燭台切光忠は常識を貫く
「名前」
「そう、名前!い、言っておくけど、別に俺は主って呼べればいいんだからね!?燭台切がどうしてもって言うから!」
あぁ、これがツンデレというやつか、とどこか感心しながら一歩後ろから加州の様子を眺める。
肉体を得たときにいろいろと必要なさそうな知識も植えつけられたけれど、成程、こういうときに使うってことだろう。
やっぱり、必要かどうかは別として。
あのあとしばらくして落ち着いた加州を引き連れて部屋に戻れば、こんのすけは「こいつを一人にするのはいただけない」と淡々と言ってのけた。
声、話し方、話す内容。
つまりこいつは例の男だ!と気づいた瞬間の二人の動きは、戦場並みに素早いものだったと思う。
加州は目の色を変えて狐に掴みかかり、燭台切は後ろ手に障子を閉め。
実際、この狐がこんのすけであることは変わらないのだから、意味はなかったのかもしれないけど。
それでも「捕まえたー!」と両手で狐を掴み上げた加州に目を丸くしていたから、こっちの必死さはきっと伝わった。
それで聞く内容が名前っていうのも、ちょっと締まらない気がするけどね。
「あ、君の名前もね。こんのすけ、はこの狐の名前なんだろう?」
「・・・・・・」
「・・・おーい?」
軽く俯いたっきり固まってしまった狐に、何かまずいこと言ったかな?と首をかしげる。
名乗ったり名乗られたりって、割と礼儀の一環だと思うんだけどな。
軽い調子で促せば、狐はそれでも少し考え込んだ後、微かに息を吐いてから顔を上げた。
「・・・・・・俺は、紺野という」
「ふーん、紺野、ね。それで、この子は?」
「・・・・・・」
「・・・まさか、知らない、とか言わないよね?」
加州からの再三の問いかけにも、やっぱり答えようとしない狐・・・紺野。
まさかと思いつつ、ひとつの可能性を問うてみた。
この事務一辺倒な男は、下手すると特定さえできればずっと“そいつ”で通しかねないと思ってしまったからだ。
けれど、その言葉が琴線に触ったのか、それとも他の何かか。紺野は感情の読めない顔を赤ん坊に向ける。
そしてそのまま顔を上げることなく、殊更感情の乗らない声で告げた。
「そちらで好きに呼ぶといい。そいつに、名前はない」
「・・・え?」
「そいつは孤児だ。親はいない」
「・・・そう、なんだ・・・」
しまった、と舌打ちをしたい気分に駆られる。
加州はきっと、そういう“捨てられた”系の話を軽くは受け止められない。
だから紺野も言いづらそうにしていたのかな、なんて、さっきまでと間逆の印象を抱いたって、後の祭り。
「悪いこと聞いちゃったね・・・」
取り繕うようにそう言っても、どこか空滑りするような感覚があるだけだ。
外から届いていたはずの鳥の声まで聞こえなくなって、身が縮むような沈黙が場を支配する。
そんな空気の原因を作ってしまった身としては、なんとかしたいんだけど・・・
案の定加州は難しい顔で赤ん坊を見ていて・・・、あ。
「じゃあ、加州君が名前付けてあげてよ!」
「え!?な、なんで俺!?」
突然話を振られて弾かれたように顔を上げる加州に、満面の笑みを向ける。
うん、我ながらナイスアイディアじゃないかな!
「だって君は最初に呼び出された一振りじゃないか。それに、僕よりこの子とすごした時間は長いだろう?」
「・・・たった一日だけなんだけどなー」
ありきたりな理由に、半ば呆れたようにそう言う加州。
けど、その頬は少し緩んでいて、まんざらでもないのがバレバレなんだよね。
「う、あー?」と手を伸ばしてくる赤ん坊を恐る恐る抱き上げて、膝の上に乗せる姿はまだぎこちない。
でも、きっとすぐ様になるんだろうなってなんとなく確信できた。
「んー・・・そうだなぁ・・・」
やっぱり髪を掴んで口に入れようとするのを抜き取りながら、加州は赤ん坊をじっと見つめる。
それに応えるように赤ん坊も加州を見つめ返していて、まるで二人だけの世界に入っているみたいだった。
ちょっと妬けるな、なんて思いながらその様子を眺めて、加州が次の言葉を言うのを待つ。
同じ沈黙でもさっきまでのそれとはまるで違って、どこか心地いい気分すら感じられた。
「・・・じゃあ、・・・べに・・・とか、どう?」
べに。
少し控えめに加州の口から出た言葉は、想像以上に耳にすんなり馴染む。
思ったよりいいセンスしてるね、と思いつつも、少しだけ引っかかりを覚えた。
「べに?うーん、悪くないと思うけど、なんだか可愛らしい名前だね?もっとカッコいいやつでもいいんじゃない?」
例えば、うーんと、・・・まさ・・・政忠とか。光宗とかさ。
強くてカッコいい感じだろ?
「女の子なんだから、可愛くていいでしょー」
「・・・え?お・・・」
「女の子。・・・あぁそっか、燭台切はまだおしめ替えたことなかったっけ」
呆然とするしかなかった。
なんだか哀れむような目で見てくる加州に、視線を返すこともできない。
女・・・の、子?
言われてみれば、確かに目はぱっちりしてるし、睫も長い。
唇だってふっくらと肉付きがいいように見えなくもないけど、はっきり言って赤ん坊の性別の見分けなんてついてなかった。
ついてなかったのに、男の子だと思い込んでたのは・・・
・・・男の子だと、思いたかったからだ。
赤ん坊だってだけでもいかがなものかと思うのに、女の子。
愛情たっぷりに育てられなければいけない時期の赤ん坊が、男よりも圧倒的に弱い女の子。
そんな子が、戦場に駆り出されているという現状。
「・・・絶対、べにちゃんのこと守っていこうね加州君・・・!」
「・・・うわ、俺そういうの苦手なんだけどなー・・・」
まぁ、気持ちは受け取っとくから。
ひらひらと片手を振る加州に、これは本当にこの小さな主を守っていかなくちゃ、という決意が燃えあがる。
蝶よ花よとは育てられなくても、せめてその体には傷ひとつ負わせないから。
そのためにできることは、なんだってしてあげる。
だって僕は、君の刀なんだからね!
燭台切の熱い意気に少し嫌そうな表情を見せていた加州だったけれど、はっと何かに気づいてニヤリと口元をゆがめた。
けれどそれも一瞬、燭台切が気づく前にその表情を引っ込めると、加州は腕の中の赤子―――べにを燭台切に向けて差し出した。
「じゃあその気概を受けて―――まずは今晩、子守よろしくね」
「もちろん!」
見よう見まねでべにの体を受け止めて、その視線が自分に向いたこと充足感を得る。
微笑めば「あー、」と伸びてくる手に、顔を自由に触らせた。
「よろしく、小さな主―――べにちゃん」
「あー・・・ぅー、あ?」
幸せそうな燭台切をよそに、加州は開放感に溢れた顔で大きく伸びをして。
加州の一瞬の表情に気づいていた紺野だったが、けれど「では燭台切に夜間の世話の仕方を教えてやれ」と言うだけに留め。
その晩、燭台切は安請け合いした昼間の自分に少しばかり後悔することになる。
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