薬研藤四郎は世話を焼く


ふすー・・・、・・・ふすー・・・、

小さな小さな寝息が、木々のさわめきに混じって耳に届く。
気持ちいいくらいにパリッと乾いた洗濯物を畳みながら、燭台切はそれでも難しい顔を崩せずにいた。


「・・・・・・」


ぽんぽん、と膝の上で手ぬぐいを叩いてしわを伸ばし、半分に折る。
もう一度、と繰り返して手ごろな大きさに畳み、折り目をそろえて横に重ねる。
すでに二段目に突入しているそれから、まだ畳まれていない手ぬぐいの山に手を伸ばして、するりと一枚取り上げた。
真っ白なそれに目を細めるのもつかの間、昨日の記憶が蘇ってその眉間にしわを寄せる。

・・・この手ぬぐいも、あの手ぬぐいも。
今朝方までは、秋田の血に染まっていたものだ。

はぁ、とため息をついて、またぽんぽん、と手ぬぐいのしわを伸ばす。
単純作業を繰り返しながら、燭台切は半ば後悔の渦に飲み込まれていた。


「(・・・やっぱり、出陣させるべきじゃなかったかな)」


鳴狐、加州と戦果を確認しながら帰ってきたとき、薬研から一番近場に出たはずの短刀二人がまだ帰ってきていないと聞いて、少し心配になった。
けれど慣れていないこともあるだろうし、と待って。少しした頃玄関先が騒がしくなって、戦場で慣れた鉄錆の臭いと、続く火がついたようなべにの泣き声。
最悪だ、と角から顔を出せば、血まみれの秋田が乱と薬研に身体を預けていた。

―――一瞬自分の呼吸が止まったのは、気のせいじゃないだろう。

すぐに手入れをしたことで何とか本当に最悪の事態は免れたが、あんな事態できればもうごめん被りたい。
短刀二人にはべにを無為に泣かせたくないから、と説明したが、本当のところは燭台切があんな姿の短刀たちを見たくなかったから、というのが大きい。
けれどそれは自分たちが刀である以上、きっと繰り返す道なのだ。


「(・・・起きたばっかりで、怒っちゃったしなぁ・・・嫌われた、かな?)」


必要な話だったとはいえ、鳴狐のお供の狐に言われたように、少し時間を置いてからのほうがよかっただろうか。
本人たちも反省しているようだったし、次の出陣のときに話すくらいでも・・・いや、でも直前に言われて浸透しないまま二の舞を見ても意味ないし・・・
綺麗に畳まれていたはずの洗濯物の耳が徐々にずれてきていることにも気付かずに、悶々と手を動かす。
その白い山がほぼ平らになったとき、外の廊下からぱたぱたと足音が響いてきて燭台切はふと顔を上げた。
短刀―――にしては、重い。鳴狐は家の中で走らない。
ということは。


「ねー燭台切、元気?」

「え?あ、あぁ・・・元気だけど」


開け放たれていた障子からひょこりと顔を出したのは、予想通り加州清光だった。
けれど、話しかけられた内容がかなり予想の斜め上で、燭台切は思わず呆然と返事をしてしまう。
しかしそんな燭台切をよそに、加州は一度べにに視線を落とすとかまわず言葉を続けた。


「明日また出陣しようと思うんだけどさ、」

「は・・・秋田君が怪我をしたのに!?君、本気でそれを言ってるのかい!?」


思わず、口をついた。
信じられない。
失敗から、何も学んでないじゃないか!

