和泉守兼定が加わる時


「兼さん」


鼓膜を打ったのは、初めて聞くはずなのに、懐かしいような優しい響き。
それは自分の名前で、呼んでいるそいつは馴染のツレだと知識が教える。
声の主が自分を大事に思ってくれていると確信できるのは、人間の深く、広い感情故か。
それらを感じ取れる自分もまた人間の身体を手に入れたのだと感じて、どこか満ち足りた気分を感じた。
揺蕩うような感覚から引き上げられゆっくりと目を開ければ、光と共に見える、空色の瞳。


「・・・よぉ。国広。おめぇが先か」

「うん。といっても、僕は拾われなんだけどね」

「はっ、どっちもかわりゃしねえよ」

「兼さんはそう言ってくれると思った」


嬉しそうに微笑む堀川国広。共に新選組の刀として、同じ時代・同じ主を共にした刀だ。
最初にあの声で名前を呼んだのもこいつか、と少し背中がむずがゆくなるような気持ちになりながら頬を掻いて、改めてぐるりと部屋を見渡した。
鍛冶場、だろう。熱気と冷気の混在する空間に、おそらくつい先ほどまで力を注がれていたであろう式が、今はただの紙切れとなって地面に力なく落ちている。
自分を引き上げたあの霊力。主は中々の実力者とみた。
心得などなくても、いつか直に握ってもらいてえもんだな、と思いながら、・・・同時に、一抹の不安が頭をよぎる。
・・・まさか、新しい刀剣の完成を近侍と子どもに任せるようなやつじゃねえよな?
思わず少し眉間にしわが寄ったが、タイミングがいいのか悪いのか足元の子どもに何やら話しかけていた堀川はそれに気付かない。


「さ、行こう兼さん。本丸を案内するよ」

「ん?おぉ・・・いや、その前に主に・・・」


せめて、顔ぐらいは見ておきたい。
もしかしたら何か事情があるのかもしれねえし、というわずかな希望は、一瞬きょとんとした表情を見せた堀川によって一刀のもとに両断された。


「あ、そうか。あのね兼さん、落ち着いて聞いてほしいんだけど、僕らの主はこの子なんだ」

「・・・かーしゃん?」

「「えっ・・・」」


さらには、当の子どもが発した、たった一言の爆弾を連れて。










「かーしゃん!」

「う・・・うわぁぁぁああぁっっ!!!!」

「か、加州落ち着いて!」

「こ、これはいったい・・・」


阿鼻叫喚の広間の中に、出陣から帰ってきた面々が入り口で茫然と立ち尽くす。
部屋の中には目を輝かせて新しい刀剣男士の膝に手を置いている主、どうしていいかわからない様子の新入り、そしてその前で床に突っ伏して泣き崩れる加州。
それを取り囲む面々は、苦笑いだったり、おろおろと加州をなだめていたりと忙しない。
だがこの事態に悲観している者はおらず、さらに言えば、先ほど聞こえてきた主の言葉と、日ごろから加州が呟いていたささやかな願い。
それらの事実を組み合わせると、察しのいい者はなんとなく事情がわかるというものだ。


「おやおや・・・まさか、待望の呼び名をこんな新参者に奪われるなんてねぇ・・・」

「べに・・・っ!俺!俺、“お母さん”になれない!?」

「かーしゃ?」

「っそう!おかーさん!」

「かーしゃん!」

「うわああああああっ!!!!!」

「か、加州殿ぉ!落ち着いて下さいませ!」


びっと短い指で自信気に指さされたのは、さっきから戸惑うばかりで一言も話せていない和泉守兼定。
その隣で申し訳なさそうに身を縮める堀川を見て、青江はこの騒動の顛末を察した。


「ふふ、惜しいねぇ。べにがもう少し成長していれば、お楽しみも」


そしてそれは、華麗な裏拳が青江の顔面に決まった瞬間だった。
スッと何事もなかったかのように・・・いや、青江が膝から崩れ落ちていなければ、本当に何事もなかったのだと錯覚しそうになるくらい自然に、一期が加州に歩み寄る。
そして優雅に膝をつくと、加州の背中にそっと手を乗せて微笑みかけた。


「加州殿、どうぞ落ち着いて下さい。察するに彼は、堀川殿の言っていた“兼さん”ですな?あくまで“かねさん”なのですから、べに様もしっかり発音できるようになれば区別もできましょう」

「一期・・・っ!でも、でも俺・・・っ!」

「ご安心ください。じぃじに始まり、にーに、まま、おかあさんの立場は不動です」

「うむ。べによ、じぃじのところに来るといい」

「じぃじ!」


キラキラと輝いて見えるような笑顔を振りまきながら、加州を言いくるめにかかる一期。
見上げる加州の目には妙な迫力のある一期の笑顔と、その背後に暴風雨のごとく巻き起こる誉桜の嵐。
あぁ、べにがちゃんと三日月のところに行ったんだな・・・と頭の片隅で思うことで若干冷静になってきた加州は、「そう・・・だね・・・」と何とか涙をぬぐった。


「うん・・・そうだよね。“きぃ”だって俺の大事な名前だ。ちょっと呼び名を取られたくらいで・・・くらいで・・・っ」

「そうですよ!大丈夫ですから!」

「心を強く持って加州!」


兄に続いて短刀たちが援護射撃のごとく加州の心を支えにかかる。
一方で、先の衝撃で一度はダウンした青江がフラフラになりながらも何とか立ち上がろうとしていた。
一期の速やかなる制裁を一部始終を見ていた歌仙が、後ろから軽く支えながら声をかける。


「青江・・・大丈夫かい?」

「ふ、ふふ・・・ド真ん中に遠慮なし、か・・・いいね」

「よかった、大丈夫そうだね。もう一発食らいたくなければ、一先ず黙っておくといい」


あまりにも平坦な声の調子に、背中に冷たいものが通るのを感じて青江がスッと姿勢を正す。
この手のことに関して、一番容赦がないのは実はこの背後の男士であることを、青江は身をもって知っているのだ。


「・・・・・・・・・・・・」

「兼さん・・・ごめんね、何だか大変なことになっちゃって・・・」

「国広ぉ・・・俺ぁ、ここで上手くやってける自信ねぇよ・・・」


次から次へと巻き起こる、怒涛の洗礼の嵐。
それに完全に巻き込まれてしまった和泉守に、堀川が申し訳なさそうに声をかけた。
対する和泉守は、なんとも情けない表情と声で堀川に助けを求める。
見た目とは反対の立場になってしまっているが、堀川はそれにも愛おしそうに目を細めてみせた。


「大丈夫。・・・きっと、仲良くなれるよ」


言い含めるように、噛みしめるように。
それが自分に対してなのか、それとも堀川自身に対してなのか。顕現して日の浅い和泉守にはまだわからなかった。
ただ、その言葉の通りになればいいと、眼前の騒ぎを見てため息をつくばかり。


**********
back/back/next