菅原先輩は後悔したくない


5月3日、夜。

一日中散々田中と西谷に付きまとわれて「やっぱサーブすげぇな大野は!!」「うおおおおっ判断早えな!コツ教えてくれ大野!」「物腰が!やわらけえ!」「相手の気持ちを尊重してるんだな!」と褒め言葉の嵐を食らった大野は、夕飯を食べるときにはもうグロッキーみたいな状態になっていた。
そりゃあ普段から遠くにいても騒がしい二人が真横で、しかもずっと自分に話しかけてきてるんだからその精神的疲労たるや計り知れないものがあるんだろうけど。


「二年、風呂入れよー」

「「ウィース」」

「大野、風呂上がったら“反省会”するぞ!」

「ぁ・・・ぅ・・・は、はぃ・・・」


ぱっと立ち上がった西谷と田中の影から、疲れきった表情で、それでも笑顔らしきものを作る大野が顔を出す。
幽霊騒ぎになった昨夜のようにどこかへふらりと消えることもなく部屋にいたから、今日一日自分のいいところを聞き続けた大野の中でも何か変化があったんじゃないかと思いたい。
・・・単純に、二人がべったりでどこにも行けなかっただけなのかもしれないけど。
月間バリボーをめくり始めた大地に声を掛けられて話をしていれば、15分ほどで二年が風呂から戻ってきて入れ替わりに一年が風呂へ向かう。
その後姿を少し目で追って、襖が閉まる前にまた雑誌に目を落とした。


「・・・でな!?大野のすげえところはそこなんだよ!“フェイントだ”って思った瞬間には、もうそこで構えてるんだ!」

「は・・・ぃ・・・はぃ・・・」

「あとは距離感だな!踏んじまうんじゃねえかって位置のときも、猫みてえにサッと避けるから何回か繰り返したら安心できたわ!」

「・・・あ・・・がと・・・ご、ざます・・・」


就寝前の自由時間、部屋の隅に三人で集まって“反省会”をしている中、話しているのに半分意識が夢の国に旅立っていた大野の姿は中々珍しいものだった。
それだけこの一日は大野にとって濃いものだったんだなと思うと少し同情心が湧いて、半分頭に入ってなかった雑誌を傍らに置いて立ち上がる。


「こーら、二人共。いい加減にしてやれよ。大野しんどそうだってわかるだろ?」

「スガさん?いや、でもこれは大野のために・・・!」

「少なくとも、今話しても無駄だべ?」


苦笑して大野を指差せば、自分が話しかけられているのではないと分かったのか、座ったままコックリコックリと船を漕いでいる大野。
気まずそうに顔を見合わせる二人には「今日はもう休ませてやれよ。続きはまた明日ってことで」と声をかけて、一人で立てそうに見えない大野には手をかして布団まで誘導する。
普段なら全力で遠慮しそうな状況を「すみません・・・」と半分口の中だけで言いながら甘受している様子に、笑いながら「いいべいいべ」と布団の中に押し込んだ。
ぽんぽんと軽く肩口を叩いただけであっさりと寝息を立て始めた大野に、本当に疲れていたんだなと驚く反面、ポケットの中に入ったままの紙に意識が向く。
ポケットに手を突っ込めばカサリと鳴るそれに・・・明日は声、掛けれるといいけど、と思いながらもう一度ぽん、と布団を叩いた。
大地の「ほら、明日も早いんだ。もう寝るぞー」という号令に従ってその場を離れ、自分の布団に入る。
試合まで日も少ない。
烏養さんにはああ言ったけど、自分のできることをやらずに、影山にまかせっきりなんて・・・そんな情けないこと、したくないからな。
明日こそ、と決意して、消えた電気に目を瞑った。










5月4日、合宿二日目。

練習始めに烏養さんから、スターティングのメンバーが発表された。
今日から音駒戦に向けて、連携も含めた練習に入っていくらしい。
名前を呼ばれてポジションに入っていく仲間の背中を、ただじっと見つめる。


「―――セッター、影山」

「はい」


そのオーダーの中に、俺は含まれていなかった。
わかっていたことだけど・・・。
心の中の理性では処理しきれない部分が、ちりちりと感情を焦がそうとする。
ぐっと拳を握ってそれを抑え、続く烏養さんの話に耳を傾けた。


「あと、必要に応じて圭吾をメンバーチェンジで入れていく。サーブだけじゃなくてアタッカーのフォローに入ることも視野に入れてけ。当然だが、ブロックが貫通されたら後ろの負担が大きくなるから、そのつもりでな」

「はい!」










練習も食事も入浴も終わって、あとは寝るだけの自由時間。
またもや田中と西谷に褒め殺されていた大野がトイレと断って逃げるように部屋から出たのを見て、少ししてからその背中を追うように腰を上げた。
ポケットに紙が入っていることを確認しながら廊下をのんびり歩いていけば、丁度トイレから出てきた大野とかち合う。


