紺野は手を尽くす


『座標軸安定、固体識別完了、通信子機“こんのすけ”とのシンクロ、80%、90%・・・100%。紺野管理官、通信モードに入ります』


手続きの音声、フォン、という軽いノイズ。
一瞬ののちに続けて入ってくるのは、パタパタという軽い足音とかすかな笑い声。
どうやら短刀たちが遠くで遊んでいるらしい、と状況を把握して、音だけでそれが判断できるようになった自分を褒めればいいのか嘆けばいいのか、紺野は少し微妙な気持ちになりながら目を開けた。


「―――お?紺野の旦那か」


そしてその瞬間飛び込んできた、美少年とも呼べる端正な顔立ちのドアップ。
刀剣男士は須く整った顔立ちをしていて、「曲がりなりにも神なのだから、」とそれにも何とか見慣れた紺野ではあったが・・・まさか目を開けた瞬間から視界一杯にそれを拝むことになるとは思わず、一瞬ビクリと身体を揺らした。
そして次に、その位置の異常に気付く。
彼の背後に床が見える。見上げられているのだ、薬研藤四郎に。
いくら短刀とはいえ、こんのすけの視界より低くなるはずもない。
棚の上にでも上っているのか、と首を動かして、ようやく自身の状況に気付いた。

抱き上げられているのか。

まるで赤子を高い高いするかのように、こんのすけの身体を抱き上げている薬研。
一体どうしてこんな状況になっているのか、と小さく首を傾げながら、ひとまず身体の感覚をそれに合わせた。


「ちょうどいいところに。ちっと頼まれてくれねえか?」

「・・・・・・」

「そう嫌そうな顔すんなって」


最近気配だけで自分かこんのすけかを見極めるようになってきた刀剣男士たちに、紺野は内心でため息をつく。
表情だってそうだ。こんのすけは人間の微細な表情の変化・・・ピクリと片眉を上げたくらいの表情を表現できるほど表情に関しては精密ではない。
そのはずなのに、悪びれる様子もなく笑う薬研は当然のように読み取ってみせる。


「・・・まずは降ろせ、薬研」

「おっと、すまねえ」


話はそれからだ、と降ろすように言えば、今気づいたと言わんばかりの表情でひょいと腰を屈めて紺野の身体を解放する。
ようやく感じた床の感触に、慣れてきた四足歩行で足をつけて―――


「ぅぐっ!?」


盛大に、顎を打ち付けた。










「あぁ、薬研・・・と、紺野?」


何やってんの、と薬研に抱きかかえられて部屋に入ってきた紺野に、加州が珍しい、とばかりに問いかける。
こんのすけの表情筋の性能をいかんなく発揮して顔をゆがめる紺野とおかしそうに笑う薬研の表情は見事な対比だ。
昼寝をするべにの傍で報告書を読んでいた加州は、笑いそうになるのをこらえながら「珍しいね、」と今度こそ口に出した。


「それがなぁ。紺野の旦那、足元がおぼつかねえみてえで、しっかり立てねえんだ」

「・・・“こんのすけ”の体位と俺の体位が、正しくシンクロしていなかっただけだ。もう修正は終わっている」

「二回も盛大に顎打ち付けた奴が何言ってんだ」


本丸の見回りに来たっつーから、足になってんだ、とそう重くもない小さな身体を抱えなおす薬研と、ふてくされたように視線を逃がす紺野。
そのいかにも渋々、といった様子に軽く笑った加州は、ひとつ咳払いをして「あのさ、」と話を切り出した。


「薬研、この前言ってた絵本の話はできた?」

「おう、快く引き受けてくれたぜ」

「おい、捏造するな。当たってみると言っただけだ」

「紺野がそう言ったってことは、快諾ってことでよさそうだね」

「・・・おい」


頭上で勝手に話を進める二振りに不満げな声を出しても、もはやその程度の抵抗を気に留める素振りもしなくなった。
最初の頃の、こちらの一挙一動足に神経を張り詰められるのも居心地が悪かったが・・・、この扱いもいかがなものか。
ただ実際、紺野に絵本を渡した人物は喜び勇んで大量の絵本を持ってくるだろうと考えていたからそう答えたということも加味すれば、彼らの反応も間違ってはいない。
つまりこれは自分の受け答えが読まれているのか・・・?と逡巡した紺野は、結局まあいいか、と小さくため息をついた。
大きな問題にならなければ、それでいい。


「まあそれはいいとして。・・・それとは別に、紺野にちょーっと聞きたいことがあるんだけど」

「・・・・・・なんだ」


ふと、加州のまとう雰囲気が重くなったのを感じる。
かすかに警戒する紺野に、加州もまた自分の感情の機微を見透かされているとことを感じて何とも言えない気分になるわけだが、それは紺野のあずかり知らぬところ。
「あのさぁ、」と不満げに声を出す加州に、紺野は静かに思考を巡らせた。


