乱藤四郎は悦を求める


「僕は乱藤四郎だよ。何、僕と乱れたいの?」

「・・・ちょっとぉ、教育に悪いこと言わないでくれる?」


ちょっとした冗談も交えて、主と楽しくお話したかっただけなのに。
パシンと返ってきた言葉は、その人の第一印象をすっごく嫌なものにするのには十分だった。


「ほーらべに〜、新しい遊び相手が来たよ〜だから泣き止んで〜」

「え・・・えっと・・・あれ・・・?」


もう乱のことなど眼中にない様子で、その人は腕の中の赤ちゃんをあやす。
あんまり泣き止む様子のないその感じに、正直戸惑いしか覚えなかった。

主様は?

キョロ、と部屋の中を見渡しても、主になりそうな人はいない。
どこに、ともっと隅々まで目を走らせていると、ガラリと部屋の戸が開けられてはっと顔を向けた。


「あ、乱くんも来たんだね!」

「あ、秋田君・・・」


そこからひょっこり覗いた桜色は、名乗られなくてもその雰囲気でわかる。
秋田藤四郎、同じ粟田口吉光の作品で、乱の兄弟刀だ。
とてとてと小走りで近寄ってきた秋田は、少し乱を見上げるとへへ、と嬉しそうに微笑んで見せた。


「よかったぁ、この本丸はまだ新しくて、藤四郎兄弟も僕と薬研兄だけだったんだ。乱くんが来てくれて嬉しいよ!」

「う、うん・・・え、あれ?主様は?」


邪気のない笑みにも、戸惑った表情でしか返せない。
ボクに力を込めた人がいるはずなのに。確かに引っ張り上げるような力を感じたのに。
その人はどこ?ボクの主はだあれ?
そんな思いを込めて首を傾げれば、秋田は「うーん・・・」と苦笑いをもらした。


「・・・信じられないかもしれないけど・・・」


すい、と向けられた視線をたどれば、その先にはさっきのあの人。
「はいはーい、よしよし、」と一定の調子で体を揺らすその腕の中には、まどろみ始めたらしい赤ちゃん。
光景はほのぼのとしたもののはずなのに、どうしてもあの人の第一印象が邪魔をして、しり込みしてしまう。
・・・まさかあの人が?でも、あの人は“人”じゃない。
でも、“人”じゃなくたって、刀が使えないなんてことはないんだし・・・そもそも、刀を使うのは体を得たボクたちなんだし・・・そういうこともありえるのかな・・・?と疑い始めていた乱の耳に、秋田の言葉が入り込む。


「あの赤ちゃんが、僕たちの主なんだ」

「えっ・・・えええ!?」

「っ・・・ふぁ、ふあーっ!ふあーっ!ふあーっ!」

「っちょっと!起きちゃったじゃんかぁ!」


乱の悲鳴にも似た声に、またもや泣き出してしまったべに。
カッ!と乱に怒鳴る加州に、この人とは仲良くなれそうにない!と乱は頭を抱えて縮こまった。










「(どういうことなの、ばっかみたい)」


乱は、加州に怒られたせいで溜まったやり場のない怒りを抱えて、眉間にしわを寄せていた。
ズンズンと当てもなく廊下を歩きながら、初めて体験する“やり場のない怒り”というものを何とか消化しようと対応する。


「(赤ちゃんに主なんて、務まるわけないよ。何にもできないじゃない。ボクたちを振るうことも、握ることもできやしないのに。ううん、それ以前に、ボクたちに指示を出すこともできないんだから、この本丸は全然ダメで、そこに仕えてる刀剣だって全然ダメで・・・)」


思考はごく“人間らしく”、苛立ちの原因である加州を攻撃する形になっていく。
けれど一方で、“付喪神”である自分が、心のどこか別の場所からそんな自分を情けなく思っているのがわかって、乱はその怒りをしおしおと萎ませた。


「(・・・確かに大声を出しちゃったのはボクが悪いけど、その後の加州の声だって十分大きかったじゃない。・・・ボクだけが、悪いわけじゃ、ない、んだし・・・)」


今度は自分を正当化しようとしていることに気づいて、思考が尻すぼみになっていく。
浅ましいようにさえ思える弁解に、自分がどんどん矮小なものになっていっている気がしてしまった。


「・・・ヒトって、難しいなぁ」


はぁ、とため息をついて足を緩める。
ヒトの身体を得て、自由に動く手足を得て。
いいことばかりかと思ったのに、その心は全く自由になりゃしない。


「・・・あ、あれ・・・?」


はっと気づいて回りを見渡せば、まだ案内してもらっていない区画まで来てしまったらしい。
戻ろうにもどっちから来たのかわからなくなっていて、乱は情けないような気分で途方に暮れた。
どうしよう。いや、建物の中であることに変わりはないのだから、歩いていればいつかは誰かに会えるんだろうけど。
でも一歩目をどこに向ければいいのかもわからなくて、キョロキョロとその場で周りを見渡す。


「―――な・・・ね」

「・・・!」


その瞬間ふと耳に届いた人の声に、乱はぱっと顔を明るくした。
よかった、誰か居る。
ちょっとかっこ悪いけど、まだ来たばかりなんだし、そんなにおかしいことじゃないよね。
パタパタと走って曲がり角からひょいと顔を出せば、足音が聞こえたのか、その人はこっちを見ていて。
ピッと、身体に力が入るのを感じた。


