倒すべき相手。
そうだ。そのはずだ。

・・・その、はずなのに。

へし切長谷部の後ろに下がった歌仙兼定の表情を見ていると、・・・どこかひとつ、収まりきらない何かが未だに着地点を探しているようで。


「・・・ま!要は出直してこいってことでぇ。もっと鍛えてこなきゃ、逆に相手するのに疲れちゃうヨ?ってね」


場をとりなすように男が話す裏、遠くから、べにの泣き声が聞こえてくる。
火のついたような泣き方は、おそらく知らない人間に抱かれているということからだろう。
べにの泣き声にいち早く反応した加州が、男の話しも、存在すらもどうでもいいといわんばかりにその脇をすり抜けていく。
続くように、燭台切が。大和守が、大倶利伽羅が。
持ち前の機動でか、あちらも困っていてすぐそこまで急ぎ足で来ていたのか。
歌仙が薬研と一緒に男の隣を通り過ぎるときには、べにの泣き声はぴたりと止まっていた。
だからだろうか。
男とその日、もっとも近付いたその瞬間。
その言葉は、やけにはっきりと耳に入り込んできた。


「所詮、赤子なんだから」


そこまで聞かせるつもりはなかったのだろう、はっきりとした感情の読み取れない声。
先ほどまでの感じと全く違うそれに思わず振り返っても、男と視線が合うはずもなく。
感じる違和感に考えがまとまらず、ぐるぐると逡巡する感覚を感じながら加州の下へ近付けば、泣き疲れたのかべには加州の腕の中で安らかな寝顔を見せていた。
すっと、荒んでいた心が落ち着くのを感じる。
可愛い可愛い、僕らの主。
この子を守るためなら、きっと僕は何だってする。
肉体だけじゃない。
心。名誉。誇り。
すべてを守れるためにも、もっと。


「・・・強く、なるから」


壊れないように、起きないように。
加州がその小さな身体を、そっと強く抱きしめる。


「絶対、二度と、他の奴らに俺らの主を馬鹿にされて溜まるもんか・・・!」


それは、ここにいる六振り、全員の思い。
そしてきっと、本丸に居る全員の想い。

“より強く”

君を守れるように、僕はより鋭い刃となろう。
君に安らかな眠りを。朗らかな笑顔を。
それに癒されるときこそ、僕らが君に仕える最高の瞬間なのだから。


**********
prev/back/next