同田貫正国が怒鳴る時


「おい。今剣になんか用でもあんのか」


紺野が姿を見せるのは、基本的に用事のあるときだけだ。
たまに加州が肩に乗せている姿も見ることは見るが、あれも本意ではなさそうだし。
つまりはこうして何をするでもなくただそこにいるなんて状況は、めったにないことだった。
それでも何かあるのかと問いかけてみたものの、小さな狐の背中からは何も語られない。
またお得意のだんまりかよ、とため息をついて頭をガシガシとかき、警戒はしているものの無防備な背中に手を伸ばす。


「・・・・・・記録だ」


その手が首根っこを掴むか否かのギリギリで、ぼそりと吐き捨てられた言葉に、ピタリと手を止めた。


「・・・記録?」

「・・・・・・」

「おい、説明しろ」


言うだけ言ってまた黙る紺野を、今度こそつまみあげる。
つまみあげられたことにか、はたまた“記録”を邪魔されたことにか。
眉間にしわを寄せる紺野に無言で説明を促せば、しばし迷って考えた様子の紺野だったが・・・、不意に、ぐっと睨み付けるようにこちらを見据えてきた。


「・・・時代を、勝手に超えたのだろう」

「ああ?」

「ほかの本丸から報告のあった、検非違使の使う“穴”か。・・・だから早急な対処が必要だと、あれほど・・・」

「おい、答えになってねえぞ」


途中から独り言のようにぶつぶつと言い始めた紺野の身体を軽く振れば、「う、」と気持ち悪そうに眉をしかめた紺野が再びこちらに視線を戻す。
改めてそれに応じれば、観念したのかため息を一つ吐いて、確認するようにゆっくりと話し始めた。


「・・・最近発見された事象だ。一定の練度を超えた短刀が、修行に出たいと申し出る。行き先は・・・前の主の時代」

「・・・!」


その言葉に、あの血だまりの光景がフラッシュバックして思わず息を詰める。
掴まれたままでダイレクトにそれを感じ取った紺野が「・・・やはりか」と嘆息して、身を震わせたのに思わず手を放す。
綺麗に四本足で着地した紺野は、何事もなかったかのように先ほどの位置に戻ると、再び今剣のほうを向いて腰を下ろした。


「・・・練度は達していたのだろが・・・、今回は、自ら望んだタイミングでもない。恐らく心構えができていなかったのだろう」

「・・・・・・」

「審神者たちが“修行”と称するそれは、刀剣と審神者の絆が結ばれ、刀剣がどんな真実を知ったとしても審神者の・・・現在の主の元へ戻ってくると審神者が判断したときに、ようやく生かせる覚醒の儀だ。特に短刀は、その身形に引きずられてか太刀等より心持ちが幼い者も多い。その全ての“記憶”を、始めから与えると・・・こうして“折れ”てしまいかねない」

「!?」


つらつらと語る紺野の、聞き捨てならない単語に慌てて今剣に目を向ける。
人形のように生気のない瞳。自身を守るように小さく折りたたまれた身体。
その腰に下げられたままの刀身は、鞘に入っているものの折れている様子はない。
けれど、確かにその“心”は。


「全ての“記憶”を受け入れられれば、その潜在能力もまた引き出せる。・・・が」


紺野も、言いながらもその言葉には何の期待も込められていないことが感じられる。
それもそうだ。
今のこの今剣に・・・、そんな期待をかけられる理由は、一切、ない。


「・・・“つよい”んじゃなかったのかよ」

「・・・?同田貫?」


一定の距離を保つ紺野の隣をすり抜けて、ふさぎ込む今剣にズカズカと近付く。
その胸倉をつかみあげればあっさりと持ち上がって、その体躯の小ささを改めて感じた。
そして何の反応もない幼い顔を―――

パシン!


「!・・・」

「こんなことで“折れ”てんじゃねえよ!」


遠慮なく、叩いた。
乾いた音が響いて、驚いたように見開かれた瞳が銀糸の向こうに隠れる。
乱れた髪のかかった今剣の頬が、じわりと赤みを増していく。


「・・・には、・・・・・・いです・・・」

「あ゛ぁ!?」

「ったぬきには!わからないですよ!」


かすかに聞こえた声に凄めば、ばっと顔を上げた今剣が噛みつく。
その瞳は乾いているはずなのに、泣いているように、見えた。


「とくていのあるじを!いのちにかえてもまもりたいあるじをもったことのないおまえには、わからないですよ!」

「っざっけんな!俺たちの主はべにじゃねえのか!」

「・・・・・・・・!!!」

「この本丸を馬鹿にした俺に切れたのは、お前だろうが!!」


今剣の言葉には、全く同意できない。
確かに今剣の言う通り、俺は量産品だ。生まれた時代も時代で、絶対にこいつだと、心に決めるような主はいなかった。
だが、それがなんだ?
少なくとも今、俺はべにに仕えている。
たとえ自分を振えるような主でなくとも、守ると決めた人間。
それを教えてくれたのは、お前だろうが、今剣!