「大野」

「はっひ・・・す、菅原先輩・・・?」


できるだけ柔らかく声をかけたのが功を奏したのか、大きく息を吸い込むだけでそこまで驚かなかった大野は、けれど呼び止めたのが俺と分かると慌てたように頭を下げた。


「す、すみません・・・!」

「え!?な、何で!?」


まるで少し前の田中と西谷に対する態度と似たようなそれに、慌てて理由を聞く。
大野にとってはよっぽど重大なことなのか、頭を下げたまま震える声で話し始めた。


「ぼ、僕、一年なのに・・・コートに立つなんて・・・!!」


でも、その内容はやっぱり肩透かしを食らったような気分になるもので。


「・・・大野、昼に旭が西谷に言われてたこと、聞いてなかったの?」


思わず呆れたため息が出そうになったけど、吸った息には代わりに言葉を乗せて吐き出した。


「“強いほうがコートに立つ”。俺も、そうだと思うよ」

「で、でも・・・」

「・・・じゃあさ、大野は俺のほうがサーブ上手いと思う?」

「う・・・うぅ〜・・・!」

「あはは、ごめんごめん。大野には意地悪な質問だったな」


顔は上げたものの本格的に泣き出しそうな表情をし始めた大野に、ひらひらと手を振って謝る。


「けどさ、実際そういうことなんだべ」


肯定しなかったということは、大野にとっての否定なのだと身に沁みて感じながら。


「サーブも、レシーバーとしてのネット際のボール処理も、お前のほうが上だったからコートに立つ」


「まあ俺は、影山とのセッター争いで負けたんだから、大野とは直接関係ない気もするけど」と笑えば、「う、うぅ・・・」と情けない顔で頭を抱える大野。
ちょっと言い過ぎたかな、と反省してどうフォローしよう、と言葉を選ぶ。
発破は吹き飛んじゃうし、と思いながら間を空けすぎないように開けた口から飛び出した言葉は、俺が思っていたものとはずいぶん違っていた。


「一試合でも多く、生き残って。俺がコートに立てるチャンスを少しでも多く作ってくれよ」


言い切ってしまってから、はっとなる。
何言ってんだ、俺。こんなこと一年に聞かせることじゃないだろ。


「あ、ご、ごめ・・・今のなし・・・」「わかり、まし・・・」

「「え?」」


見事に全部、言葉が被った。
けど、え?ちょっと待って!


「あ、ご、ごめんなさ・・・」

「え、ちょっと待って待って!大野今何て言おうとした?」

「い、いえ・・・っで、出すぎたマネを・・・っ!!」

「違うから!多分、それすごい俺聞きたい気がする!!」

「う、うぇ・・・っ」


「わかりました」って、「わかった」って言ってくれた!?
大野が、サーブ以外のことで肯定的なことを言ってくれた!?


「頼むよ、大野!」

「・・・・・・っ・・・」


確証がほしくて肩を持って揺さぶれば、息をつめた大野が目も逸らせないといった様子で視線を合わせる。
けど、でも。一度目を瞑った大野が、伏せた目をゆっくりと開けて。


「・・・・・・僕に、できること・・・が、頑張ります、ので・・・」

「・・・〜〜〜〜〜っ!!」


思わず抱きつきたい衝動に駆られながら、力をぐっと抑えてぽんぽんと大野の両腕を叩く。


「おう!頼んだべ!!」


我ながら最高の笑顔だろうと思いながらそう言えば、大野も戸惑いながらも「はい、」と笑みをつくって返事をしてくれる。
だいぶ笑顔が見れるようになってきたなぁとしみじみ思っていると、不意にポケットの中でカサリと存在を主張した紙に気付いた。


「あ、そうそう。呼び止めたのはこっちのことで」

「・・・?っす、すみません!用件も聞かず、自分の話・・・っ!!」

「いやいや、気にしなくていいべ!」


すっかり忘れていたのは自分も同じだし、とポケットから折りたたんだ一枚の紙を取り出す。
昨日からスタンバイしていたそれは少しよれてしまっていて、軽く伸ばしてから大野に差し出した。


「これ、大野にも渡しとこうと思って」

「・・・サイン、ですか?」

「そう。大野は前衛には入らないって聞いたけど、トスが何処に飛ぶか検討はつけておきたいかなって思って」


中を確認して目を瞬かせる大野に、どうかな、と問う。
どうやら見る限り、大野は物事に見通しを立てておきたいタイプみたいだ。
はっきりしたものでなくても、こうやって確認できるものが手元にあれば、気も楽になるかもしれない。
まあ直接必要なものでもないし、別にいらないかもとも思ったんだけど。


「・・・ありがとうございます・・・っ!」


本当に嬉しそうに紙を握り締める大野の様子を見る限り、どうやら間違いじゃなかったみたいだ。
こうやって少しずつでも周りと合わせていって・・・いつか、影山の補充でもいい。
周りから、三年生なのに可哀相って言われても。
そのときチームメイトという武器をしっかり機能させられたら、俺はきっと、バレーやっててよかったって思うんだ。
大野に笑顔を返しながら、いつかはこの“武器”とも同じコートで試合したいな、と、願う。


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