薬研藤四郎は読み聞かせが得意


「んっ、んっ、ふんっ」

「あっ、駄目ですよべに様!まだしっかり治ってないんですから・・・!」


隙を見て外に向かってはいはいしだしたべにを、秋田が慌てて抱き上げる。
一瞬きょとんとしたべにが近くにいた五虎退を見て、「・・・あーんっ!」と不満げな声を出した。


「う・・・ご、ごめんなさい・・・で、でももし、またぶりかえしたりしたら・・・!」

「あー!」

「う、うぇ・・・っ・・・」


バタバタと手足をばたつかせて抗議するべにに、涙目になる五虎退。
負けそうな様子に秋田が慌ててべにと顔を合わせるように抱きなおし、本人なりの怖い顔をしてみせた。


「駄目、ですっ!」

「・・・・・・・・・」


秋田の太ももに立つように足裏を付けたべにだったが、怒られていることに気付くとふぇ、と唇がへの字になり。


「ぅ、ふえぇ〜・・・!」

「う、うわぁっ、あっ、な、泣かないでくださいよべに様・・・!」


今度は秋田が慌てる番になった。


「・・・最近、“泣く”ことを覚えたよな、べにのやつ・・・」

「?べに様は最初から泣いてたじゃない」

「いや、そういう意味じゃなくてよ」

「あぁ〜〜〜ん!」

「ああぁあぁ・・・!べに様〜!」

「ぅあ、べにさまぁ・・・!」


狼狽する秋田と五虎退を眺めながら、首を傾げる乱にどう説明したものかと頭をかく。
涙を武器にするようになったというか、泣いたら要求が通りやすいと覚えてきたというか・・・
これを完璧に身につけてしまわねえといいんだが・・・と一抹の不安を感じつつ、それでもそうして自分の要求を伝えようとするべにについ成長を喜んでしまうのは、親心というやつか。
べににつられて泣きそうになっている五虎退と、叱った手前慰めなくてはとオロオロする秋田。
二振りの奮闘を見ているのも微笑ましくていいのだが、ちっとはまぁ、可愛い弟たちに助け舟を出してもいいころ合いかと薬研は腰を上げた。


「べに、こないだ紺野の旦那が持ってきてくれた本があったろ。あれをまた読まねえか?」

「ぅあ〜・・・、・・・?」

「ちょっと待ってな」


部屋の隅に備え付けられ、徐々に中身の詰まってきた低い本棚から、比較的薄いそれをひとつ取り出す。
初めのころは歌仙や燭台切が買いまくった育児本や料理本しかなかったが、最近ではそこに新しい種類が加わったのだ。


「ほら、べに。来な」

「んー・・・った!」


たしたしと畳を叩きながらこちらに向かってはいはいしてくるべにが程よく近づいたところで、その脇に両手を差し込んで膝に抱え上げる。
べにの機嫌がよくなったことを察してほっと安堵の息をつく五虎退と秋田だが、乱は頬を膨らませて不満そうな表情をしてみせた。


「もう、ずるいよ薬研!次は僕だからね!」

「あぁ。読み終わったらな」

「たい!あー!」


べしべしと表紙を叩くべにに促されて、何度も読んだ絵本を再び開く。
不思議な色合いで描かれたそれは、何度見てもどう描いたのかと感心させられるが、今集中すべきは文字。
本を開いた瞬間から、べには話が始まるのを今か今かと待っているのだ。


「“「おや、葉っぱの上に小さなたまご」。お月様が空から見て言いました”」


歴代の主たちが使っていたのとは少し違う、はっきりとした文字。
その一つ一つに丁寧に音を乗せていけば、べにが本に集中しているのが伝わってきた。
たったそれだけ書かれたページをぺらりとめくり、次のページへ。また少しだけ読んで、ぺらり。
次々と変わっていく絵に、少し不思議な形をしたページに。べにが引き込まれる気持ちもわからなくはない。
医学書も、育児本も、料理本も。読めば「成程、」と納得できる内容で、新たな知識を得ることができる、素晴らしいものばかり。
そういった“知識”とは縁遠いはずのこの絵ばかりの本が、何故か妙に心を引き付けるのだ。
この本は、数を教えているのか。それとも曜日か、はたまた虫の成長か。
初めのころはこの本を読み聞かせることに多少の疑問もあったが、何度も読むうちにその考えが少し違うのではと思うようになった。
この本が教えていること。それは今挙げたことすべてであると言えるし、全く違う観点であるかもしれない。
けれどそんなことを考えながら読み進めていくうちに、徐々に自分も絵本の世界に引き込まれ―――


