鳴狐は寡黙で賑やか


この本丸の主は、赤子だった。
燭台切から説明を受けて、落ち着いたという主に改めて顔を合わせに来たのだけど。


「あー、う?あまー、ま、ま、うぁー、あ!あーぅ、・・・あー」

「うんうん、右から鳴狐、秋田藤四郎、薬研藤四郎だってさ」

「あーぅ?うー、あ、ま!」

「あー、あれはお供の狐。紺野じゃないからねー」


どうしよう。全く理解できそうにない。

楽しげに声を出すべにという主に、新しく本丸に来た三振りそろって首をかしげる。
当然のように会話してみせる加州には翻訳機でもついているんだろうか。


「加州・・・だっけか?どれだけ一緒に居れば大将の言ってることがわかるようになるんだ?」

「え?わかるわけないじゃん!っていうか、まだ声出して遊んでるだけだと思うけど」

「・・・なるほどなぁ」


聞きたいことを全部薬研が言ってくれた。
加州の腕の中にすっぽりと納まるべにに、秋田が好奇心に負けて近付く。
機嫌がいいのか、近付いてきた指を見たべには、それをぱっと手で掴まえてみせた。
そのまま口にもっていこうとするのを、「あわあ、」と力を込めて抵抗する。
そうすると今度は不思議そうにじっと見つめて検分するのだから、赤子というのは研究熱心だ。


「・・・しかし、本当にこのチビちゃんが大将とはなぁ・・・」

「この手、僕より小さいですよ・・・」

「むしろ身体の大きさとしましては私めの方が近いくらいですなぁ!」

「・・・・・・」


本当に、小さい。
秋田の指を握り込む手は、鳴狐の手のひらにも満たない。
きっと鳴狐たちの本体のことも、握ると言うより掴む程度しかできない。


「この子、お父さんやお母さんはどうしたんですか?」

「・・・いないよ。孤児なんだってさ」

「そ、そうなんですか・・・」

「あー、ぅ?ふぁー」


「こんなにかわいいのに・・・」と秋田は言うけど、捨てられた理由はきっとそこじゃない。
でも、その言葉にはコクリと小さく頷いた。
秋田の指を十分見たのか、さっきまで大泣きしてたとは思えないくらい大人しくなったべには、加州の腕の中からこちらを見上げてくる。
その目は零れ落ちそうなくらいまん丸で、舐めたら甘そうだな、なんてことを考えた。


「アンタたちにもべにの世話ができるようになってもらうからね。とりあえずは乳の与え方から!」

「出ないぞ?」

「知ってるよ何言ってんの!?」

「私めも、人の仔は面倒を見たことがなく・・・」

「そもそもお前雄だよね!?」


薬研が冗談を言ったのは表情でわかるけど、狐、お前本気で言ってるね。
加州に突っ込まれて毛を萎ませた狐の鼻先を手で押せば、「うむぅ、」と小さく唸って黙り込んだ。
しおしおと耳を垂れる狐を慰める意味で軽く頬ずれば、燭台切から小さな笑い声が聞こえてそちらに目を向ける。
目が合った燭台切はコホン、とひとつ咳払いをすると、べにの頭を撫でながら反対の手の人差し指をピ、と立てた。


「実は、人間の乳と同じ成分の粉があってね。それを適温の湯に溶かして、哺乳瓶っていうので飲ませるんだ」

「成程〜・・・便利なんですね」


秋田が感心したようにつぶやくのに、コク、と頷いて同意を示す。
乳母もいない本丸で、どう生きていくのかと疑問だったけど。
どうやら鳴狐が使われていた時代より、こちらは大分生きやすいらしい。


「燭台切は乳を作るのは上手なんだけどね・・・飲ませるのが下手で」

「う・・・面目ない・・・」


今度は燭台切がしおしおと耳を垂れる。
・・・いや、耳は付いてないか。少し見えた気がしたけど、気のせいだった。
大きい身体を小さくした燭台切を呆れた目で見ていた加州が、「他の事を引き受けてくれるから、助かってはいるんだけどねぇ・・・」と仕方なさそうにため息をつく。


「今は俺しか飲ませられるやつがいないから、夜番が俺しかできない状態なんだよね・・・」

「夜番?」

「大体一刻ごとくらいに起きて乳を飲ませたり、おしめを替えたりする役」

「う、うわぁ・・・」

「さ、さぞかし大変な仕事でしょう・・・」

「いっそ起きてたほうが楽だよ。でも毎日とか勘弁して」


だから早く飲ませられるようになってね。あ、あとおしめも機会を見て練習するから。
疲れた顔で遠い目をする加州の腕の中で、べには何が面白いのか「あー」と笑ってみせる。
「べにのせいなんだけどさ・・・」とは言いつつ、笑顔にほだされるのか加州の顔にも微かな笑みが浮かんでいた。


