烏養コーチは懐かしむ


5月6日、合宿最終日。
音駒との―――練習試合だ。


「挨拶!」

「お願いしアス!!」

「しアース!!!」


いかにも運動部な挨拶を、自分もしていたのが懐かしい。
威勢よく体育館に入ってく、あの真っ黒なジャージに身を包んでいた時代が懐かしい。
そして、この真っ赤なジャージを目にするのもまた、同じように懐かしかった。
武田先生にノスタルジーだって言われてもしょうがねえな、と体育館の中を動き回るそれらを見て懐古心を揺さぶられていると、後ろから「おっ!」と弾んだ声が聞こえて振り返った。


「八年ぶりか?なんだよそのアタマ!」

「・・・うっせーな。お前は変わんな過ぎだろ。・・・直井」


高校時代、全国での試合を約束したかつてのライバルが目の前に立つ。
差し出された手に高校時代を重ねながら握り返せば、懐かしい想いと共に何でこいつがコーチをやってるのかもなんとなく察することができた。
お互いがあのころから大して変わってないことを確信して笑い合えば、直井の後ろからさらに声がかかる。


「おっ繋心か!相変わらずじじいそっくりの顔しやがって!」

「!お久しぶりです。猫又先生」


思わず現役の頃と同じようにぴしりと姿勢を正して呼べば、「おう!」と快活に返事が返される。
・・・まったく、八年も経ったってのにまるで変わってねえってどういうことだよ・・・
あの頃からじいさんだったよな・・・とひくりと頬をひくつかせていると、隣から「あっ、あのっ」と武田先生の恐縮しきった声が上がる。
謝罪と礼から始まったお決まりの挨拶をして、お互いに「今日はよろしくお願いします」と言葉を交わす。
くるりと背を向けてベンチに向かうかと思われた二人は、途中で足を止めた。
振り返ったその顔は、先ほどまでの“人の良い飄々爺”の面影はどこにもなくて。


「・・・相手が烏養のじじいじゃなくとも・・・容赦しねえよ?」


手の内に納めた鼠に笑いかけるようなそれに、自分たちの立場を思い知らされた。
・・・絶対的な自信に、一瞬自分たちが負けるイメージが浮かんでしまう。
・・・こりゃあ、一筋縄じゃいかねえな。
だが、こっちだって何もないわけじゃない。

選手たちの準備が整って、互いに挨拶を終えた後簡単にメンバーの確認を行う。
サーブ権は向こうからで、エンドラインに立った向こうのセッターを確認した主審がホイッスルを響かせた。
さぁ、景気よく一発、決めてくれや!

―――ビッ ドパッ!!

バッチリ向こうのコートに着地したボールに、思わず音駒チームの表情を伺う。
影山のトスから、日向のアタックまでの間はほとんどない。
けれどその一瞬に、二人のコンビネーションを見たことのない全員が目を向いたのがわかった。
主審のホイッスルが少し遅れて響いて、続いてあちこちから聞こえてくる驚きの声に思わず武田先生と二人でニヤリとあくどい顔を決める。

どうだ、あんま舐めてばっかもいられねえだろ?

続くように東峰がエースの風格を見せ付けるアタックを決めて、月島が冷静にフェイントで点を奪う。
しかし、一見順調にリードしているように見えるそれは・・・どうにも、素直に喜ばせてくれないほの暗さを感じさせた。


「・・・なんっか、気持ち悪いな・・・」


ぼそりと呟いたそれが形になってきたのは、音駒が一回目のタイムアウトを取ったあとから。
どうやらもう日向への対策を立ててきたらしく、デディケートシフトで日向の動きが誘導された。
それと同時に向こうのミドルブロッカー・・・犬岡とかいう一年が、日向に食いついてこられるようになってきて。
じわじわと点差を詰められ、追いつかれ―――俺は、圭吾に声をかけた。


「圭吾、次いけるか」

「っ・・・は、はぃ・・・」


次ウチに点が入れば、サーブは東峰。
東峰のサーブは圭吾よりも威力自体は高いが、コントロールにまだ不安が残る。
一ヶ月のブランクで体力も落ちているようだし、前衛で活躍してもらうために後衛の間は圭吾と代わっておいてもらうのも一つの手だろう。
ピッと短く響いて伸ばされた右手に、圭吾に頷いてから副審にメンバーチェンジのサインを出す。
ボールを受け取っていた東峰が顔を上げて圭吾に気付くと、納得したような表情でこちらに走りよってきた。
三年を引っ込めて一年を使うことに、多少なりとも引っかかるかと思ったが・・・どうやらそういった確執はないらしい。
潔い実力主義に内心でほっとしながら、3と13のメンバーチェンジを見守った。