怒りに震える身体を抑えながら、何とか今剣の反応を待つ。
はっとしたように目から怒りの色を消して、じっと何かを考える今剣。
少しは落ち着いたようなその様子に、こちらも気を静めて手を放す。
そして今剣が地に足をつけるとほぼ同時、不意に、トントン、と障子を叩く音がした。


「今剣がこちらにおると聞いた。入ってもよいか?」

「あ?・・・おお」


丁寧な断りの言葉に、思わず了承の返事を返してから首を傾げる。


「(誰だ?)」


障子に映るやけにでかい影にも覚えがない。
新しく鍛刀されたのだろうか、とスラリと障子を引き、入り口をくぐる姿をじっと見つめた。


「(・・・でかいな。大太刀・・・か?)」


紫色の法衣をまとった大男は、同田貫の影に隠れていた今剣を見つけると、嬉しそうに口の端を吊り上げる。


「このような地で再び合間見えようとは。縁とはまこと、不思議なものよな」


そして、身体に見合う大きな、けれどどこか静かな声で、そう言った。


「・・・いわとおし?」


声にか、気配にか。反応を示す今剣に、岩融と呼ばれた男はしっかりと頷いて、静かに問う。


「なあ今剣よ。教えてくれ。主はどういう者だ?」

「・・・あるじ・・・さま・・・」

「左様。我らが仕える、今生の主よ」

「・・・ぼくらの、あるじさま、は・・・」


問われ、今剣の目が泳ぐ。
じっと、今剣の答えを待てば、そう時間をかけることなく、ぽつりと話し始めた。


「・・・ぼくみたいな、たんとうもあぶなくてもてない・・・そんな、ちいさなあるじ・・・です」


確認するように。噛みしめるように。
べにを、受け入れるように。


「きらいなものはこっそりみえないところにかくしたり・・・、あめがすきで、きゃあきゃあいいながらにわにでて・・・どろだらけになって、よくおこられるような・・・そんな、ふつうのおんなのこです」


俯く今剣の足元に、ポタリ、と零れる水滴。
目から水が出るなんて、人間ってのは本当に、不思議な生き物だ。


「まもりたい・・・ん、です。ぼくは、まもりがたな・・・だか、ら・・・っ!」

「・・・そうか」


穏やかに微笑む、岩融。
泣きじゃくる今剣の頭にポンポンと手を置いて慰めるあたり、どこか慣れているようにも感じた。
そんな岩融の対応に少しは落ち着いたのか、大きく深呼吸を繰り返して涙をぬぐう今剣。
そして次に顔を上げたとき、その目には光が戻っていた。


「ともに、まもってくれますか・・・?」

「当然よ!また共に戦場を駆け巡ろうぞ!」

「っはい・・・!」


今度こそ笑みを見せる今剣に、とりあえず何とかなったな、と一つ息をつく。
どうやら、今剣と岩融は何かしらの縁があるらしい。
少しいいところを持っていかれた感は否めないが、そこにどうこう言うつもりもなし。
まぁ、これで今剣の世話焼きもそっちに移るだろう、とそっと出口へと身体を寄せた。


「ところでいわとおし、いつのまにたんとうされていたのですか?」

「ん?俺は拾われだな!五虎退とやらが怯えながら嬉しそうにしていたぞ!」

「そうだったんですね。では、たぬき!いわとおしにこのほんまるのことをおしえてあげてくださいね!」

「・・・あ?」


突然話を振られて、思わず一瞬固まる。
が、その言葉の意味を理解して、慌てて反論に打って出た。


「ちょっと待て!何で俺なんだよ。お前が世話すりゃいいじゃねえか!」

「ぼくはすこし、ようじができました。すこしのあいだここをはなれるので、ぼくがいちばんしんようしているたぬきに、いわとおしのことはまかせます」

「っ・・・!」

「なんたってたぬきは、ぼくのいちばんでしですからね!」

「っておい!なんだそれは!俺はそんなんになった覚えはねえぞ!」

「がはははは!賑やかなことだな!」


自慢げな今剣の声と、怒鳴る同田貫の声と、楽し気な岩融の声が、部屋の中に響き渡る。
いつの間にかただのこんのすけに戻っていた狐が、「仲がよろしいようで何よりです」と満足げに呟いた。


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