「あ、乱。丁度いいところに」


さっきのことなんて何もなかったかのように、すごく普通に話しかけられた。
怒鳴られたこと、忘れるには早いと思うんだけどな。


「・・・何?」

「出陣について話があるから、広間まで着いてきてくれる?」


警戒しつつ返事をすれば、クイ、と顎で着いて来いと示される。
その不遜な態度よりも、言われた内容に図らずとも再び顔が明るくなるのを感じた。
出陣。戦にいける。


「(・・・なぁんだ、加州だってボクの力を必要としてるんじゃないか!)」


一気に軽くなった気分を胸に、ルンルンと鼻歌を歌い出したいような気分で加州の後に続く。
やっぱり刀の本分は戦だよね。武器は使われてなんぼだし!
あぁでも、あの赤ちゃん主が指揮を執ることはできないから、誰かが代わりに指揮を執るのかな?
誰かなぁ、と想像を膨らませながら前を歩く黒い背中に目を向ける。
細身な身体だけど、乱よりはずっと“男”の背中。
やっぱりこの人についていくことになるのかな、と高鳴る胸にそっと手を置く。
ドクドクと伝わってくる熱に、高まる興奮を覚えた、のに。





「悪いんだけど、乱と秋田は二人で協力して遠征に行ってきてくれる?」





告げられた内容に、その熱が急激に冷えていくのを感じた。


「・・・戦じゃないんだ」

「合戦には燭台切と鳴狐、それから俺で行ってくるから。怪我するわけにはいかないし?」


つまりそれって、ボクたちが行ったら怪我する、ってこと?


「本当は一番錬度の低い乱には本丸に残ってもらいたいんだけどね。さすがに来て早々にべにを任せることもできないし。薬研、べにのことは頼んだよ」

「おぉ、任せとけ」


つまりそれって、ボクは何もできない役立たず、ってこと?


「一番近場でいいから」


念押しのように言われた言葉に、ぎゅっと服のすそを握り締めた。










―――風が吹く。
遠征に出て暫く、遠くから合戦の剣騒が聞こえてきた。
足を止めて、風に向かうようにそちらを見る。
この風が吹く先で、・・・合戦が。


「乱くん、どうしたの?」


足音が止まったからだろう。秋田が振り返って首をかしげる。
その手には道中に見つけた資材が抱えられていたけれど、量は大したものじゃない。
秋田も、「あんまり見つからないね、」とぼやいていたのをさっき聞いた。
だったら、きっと。


「・・・ねぇ、秋田君。ちょっと戦場覗きに行かない?」

「!?だ、ダメだよ!僕たち、遠征に来たんだから!」

「でも、たくさんお土産見つけたら、喜ぶんじゃない?」


誰が、とは言わない。
秋田が誰を思って遠征に来たのか、はっきりとは確信が持てなかったから。


「大丈夫。ヤバそうなの居たら、すぐ逃げるからさ!」


逃げ足には自信がある。
短刀であるがゆえに、その身の軽さは実感が深い。
それは、言わなくても秋田だって同じだ。
「でも、でも・・・」と戸惑っている様子ではあったけど、しばし考え込むと困ったような表情で乱を見上げてきた。


「・・・そっと行って、パッと帰ってくるだけだからね?」

「わかってるって!」


大丈夫、いざとなったら戦えばいい。
ボクたちは刀、戦うのが本分なんだから。
そんな気持ちで、また高鳴り始めた胸を感じながらそっと戦場に近付いていく。

―――ドキン、

大丈夫、逃げ足には自信がある。

―――ドキン、

いざとなったら、戦えばいい。

―――ドキン、

加州たちが戦うのなら、ボクたちだって―――

―――ドキ、ン


「・・・み、乱くん・・・」

「・・・・・・っ」


岩陰から、そっと顔を出す。
見えるところに、短刀が3振り。脇差が2振り。
・・・とても、短刀2振りでなんとかできる相手じゃないと、すぐにわかった。


「は、早く帰ろう・・・!」


焦りと不安に満ちた微かな声が、すぐ傍から聞こえる。
うん、とすぐに返事をしそうになって、はっと息を飲んだ。
何のためにここにきたの。
期待された以上の資材を持って帰って、加州を見返すためじゃないの。


「(―――そうか、加州に認めてもらいたかったんだ、ボク)」


極限状態だから、だろうか。
妙に冷静な部分が自分を第三者の視点で見て、淡々と答えを告げる。
認めてもらいたい。
あんな何もできないお飾りの主なんかよりも、自分を率いてくれる加州に。
認めてもらわなきゃ、と戦場を素早く見渡す。
何か、成果を。
敵の姿を掻い潜るように目を走らせれば、視界の端にキラ、と輝くものを見つけて指し示した。
あれを、もって帰れば。


「で、でもほら、あそこに玉鋼が・・・!」

「っ!乱くん!」


突然肩に強い衝撃が走って、思わず一瞬目を瞑る。
はっと開けた目に見えたのは、桜色の柔らかな髪。
それから、赤に染まった醜い刀。


―――あぁ、なんでだろう。


空はあんなに青いのに、全然綺麗に見えないや。


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