鳴狐は冷静?


「っはー・・・!長い一日だった・・・!」


演練会場を出て、自分たちの本丸に繋がるゲートへの道をのんびりと歩く。
演練には負けたのに、こんな穏やかな気持ちで帰路に着くことができるとは思ってもいなかった。
いや・・・もしかしたら勝っていたとしても、こんな気持ちではなかったのかもしれない。


「ホントだね。でも、得られることも多かった」

「・・・そうね」


少し微笑みながら頷く燭台切と加州の背中を見ながら、鳴狐もまた、穏やかな気持ちで歩いていた。
小珠という審神者に出会えて、よかった。あの者と話すことができなければ、今のこの気持ちはないだろう。皆どこか晴れやかな表情で談笑しながら歩いている。
が、そんな雰囲気の中でただ一振り。薬研だけが、べにの顔を見て眉間に皺を寄せていた。


「さーってと。薬研、ずっとべに抱っこして疲れたでしょ?代わるよ・・・って、薬研?どうしたの?難しい顔して」

「あぁ、いや・・・少しべにの様子がおかしい気がしてよ」

「べにが?」


その言葉に、加州が薬研の腕の中にいるべにに顔を近付ける。
後ろから首を伸ばして見てみると、言われてみれば確かに、普段と少し様子が違う。
妙に目が潤んでいて、涎も多いみたいだ。
「最近は涎を零すこともほとんどなかったのにね、」と不思議そうに加州がべにを受け取る。
そして、その指がべにの首筋に触れた瞬間・・・目を、見開いた。


「ちょ・・・熱くない!?」

「え・・・!?熱!?」


燭台切の反応を境に、一気に緊張感に包まれる一同。
下手すると合戦場に出ているときよりも緊迫した空気は、全員の想像力を悪い方へと働かせてしまった。


「まさか演練会場で風邪を・・・!?」

「・・・・・・・・死ぬ、のか・・・?」

「ちょっとくりちゃん!縁起でもないこと言わないで!」

「し、死んじゃやだ!べに!!」


騒然となる面々、燭台切は大倶利伽羅を黙らせるのに必死だし、加州などはもはや涙目だ。
本丸のトップ2がこれでは、と一度目を閉じた鳴狐は、スゥ、と一呼吸置くとゆっくり口を開いた。


「・・・落ち着いて。まずは本丸に戻ろう」

「で、でもどこか近くで休んでいったほうがいいんじゃ・・・!?」

「短い時間、休んでも意味、ない。それより、本丸に帰って、ゆっくり休んだ方がいい」

「そ、そっか・・・」


少し錯乱してしまっている加州にゆっくりと伝えれば、影響されて少し落ち着いたのか、自分を納得させるように頷く。
そんな加州から、呆然とした様子の薬研に目を移した。


「薬研」

「っ・・・お、おう」

「少し前に、医学書読んでたよね。熱のこと、書いてなかった?」

「あ・・・、・・・・・・ちょっと、いいか」


目に意思が戻り、真剣な表情でべにの首筋に手を当てたり、鼻や喉を診たりする薬研。
男士たちが固唾を飲んでそれを見守る中、薬研は少しほっとしたように肩の力を抜いた。


「咳や鼻水はねぇみてぇだし、おそらくウイルス性のモンじゃねえだろう。多分、慣れねぇことで疲れて・・・」


そこまで言うと、薬研は俯いてぐっと拳に力を込める。
表情は見えないが、・・・言いたいことは、簡単に想像がついた。


「・・・すまねぇ、俺っち、ずっと一緒に居たのに・・・!様子がおかしいこと、気付けなかった・・・!」

「逆に、ずっと抱っこしてたから、体温の変化がわかりにくかった・・・のかも。それより、帰ったら何、すればいい?」


言い終わるとほぼ同時に言葉を繋げれば、驚いたように目を見開いた薬研が鳴狐を見上げる。
その目をじっと見つめ返せば、薬研は自分で自分の役割に気付く。
そしてやるべきことに気付いた薬研の目に、もう迷いはなかった。


「・・・熱が高いだけなら、水分摂取が重要だ。まだそんなにグッタリした様子はねえが、汗とかでの脱水症状がまずい」

「わかった。行こう」


鳴狐を先頭に、べにを抱えた加州を全員で囲むようにして帰路を急ぐ。
べにを囲んで「辛いよね、苦しいよね」「もう少しの辛抱だよ、頑張って」と心配げな表情で励ます他の面々。
そんな集団から一歩前に出る鳴狐に、少し歩を速めた三日月が静かに並んだ。