「演習で、他のところの審神者にいろいろ聞けてさ。・・・この本丸に馬が居ないのって、何で?」

「・・・言ったろう。実績を出していない本丸に振る袖はないと。怪我を恐れて近場の出陣ばかり繰り返す本丸に、評価は下らない」

「それは・・・!」

「報酬とは、成果を出した見返りとしての意味もあるが、本来は次の成果を期待した投資のようなものだ。利益がなければ、それもなくなる」

「そんな・・っ」


機械的な紺野の言葉に、加州が言葉を失う。
あまりに事務的。あまりに、無感情。
淡々とした紺野の声は、出てきそうになるすべてを押し殺しているようにも聞こえて、加州は二の句が継げなくなってしまった。
そんな加州の様子に、紺野がぐっと唇を引き結ぶ。
そして、しばしの沈黙の後、重い口を開いた。


「・・・出陣の範囲を増やしていくのであれば、検討しよう」

「・・・・・・。・・・言ったね?薬研、行くよ」

「おう」


立ち上がった加州に続いて、薬研も紺野の身体を降ろしてバタバタと部屋を出ていく。
出陣の準備をするのだろう。「みんな、集合ー!」と大声で集める声を遠くに聞きながら、紺野は深くため息をついた。


「まぁー・・・」

「!」

「ぁむ、たぅ・・・」

「・・・・・・」


寝言、か。
ふすー・・・ふすー・・・と穏やかな寝息を漏らすべにをじっと見つめて、紺野は短い前足で鼻の上を押さえた。
加州清光は、わからない。
さっきの重い雰囲気と言い、この本丸で最も紺野を信用していないのは間違いなく彼だ。
言葉のひとつひとつを丁寧に拾い、紺野が出すまいとする情報や、感情までもを見極めようとする。
色々なものを隠さなければならない身としては、彼の視線は時にから恐ろしいものがあった。
一方で、最も距離を縮めて来ようとするのも、彼。
無遠慮に身体を持ち上げたり、急所の傍に置いたり、・・・こうして、べにの傍に残したり。


「・・・んん」

「・・・・・・」


むずがるように、べにがうっすらと生えそろってきた眉を寄せる。
逡巡した紺野は周りに男士たちが居ないか注意深く確認して、足音を立てないようにその頭に近付き。
柔らかな毛並みを誇る尻尾で、丁寧に、ゆっくりと。顔にかかった細く柔らかい髪を、そっとどかした。










コツコツコツ、と靴の音が部屋に響く。
威嚇音のように、こちらに意識を向けろと挑発するように。
それでもなおこちらを意識から外すその男を、決して無視できない声量と目の前に置いた書類で強引に呼び出した。


「専務」

「・・・なんだね、これは」

「ID125320の本丸へ、これまで滞っていた報酬の請求です」

「・・・・・・」


数十枚に渡る資料をパラパラとめくってざっと目を通すと、バサリと机上に投げ捨てる。
とても内容が頭に入ったとは思えないが、お互い言いたいことは分かっている。
これは、あくまで形式的なものだ。


「この話は以前したはずだろう。馬の代わりに資材を多めに渡してあるはずだ」

「全く釣り合っていないということも、以前お話しさせていただいたかと思いますが」

「最近、”あちら”へ行っている時間が少し長いんじゃないのか?既定に沿って行動してもらえると、君の行動を疑うという、余計な心配も労力も割かずに済むんだが」

「彼らも力をつけてきた分、必要な情報も増えてきたようで」

「本当に必要なのかね?」

「・・・・・・、は、」


予想外の言葉に、よどみなく返していた言葉が詰まる。
何を、必要でないと、言っているのだ。


「駒が考える必要はないだろう。ただ行く戦場で戦うだけの仕事の、どこにこれ以上必要な情報があるというのだね」

「・・・・・・」


呆れてものも言えない、とは、こういうことか。
戦ったこともない者が、どうしてそれを言えるのだろう。
審神者同士が繋がる情報の場にも参加させないくせに、その“行く戦場”を選ぶための情報すら、与えていないくせに!


「それに前にも説明しただろう。成果を期待できない本丸に、投資はできない。ビジネスの基本だぞ?」

「そちらの資料に、当本丸の成果について記載しました。一度ご覧になってから、もう一度検討していただきたい」


ふつふつと沸き上がる思いに一旦蓋をして、これ以上男に勢いを与えないように資料をもう一度机に置きなおす。
嫌そうに顔をしかめる専務に、もう一言。


「少なくとも彼らは、与えられた仕事に全霊を注いでいます。これを評価するのは、妥当かと」


あんたみたいに、自分の利益しか考えていないやつよりは、報酬を与えるに妥当なんだよ。
喉から出そうになる言葉を必死に押しとどめ、「よろしく、お願いします」と頭を下げてすぐさま踵を返す。
他にも、することは山とある。
この男に、これ以上時間を割いてたまるか。


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