「薬研はいるかい?」


ふ、と。
夢の時間の終わりのようにひょいと顔を出した現実が、ページをめくる手を止めた。


「・・・歌仙の旦那?あぁ・・・って、悪い。そういや今日、畑当番だったな」


いけね、と自分の額をペチリと叩く。
今朝約束したばかりのことを、つい忘れてしまっていたようだ。
薬研の様子を見て呆れたようにため息をついた歌仙だったが、特に気にした風もなく笑顔を見せる。


「忘れていたのかい?珍しいこともあるものだね。いいさ、今から行けるかい?」

「ああ。悪いなべに、またあとで読むか」

「っあぁ゛―――ん!!!!」


ら、と絵本を閉じた、その瞬間。
突如間近から立ち上った悲鳴のような号泣に、その場にいた全員が一瞬何が起こったのかわからずに目を瞬かせた。


「え・・・な、べに・・・!?」

「ど、どうしたんだい!?何があっ・・・」

「ぅ゛あぁ―――っん!ふぐ、ああ―――ん!」


歌仙の言葉にも聞く耳持たずといった風の泣き方に、これは異常事態だと全員がべにに駆け寄る。
けれど、今の今まで大人しく薬研の膝に収まっていたべにだ。どこかを怪我する要因もなければ、たとえ熱がぶり返していたとしても唐突にここまで大泣きする理由にはならない。
一体何が、と顔を真っ赤にして泣き叫ぶべにに全員でおたついていると、ふと、五虎退が床に置かれたそれに目を留めた。


「も、もしかして・・・」

「!?五虎退何かわかった!?」

「ひぇっ・・・あ、で、でも違うかも・・・!」

「何でもいい、気付いたことを言ってくれ!」


全員のすがるような視線に、普段主張らしい主張をまるでしない五虎退が、咄嗟にそれに手を伸ばす。
そしてかの人の印籠のようにべにの前に掲げたそれは、壁のようにべにの視界をふさいだ。


「えっ、絵本!べに様、絵本の続き、読みませんか!?」


ぴたっ。

その瞬間、部屋中・・・いや、本丸中に響き渡っているのではないかと思えるほどの声が、一瞬で収まった。
あまりの状況の変化に、提案した五虎退ですらぽかんとしていると、「ひぐ、」と喉を鳴らしたべにの顔が再びくしゃりと歪む。
慌てて絵本を開いて、薬研が先ほどまで読んでいたページの続きから読み出す五虎退。
魔法か何かのように絵本に集中して、食い入るように見つめるべに。
それらを囲んで、未だ呆然とするしかない面々。


「・・・・・・絵本を途中で止めた、から?」


乱が呆然としたままぽつりと零した言葉に、どこか冷静な自分が「やっぱりそれか、」と納得する。
ただ・・・一方で、何故か腹の底からこみ上げるように笑えてきてしまった。


「ま・・・じか、べに・・・っぶ、っくく・・・と、途中で止めたから・・・って、全力で泣きすぎ・・・っ」

「薬研・・・原因は君なんだから、ちょっとは反省の色をみせたらどうだい」


たしなめる歌仙も、口ではそう言っても声が震えている。口元も奇妙に歪んでいるし、笑いをこらえているのがバレバレだ。
五虎退が読み上げる様子が少したどたどしいことですら笑ってしまいそうで、んん゛っ、とひとつ咳払いをして気持ちを切り替えた。
べにを笑うのも、五虎退を笑うのも。愛おしさからくるもので、悪いものでは決してないのだが・・・五虎退は気にするだろうしなぁ。


「乱、あと頼んだぜ」

「はーい。いってらっしゃい」


ひとまず畑に行かなくては、と膝の上から乱に受け渡しても、べにの視線は絵本に釘付けもいいとこ。
こんなにこの本好きになってたんだな、と感心しながら歌仙と共に静かに部屋を後にした。
これは、紺野の旦那に他にも絵本を見繕ってもらうように頼まなきゃあいけないみてぇだな。


「たまたま知り合いに勧められたって言ってたが、これからも世話になりそうだな」

「そのうち一人でも読みそうだね。それでわざわざ危ないところに向かう癖が治ればいいんだけど・・・」


はぁ、とため息をつく歌仙もたいがい過保護だが、前半の言葉には賛成だ。
べにが自分で絵本を開いて真剣に読む姿を想像して、早くそうなればいい、とくつりと喉を鳴らした。


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