今剣が過去を想う時


懐かしい空気。
懐かしい、気配。
暖かな・・・記憶。




『おぉ、美しい。“今剣”、この刀を私の守り刀としよう』




「・・・おい、何だよその顔は」

「たぬき・・・」

「どんどん顔が死んできてんじゃねえか。腹でも下したか?」


厚樫山に近付くにつれて甦る記憶に、つい、物思いに耽ってしまう。
本丸を出てすぐはあの時代に行けることが楽しみで仕方なかったのに、その気配を濃厚に感じれば感じるほど、楽しさなんてどこかへいってしまった。
軽口混じりに声をかけられて一瞬むっとしたけれど、振り返った先の気遣うような目にその勢いもしおしおと萎えていく。


「(これだから、このたぬきさんは・・・)」


何も言えずにいると、反論がなかったことにますます心配した同田貫が、歩調を合わせて隣に並ぶ。
それでも何かを問い詰めるわけでもない様子に、少し考えて・・・それから、ポツリと口を開いた。


「・・・このじだいには、ぼくのまえのしゅじんがいるんです」


まだ、しんでないんです。
言葉にすれば、それはずしりと心の上にのしかかる。
確認するように、しんでない、と。
まだ、生きている、と。


「ここからなら、まえのしゅじんをたすけられるかも」


口を突いて出た言葉に、はっとなって慌てて口に手を当てた。
幸い他の面々には聞こえていなかったようで、進軍の歩みが止まる様子はない。


「・・・・・・」


ごめんなさい、と。唇だけが動いた。
こういうことは、考えちゃいけない、思っちゃいけないと頭に植え付けられている。
顕現したときに、まとめて頭に入ってきたことのうちのひとつ。

・・・そう、植え付けられただけ、で。

納得、は。


「・・・俺には、歴史を変えてまで助けたい主、ってのはいねえからな」


お前の気持ちは、わからねえよ。
放り出すような言い方にも聞こえる言葉は、同田貫の不器用さそのもの。
短くはあれど、先輩として色々なことを教えてきたから、彼のそういうところはよく知ってる。
だからこそ、答えを、期待した。


「れきしをかえては、なぜいけないの?」


それは、心の奥に、ひっそりと抱えていた疑問。
歴史を変えれば、未来が変わる。恐れているのは、未来が変わってしまうこと。
けれどそれが、より良い未来なら?
もし失敗したのなら、またやり直せばいい。なのに、何故頭から否定するの?
じっと、同田貫の顔を見上げる。
まるでそこに答えがあるかのような今剣の視線に、同田貫は眉間にしわを寄せたままふいと目を前に向けた。


「・・・さあな。俺はただ、目の前の敵をぶった斬る。それだけだ」










ザシュ、と敵の喉元を裂く感触を手に、返り血を避けて一歩飛びのく。
やはり敵はそんなに強敵と感じるほどでもない。
同田貫にとっては丁度いい相手だろう、と概ね倒しきった敵の亡骸をひょいひょいとまたぎながらも、脳裏をよぎるのは一つの考え。


「(れきし・・・を、かえちゃだめ。れきしをかえてはいけない・・・)」


ぐるぐると、頭がとれるんじゃないかってくらい考えた。
目の前の敵に自身を振いながら、ずっと自分に言い聞かせた。


「(・・・このひとたちは、よしつねこうのあにうえをころそうとしていた・・・)」


ふと、つい今しがた命を刈り取った敵を振り返る。
けれど、この時代にあるべきではない死骸は跡形もなく消えていて。
何事もなかったかのように広がる景色に、ずくり、と胸が痛むのを感じた。


「・・・それに、もう、よしつねこうは・・・」


厚樫山の戦いは、義経の死後に起きた戦い。
たとえ今、歴史修正主義者に加担したとしても、義経はもう戻っては来ない。
そして審神者であるべにの力なしに、自分たちだけで歴史を遡ることも、できない。


「・・・・・・」


詮無いこと、とため息をついて、たぬきの様子を見に行こう、と再び踵を返す。
所詮自分は一端の付喪神の分霊。できることなど、それほどない。

―――それこそ、敵の姿まで身を落とさなければ―――


「っ・・・!!!」


ヒュ、と背筋を通った恐怖に、とっさにその場から身を翻す。


「っ・・・さいきん、よくあいますね・・・!」


自分のいた場所に突き刺さった槍に、ツゥと頬を冷汗がつたう。
顔を上げれば、一体の検非違使。そしてその向こうに、検非違使が通ってきたであろう、時空の穴。


「――――――」


それを見た瞬間。
この合戦場も目をつけられたのか、とか。たぬきは大丈夫だろうか、とか。他の敵は、とか。
戦場では常にフル回転させていなければならない思考が、一瞬ですべて停止した。


「よし、つね・・・こう・・・、っ!?」


槍を引く動作に、慌てて意識を戻して身をよじる。
服を裂かれた感覚に、考えるよりも身体が動いていた。
地面に突き刺さった槍を駆け上るようにして敵に肉薄する。喉元に刃を突き立てる。
そうすれば当然、検非違使の背後にあるその姿はよりはっきりと見えて。
あれは、衣川館か。傍に倒れ伏す、奥方とお子。記憶と違わなければ、義経はこの後、この右手に持つ、今剣自身で。


「―――今剣っ!?」


後ろから飛んだはずの声は、心まで、届かなかった。










「―――っふぐぅっ・・・!」


義経の声が、耳に届く。
間に、合わなかったか。
助けられなかった悔しさと、歴史を変えずにすんだ安堵と。複雑な感情に振り回されながらも、せめて最期を、と義経に目を向ける。
赤に染まる視界の中、腹に突き立てられる―――。


「・・・え・・・?」


横に裂かれた腹に、再び突き立てられる、赤い刀身。
今度は縦に、義経の腹を裂く、血まみれの。
ぱっと上がる血しぶきで、赤に染まる視界の中。

―――義経公と目が合った、気がした。

どさ、と倒れる身体に、ヒューヒューとかすれるような息。
ひとは、腹を裂いても、すぐには死なない。
そんなことをぼんやりと考えながらペタリ、と座り込めば、流れてきた血が服のすそを赤く染める。
天狗は赤い、なんて、誰が言い始めたんだっけ。


「おい!今剣っ!」


唐突にたぬきの声が響いてはっと意識を戻せば、目の前に、敵。
検非違使。そうか、まだこの時代にいたのか。
青白く光るそれに刀を構える暇も・・・いや、どうしても、腕が持ち上がらなくて。
ただ呆然と振り上げられる刀を見上げれば


―――――黒。


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