カッと頭に血が上って、半ば勢いだけで言い切る。
何か考えが、と言ってしまってからはっとなったけれど、覆水盆に返らず。
口元を押さえる燭台切に、加州は驚いたように目を見開いていたが、幾ばくもしないうちに冷めたようにす、とその目を細めた。


「・・・あっそ」

「・・・え、あ、ちょ」


それだけ言うと、燭台切が引き止めるのも構わずにクルリと踵を返して部屋から遠ざかっていく。
さっきよりも足音が高く聞こえてきて、行き場のなくなった手を下げながらそれを見送った。


「・・・、ふ、ぁー・・・あー、あ?だ、」

「、あぁ、起きたのかい?あぁそうか、そろそろご飯の時間だね」


手足をばたばたと動かしたり、横に寝返りをうったりと目が覚めてご機嫌なべにに意識を移して、一旦思考を家事に戻す。
一生懸命寝返りをうとうとするべにを微笑ましく眺めながら手早く残りの洗濯物を畳んで、後で運びやすいように入り口の傍に置いた。
「あー、ぶー、」と声で遊ぶべにを抱いて厨に行き、ポットを駆使して適温の乳を作る。
そうしててきぱきと手馴れてきた家事をこなし、手の甲で乳の温度を確かめ・・・
・・・それでも脳裏を巡るのは、さっきの加州とのやりとりだった。


「(・・・何か、考えがあったんだろうか。即断しすぎちゃったかな。・・・けど、加州も何も言わずに戻っていくことないだろうに。それに、何か考えがあったとしても・・・怪我をした直後に、また出陣だなんて)」


短刀たちは、刀としての年齢こそあれ、精神はその姿に大きく影響を受けている。
初めての戦場での経験が、心の傷となっていない保障はないのだ。


「ふぇ・・・あー、まぁ、だぁ・・・あ?・・・あぅー、うぁー!」

「はいはい、今行きますよ」


べにの催促するような声に、手を添える位置を確認しながらべにを抱き上げる。
肘の裏に頭を添えるようにして、お尻も支えて・・・と恐る恐る膝の上に抱き上げても、どうにも身体から力を抜ける気がしなかった。
・・・どうしてかまだ、べにに乳を上手く飲ませることができないのだ。


「よい、しょ・・・うーん、・・・の、飲むかい・・・?」

「・・・うーま、ぁんま、」


べにの表情もどことなく不満げで、どうしたものかと思いながらとりあえず哺乳瓶を差し出してみるも、眉間には皺が寄ったまま。
口に含んだかと思っても吸う気配がなく、困り果てながらもその体勢で待っていたのに・・・


「ぅむぁ・・・ふぁ・・・ふぇ・・・ふぁー!ふぁー!ふぁー!」

「あああ・・・やっぱり・・・!」


泣き出してしまったべにに、燭台切は両手が塞がっていなければ頭を抱えたい衝動に駆られた。
どうしてだ?加州なんかは「慣れれば身体の力が抜けて、お互い楽にできる」なんて言うけれど、どうやったら慣れることができるのかもわからない。
軽くゆすっても体勢を変えても泣き止む様子のないべにに、こっちまで泣きそうになってくる。


「あぁうん、えっと、どうしよう・・・!?ご飯じゃなかった・・・んじゃないよね?おしめ?・・・は、濡れてないし・・・ぅわあああごめんよ」


抗議されているかのような泣き声に、思わず謝りながらもとにかくあやしてみる燭台切。
そんな彼らの救世主は、白衣を翻して戸からひょっこりと顔を覗かせた。


「大将、どうした?・・・あぁ、乳の時間だったか」

「薬研・・・!いいところに!ちょっと代わりにやってみてくれない?」

「おういいぜ、貸してみな」


実のところ、燭台切がこうして助けを求めるのはすでに一度や二度ではない。
戸惑いもなく慣れたように燭台切の腕からべにを受け取った薬研は、「ほーらよしよし、」と軽く背中を叩きながら身体を揺らすと、あっさりとべにを落ち着かせてみせた。
「ほれ、」と差し出された手に反射的に哺乳瓶を渡せば、当然のようにコクコクと飲み始める。
あまりのあっけなさに、さっきまでの奮闘はなんだったんだ、と燭台切は肩を落とした。