「(・・・いいな、)」


あの笑顔を、こちらにも向けてもらいたい。
でも加州の腕にうまく収まっている様子を見ると、代わってほしいとも言いづらい。
こういうときに限って普段よく代弁者をしてくれている狐は役に立たなくて、「おや鳴狐、どうぞいつものように撫でてくださっていいのですよ?」とか違う、そうじゃない。


「あぁそうだ、せっかく集まってるし、今後の予定でも伝えとこうかな」

「予定?」

「うん、どうも近々出陣する必要ができそうなんだよねー。それぞれ鍛錬、しておいてもらえる?」


なんでもないことのようにそう言いながら、「あっつぅ、」とあっさりとべにを床に下ろす。
畳だから別にまずいことはないんだけど、さっきまで望んでいた場所があっさりと空いたことに思わず目を見開いた。
加州に下ろされ、しばらく呆然とした後、抱き上げてもらえないことを察して「ふあ、あー・・・ふぁー・・・!」と泣き出すべに。
加州は服をパタパタと扇ぐばかりで、抱き上げようとはしない。
せっかくのチャンスなのに、あまりにも衝撃が強すぎて体が全く動かなかった。
その肩から、するりと慣れた重みが遠ざかる。


「どれ、私めのこの毛並みで、主様を慰めてごらんにいれましょう!」


そう言ってトテトテとべにに近付く狐を、少しうらやましく思いながら見守る。
狐はべにの頭に鼻先を近付けてフンフンとにおいを嗅いだかと思えば、おもむろに尻尾で撫で始めた。


「ほーら、中々の手触りでしょう?」


・・・確かに、狐の手触りは中々のものだと思う。
けど、さっきまでの秋田とのやり取りを思い出すと・・・
近付いてきた狐に気がそれたのか、少し泣き声を小さくしたべに。
狐の尻尾がその小さな手に触れた瞬間、むんずとそれが拳を作ったのが微かに見えた。


「ピギャン!」

「・・・ぷっ」


予想通りの光景と、予想以上の狐の反応に、思わず笑いが漏れる。
なんとも獣らしい悲鳴を上げた狐が、毛を逆立ててキャンキャンと吠え立てた。


「笑い事ではございません鳴狐!遠慮も容赦もないこの力・・・っ!?い、痛いですよぅ!毛が毟られてしまいます!」


それでもべにを傷つけないように爪や牙は立てないのだから、その姿は褒められるものだろう。
涙目になってきた狐の頭を撫でて、その尻尾を掴む小さな手に自分の手を添えた。


「・・・その辺にしてあげて、べに」


あー、と今まさに口に入れようとする手を止めて、そっと手を放させる。
その小さな手に狐の毛が少し付いているのが見えて、急いで肩の上に避難した狐の我慢強さを少し誇らしく思った。


「あー・・・ぅ、う」

「・・・・・・」


玩具を取り上げられてまた泣きそうになるべにを、今度こそ見よう見まねで抱き上げる。
そして、その温かさに驚いた。
熱、とか。あるわけじゃないんだよね。
加州が「暑い」とべにを下ろした理由がよくわかって、それからなんだか感動してしまった。


「(命、が、ある)」


人は、切った瞬間は熱いけれど、すぐに冷たくなるものだと思っていた。
けれどべには、その熱がずっと続いている。
生きて、いる。
キョトンと見上げてくる様子に恐る恐る揺らしてみれば、幾ばくもしないうちにうつらうつらとし始めるべに。
その姿に、じわりと胸のうちからこみ上げてくる“愛しさ”というものを覚えた。


「へぇ、上手いじゃん」

「よかった、やっぱり打刀くらいの大きさが丁度いいのかな?」

「おや、そいつは聞き捨てならねぇな。俺っちだってそれなりのサイズはあるぜ?」

「ぼ、僕だってそうですよ!鳴狐さん、次、僕にも抱っこさせてください!」

「・・・寝たから、駄目」


左右からべにを奪おうとする短刀たちに、小さく首を振って拒否を示す。
スースーと聞こえてくる寝息に短刀たちは諦めたようだったけど、寝たから、なんてのはただの後付だ。
抱きしめていたい。
その熱を、感じていたい。
この小さな主が冷たくなることなんて、絶対ないように、と。


「・・・鳴狐、私、ちょっとだけ苦手です・・・」

「・・・・・・」


狐の言葉には、聞こえないふりをした。


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