「お主は冷静だな。俺も年の功故か、少しは落ち着いてもいられるが・・・」

「冷静・・・?」


振り返ることもなく、前を見据えて歩いていた鳴狐が、目だけを動かして三日月に視線をくれる。


「・・・そう、見える?」

「はっはっは・・・―――否よ」


その目の力に、三日月は笑みの下、聞こえないようにあなやと呟く。
お供の狐が何も言わないというだけでも、十分普段と雰囲気が違うというのに。


「(冷静さを欠くと饒舌になるとは、稀な奴だな)」










「秋田!温かい布団を用意してくれ!乱は濡れタオルを!あと、五虎退と大和守の旦那はべにの着替えを多めに持ってきてくれ!」


帰り道の途中からぐずり始めたべには、今はもう火が付いたように大泣きしている。
その泣き声が聞こえたのか、異常事態を察した留守番組の面々が駆け付けるまで、そう時間はかからなかった。


「えっ・・・!?べに様!?ど、どうし・・・」

「熱が出たんだ。大事にはならねぇ・・・させねぇからよ、頼まれてくれるか?」

「っ・・・わかった、すぐに持っていくよ!べに様のお部屋でいいんだよね?」

「あぁ、助かる」


真っ先に駆け付けた足の速い者には、すぐに必要なものを。


「何事だい!?」

「あぁ、歌仙の旦那はこんのすけ捕まえて、紺野の旦那と連絡がつかねぇか取り合ってくれるか?俺っちだけじゃどうにもならねぇことも、もしかしたらあるかもしらん」

「・・・わかった。様子はまた教えてくれ」

「了解だ」


寝間に向かう道中で合流した歌仙には、交渉の必要になるかもしれない依頼を。
冷静になった薬研の指示は的確で、大泣きしたことで余計に体力を消耗したらしいべにが寝付く頃にはほぼ完ぺきな看護体制が整っていた。


「赤子の体温は上がったり下がったりしやすいから、こまめな検温とそれに応じた体温調整が重要らしい。あと、水分が足りなくなっているだろうから、起きたら水分摂取だな」


一息ついてべにの横に座り込む薬研に、そっと近づく鳴狐。
他の面々は薬研が「こんなに居たら逆に疲れちまう」と薬研が追い出していた。
それは今日一日演練を行ってきて、疲れているであろう一軍メンバーへの気遣いもあるだろうが。


「・・・薬研、休憩」

「・・・あぁ、鳴狐の旦那・・・いや、俺っちは・・・」

「順番」

「・・・わかったよ。そんな怖ぇ顔しねえでくれ」


苦笑いで両手を上げ、もう一度べにの額の汗を拭ってから立ち上がる薬研。
鳴狐の横を通り過ぎざまに、小さく「・・・スマン」と言って静かに部屋を出ていった。


「・・・・・・」


フゥ、とため息をつくと、べにの傍に座る。
その表情は落ち着いているものの、やはりいつもより頬が赤い。
そっと布団の中に手を入れて胸の鼓動を確認すると、今度は安堵のため息をついた。
留守番組が引き受けると言っても、自分が看る、と言って聞かなかった薬研。
おそらく、自分が見ていたのに、という責任感が彼を苦しめているのだろう。
けれど本当に、ずっと抱き上げていたべにの体温の変化など、気付かなくても無理はないのだ。
加州たちだって、あの時は気が動転していて一瞬殺気立ってしまっていたけど、落ち着いてからはむしろ表情の変化に気付いた薬研に感謝している。
広間に戻った薬研にフォローを入れるのは、きっと誰かが上手くやってくれるだろうと予想していた。


「・・・・・・」


コチ、コチ、と、部屋に飾られている時計が秒針を刻む。

―――静かだ。

最近は特に、べにはじっとしているときの方が少なかったから。
じっと様子を見ていても、寝返りをうつ気配もない。

・・・もし、このまま動かなかったら―――?

そっと口鎧を外して、頬をべにの口元に近付ける。
すー、すー、と断続的に頬にかかる息に、ほっと胸をなでおろして元に戻った。


「・・・鳴狐、」


ふわりとした毛並みが、手をくすぐる。
久しぶりに声を聞いた気がするのは、自分に余裕がなかったからか、狐も緊張していたからか。
今は心配げに鳴狐を見上げる瞳に目元を緩め、その頭をモフモフと撫でて抱きしめた。
居心地を確かめるように、慰めるようにぐりぐりと頭を数度鳴狐に擦り付けた狐は、ポフポフとその小さな肉球で鳴狐の胸を叩く。


「大丈夫ですよぅ、鳴狐。薬研殿がすぐに席を外されましたし、きっと容体は落ち着いています」

「・・・そうだね」


そうであれ。そうであれと願いながら、狐の小さな身体を抱きしめる。
薬研はこれからもこういうことはあるかもしれないと言っていた。
なら、この胸を抉るような悲しみにも、慣れていかないといけないのだ。
その小さな額に浮かぶ汗を、濡れタオルでそっとふき取る。


「・・・早く、元気になってね、べに」


元気な君が、一番だから。


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