「・・・上手くいかないなぁ」

「・・・それは、どっちのことだ?」


ぽつりと不満を漏らせば、返ってきたのは思ったよりも硬い声。
え、と顔を上げれば、困ったような表情の薬研と目が合った。


「・・・さっき、加州とすれ違ったぜ」

「・・・!」


それで、悟る。
薬研も、出陣の予定を聞いていたのだ。
そしてきっと、薬研は出陣を否定していない。


「・・・乱の怪我を治して、遠征も失敗したけど、資材は増えてた。政府が支給してくれた、らしいが」

「・・・資材のために出陣するのかい?それでまた怪我したら、堂々巡りじゃないか」


さっきよりは落ち着いて返事ができた。
でも、根本的に言いたい事は変わっていない。
資材を探しにいくのか、それとも、怪我をしに行くのか。
一体何のために戦場に向かうのだ、と。燭台切は拳を握り込んだ。
燭台切のそんな様子を見て、薬研は今度こそ苦笑を漏らす。
この刀剣は、とても、優しいのだ。
でもこの一緒にいて心地いい感じは、加州とも同じなんだよな、と薬研は一人頷いた。


「だから、今度は全員で行くんだとさ」

「・・・え?」

「近くにいれば、守れるから、らしいぜ」


一番錬度の低い乱と、病み上がりの秋田が留守番だと。
ついでに、資材が増えたから、もう一振り鍛刀してから行くらしい。
そのためにべにを借りに行ったんだが、燭台切に怒られてしまって今は不機嫌真っ盛り、と。
淡々と加州の様子を伝えれば、驚きに染まっていた燭台切の顔が徐々にへにょへにょと情けないものに変わっていく。
どうやら、自分の早とちりに気付いたらしい。
「・・・カッコ悪いこと、言っちゃったな」とため息をつく燭台切に、ついでと言わんばかりの調子でもうひとつの“上手くいかない”を投げかけた。


「なぁ、何でまだべにが慣れないか、わかるか?」

「・・・正直、お手上げだよ」


この際だ、と燭台切も便乗して聞く姿勢に入る。
話に乗り、自分の短所を突かれても不機嫌になるでもなく改善に努める。
十分“かっこいい大人”だと思うけどな、とべにの口から半分ほど飲み終わった哺乳瓶を取り上げながら言葉を紡いだ。


「子ども、特に赤ん坊は、人の気持ちにえらく敏感だ。お前さん、まだ怖がってるんだよ。大方、壊すんじゃねえかって感じだろうが、そんな脆くねぇから安心しな。べにの身体をもっと自分の側に引き寄せれば、べにだって安定するし安心する。どうやら心臓の音が母親の腹ん中の音と同じで、安心するらしいぜ?」

「・・・よく知ってるねぇ」

「紺野に育児書ってやつを借りてな」


ほら、やってみろよ、と燭台切にべにの身体を押し付ければ、慌ててバランスをとって落とさないように支える。
「もっとこう、」と腕を手前に引き寄せる動作をしてみせれば、燭台切は恐る恐る身体を引き寄せた。
パチクリと目を瞬かせるべにが燭台切の顔に手を伸ばし、「あー、」と乳の催促をする。
「ほらよ、」と哺乳瓶を差し出せば、べにはしごく当然のように続きを飲み始めた。
じゅっ、じゅっ、といい音を立てて飲み進める様子を、目を丸くして眺める燭台切。
どうだ?としたり顔をしてみせれば、ゆっくりと、その目を細めていった。


「・・・べにちゃんが僕の腕の中でこんなに美味しそうに乳を飲むの、初めて見たよ」

「・・・きっとそれが、普通になるさ」


何事も、慣れが肝心だ。
出陣も、育児も。慣れれば手に馴染み、失敗は少なくなる。
きっとそれが、“成長する”ということ。


「ところでその乳って・・・美味いのかね?」

「舐めてみたけど、なんだかよくわからない味だったよ。僕たちは、人の味覚も学んでいかないといけないのかもね」


刀剣達が人の味覚について正しい経験を得るのは、またしばらく後の話。


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