君を取り巻くもの
「お、紺野?何かあったのか?」
「・・・上野か。いや、“こんのすけ”の調子がおかしいのかと」
「こんのすけが?何があったんだ?」
通信室から技術室に向かっていると、珍しい人間と行き会った。
デスクが隣の上野は以前から懇意にしている相手だが、廊下で顔を合わせることは滅多にない。
それが専門の分野が違うからなのかはわからないが、少なくとも今、紺野がぽろりと相談を持ち掛けるくらいには丁度良いタイミングだった。
「本丸との通信中に、眼球ユニットから水が滲みだすという事案が発生したんだ。他にそういう報告は上がっていないか?」
「目から涙?あぁ、そういやそんな機能付けたとか言ってたな」
「はっ?」
「確か、感情の高ぶりに反応して表情を変える機能の一環とか報告が上がってた気がする」
他にも感情を察知して尻尾を動かす機能だとか、と思い出すように天井を見上げる上野に、いやいやちょっと待てと肩を掴んだ。
何だ、目から涙って。何だ、感情を察知して尻尾を動かすって。
「ん?」
「・・・お前、それを許可したのか・・・?」
「面白そうだし、いくね?」
思わず肩を掴む手に力が入ったのは、許してもらいたい。
「審神者からも受けいいみたいだしなー」としたり顔で笑う上野に、実害を被っている例もあるのだと切に訴えたい。
だが、許可を出した上野よりも。評価して天狗にさせる審神者よりも。
「何でそんな余計なことに力を注ぐんだあの科学オタクども・・・!」
「まあ、あぶらあげうまいって食ったり、脂肪つけたり、いろいろ遊んでるからなぁ・・・」
あまりの精巧さから、式神の“こんのすけ”と機械の“こんのすけ”の見分けがつかないとまで言われるほどの生生しさを実現させた科学班。
その技術は褒めて然るべきだが、本当にそこに技術を注ぐ必要があったのかと、小一時間問い詰めたい。
「・・・いいこと、あったんだな」
「・・・は?」
議題としてどう持っていくべきか、考えあぐねているところに思わぬ言葉が降ってきて顔を上げる。
肩を掴んでいるせいでいつも以上に近い位置にある顔が、目を細めて、口角を緩ませていた。
“嬉しそうな”とか“幸せそうな”とかいう形容詞が付きそうな表情に、それはこっちの台詞だ、と片眉を跳ね上げれば、こちらの内情を察したらしく今度は破顔させる。
笑顔だけでなんとも豊かなことだ、と素直に感心した。
「お前、悲しかろうが悔しかろうが感情出さねえだろ。そんなら、泣くほど嬉しかった。どうだ」
「・・・ばかばかしい。そもそも、俺の話じゃ・・・」
「バーカ。バレバレだっつの」
「・・・・・・」
最後まで言わせもしない断言に、思わずむっと顔をしかめる。
そのとたん笑って「お前嫌な顔のバリエーションだけは豊富だよな、」と言われてしまい、益々眉間のしわを深く刻む羽目になった。
そもそも、上野の指摘はお門違いだ。“こんのすけ”が眼球ユニットから水を流す機能があることが分かった以上、先日の事案は“こんのすけ”の誤作動であり、決して“泣くほど嬉しい”なんていう感情を読み取った結果ではない。
「(そんなことが、あってはならない。)」
やはり、技術部に不具合の報告をしに行かなければ。
思考を上塗りするように技術部に文句を言う算段を立てて、上野の肩から手を離す。
こちらを見続ける上野に「参考になった。」と言い置き、その横を通り抜けて再び歩みを進めた。
「・・・羽広げてもいいと思うぜ。ま、目の届かないとこで、だけどな」
後ろから追いかけてくる声に、どう返したらいいかはわからない。
けれど無視してそのまま歩き続けるわけにもいかず、ピタリと足を止めた。
「お前真面目だからなー。黒!って言われたら灰色許せないだろ」
「・・・・・・灰色は黒じゃないだろ」
「そこは白だったのをここまで黒に近付けました!だろ」
唐突な話に思わず返し、それに続いた上野の言葉に。
は、と目から鱗が落ちたような思いがした。
「黒にしろ」と言われたからには、黒にしなければならない。そう思ってこれまで生きてきた。
それが最善なのは間違いない。
だが、上野の言う“羽を広げる”ためには、そういう考え方も必要なのだろう。
「うちの兄そーゆーの上手いんだよ。参考にしてみろって、な?」
「・・・・・・」
軽い口調の上野の言葉に返事はせず、再び歩み出す。後ろの気配は動かない。
十分離れたところで、ようやく一つ、息をついた。
上野の言葉は、甘言だ。正しくあるべきは、完璧にこなすこと。
「(ただ、俺が・・・そうしたいと思っていることが、問題なんだ)」
強く、・・・強く、拳を握りしめた。
「紺野が泣いた?」
「うん・・・何か、急に」
「そう・・・」
夕餉の準備をしながら、加州に今日の出来事を報告する。
突然涙を零したあの小狐は、その後呼んだ時にはすでに“こんのすけ”になっていて、何故泣いたのかは謎のまま。
こんのすけに聞いてみてもわかるわけもなく、結局それを目撃した面々で首を傾げるしかなかった。
一先ず珍しい出来事だし、と世間話のついでに伝えてみたけど、加州の反応は静かなもので。
包丁を動かす手を止めるでもなく考え込む加州の様子は、笑い飛ばした獅子王とも、茶化した青江とも、首を傾げた鶴丸とも違っていた。
それは、涙を流した紺野の心情に、寄り添うような表情で。
「・・・加州、あの人のこと、結構懐に入れてるよね」
何かを隠しているのは間違いないのに、それを、“仕方ない”と受け入れている。
それが、不思議でならない。
主が一番の加州が、まるで、紺野も仲間だと言っているようで。
「・・・昼寝してる、べににさ」
ぽつり、と。加州が呟く。
ぼんやりと、遠くを見て・・・その光景を、思い出すように。
「頬ずりしてたんだよね、誰も、見てないと思ったみたいで」
黄色い毛並みが、そっとべにに近付いて。
起こさないように、刺激しないように、そっと。そっと。
まるでシャボン玉を扱うかのような、静かで、優しい、愛情表現。
「あー、アイツにはアイツの土俵があるんだなー。そこで戦ってくれてるんだなー、って、思っちゃったのよね」
不意にこちらを見た加州と目が合って、ドキリとする。
悟ったような目に、紺野への不信感を見抜かれたような気がして。
そんな動揺を察したのか、柔らかく表情を崩した加州は包丁を置くとポンポンと背中を軽く叩いてきた。
「まぁ、お前にわかんないのも無理ないよ。俺だってようやくだから」
「・・・何、それ」
初期刀の余裕か、紺野との関わりの密度の違いか。
上からな物言いにむっとして手を払えば、爪の切りそろえられた手をピラピラと動かして、微笑みながら、一言。
「紺野は、べにのことを大事に思ってくれてるよ」
「・・・・・・」
その言葉に、心の底から納得することはできない。
だって、紺野を不審に思う理由なら、いくらでも挙げられる。
でも、初期刀が。加州が、そういうのなら。
「・・・、・・・うん」
もう少し、見方を、変えてみようかとも思う。
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