「一本、頼むぞ」

「は・・・は、い・・・」


圭吾の自信なさげな声に若干眉を顰めつつ、まぁいつものことか、と自分を納得させる。
コートで一通り選手から声を掛けられた圭吾は、持っていたボールの硬さを確かめるように腕に力を入れながらエンドラインに走る。
そして定位置でくるりとコートを振り返ると、いつものように軽くボールの位置を調節して。


「―――いきます」


―――コートに入っているわけじゃない。ましてや、今は味方だというのに。
その声にピリ、と。自分の緊張が高まったことに気付いた。

思わず構えそうになる自分の身体を抑えつけて、ジャンプサーブをするらしい圭吾のサーブトスを目で追う。
―――いかんな。あの声を聞くと、つい“やべえのがくる”って気分になっちまう。
散々痛い目をみせられてきたせいで身体に刷り込まれてしまっていた感覚に、思わず笑いそうになりながらサーブの軌道を見やった。
上手くコースを狙ったフローターサーブは、一本目のサービスエースを奪い取る。
けれどそれはノータッチではなく、よく足を動かしたソフトモヒカンによって一度触られたものだった。
じわりと這い上がってくる先ほど感じたほの暗い何かを、また、感じる。
・・・まぁ、圭吾はよく状況を見て手を代え品を代えできるやつだし、日向のように捕まるとは考えたくないが・・・
二本目もいきます、と通る声に続いて軽いトスが上がり、ネットに当てて入ったそれは「前前!」という声に続いて相手のコートに落ちる。
わぁっと盛り上がるコート内で、圭吾の浮かない顔が妙に不釣合いに感じた。


「―――いきます」


そして三本目はまた、フローター。今度は後衛のセンターとさっきのモヒカンの間を狙って。
反対側がリベロだから、そちら側に集中させるしかないということか。
お見合いになってもいいような位置、今度こそノータッチエースを決められるかと思ったそれは、「任せろ」と落ち着いた声を出した坊主頭にモヒカンがあっさり任せたことにより、思惑通りには行かなかった。
多少乱れたもののセッターに返ったレシーブは、やはり音駒の安定したレシーブ力を裏付ける。
それでも乱れた分攻撃は読みやすく、三枚ブロックを張り付かせた猫目の攻撃は向こうのコートへと落ちてくれた。
何とかなったか、と妙に緊張する感覚で息を吐きながら考える。
もしかして、圭吾のサーブでは音駒の守備は―――


「―――すげーな、後ろのモブ男君よ」


声の切れた一瞬を狙い澄ましたように、低い声がコートを貫通する。


「・・・・・・」


おそらく圭吾のことだろう。だが、ボールを受け取ってエンドラインに向かう姿勢で固まった圭吾は振り返らない。
・・・いや、動けない、の間違いだったな。
呼吸すら止めていそうな様子に不安を駆られつつも、練習試合の多少のやりとりにまで目くじらを立てるわけにもいかない。
圭吾の反応を見る音駒の主将に、無視してエンドラインまでいっちまえ、と心の中で圭吾に念を飛ばした。
もちろんそれが届くわけもなく、届いたとしてもビビリな圭吾にそれができるはずもなく。


「引っ込んでるから取り得なしかと思ったのに」


無反応の圭吾に続けて放たれた言葉は、褒め言葉に見せかけた鋭い爪だ。
傍で聞いてても眉を顰めてしまうような挑発に、ちら、と圭吾の様子を伺った。
煽るのが好きなやつの傍にいたとはいえ、音駒主将のそれは圭吾にとっては鋭利な刃物も同じだろう。
大丈夫か・・・?と様子を見れば、さっきから動く気配もなくまだその場で突っ立っていて。

・・・おい、あいつ呼吸おかしくねえか?

肩が小刻みに上がっていってるのが遠くからでも見えて、息を何度にも分けて吸っているように見える。
明らかに異常な肩の動きに、昔見た光景がだぶった。
慌てて「オイ、誰か圭吾の背中思いっきり叩いてやれ!」と声を張り上げれば、不思議そうな顔をしながらも近くにいた西谷が全力で圭吾の背中を叩く。
・・・いや、それでいいんだが・・・そんな体育館中に響き渡るような音するほど全力を、よくもまあ遠慮なく・・・
西谷の本気に少し驚きながらも、どうやら意識を戻したらしい圭吾に向けて声を出す。


「敵の言葉に考え込むんじゃねえ!全力でいけ!!」


今俺が言えるのはこれぐらいだが、とにかく、圭吾にはサーブで崩してもらうしかない。
戸惑いながらも頷いた圭吾を見送って腰を落ち着ければ、武田先生の心配そうな声が聞こえた。


「大野君、大丈夫でしょうか・・・」

「・・・・・・」


明らかに大丈夫じゃない様子に、返答に詰まって黙り込む。
サーブというのは、コントロールに気が行けばいくほど精神状態が影響する。
特に圭吾のように選択肢が多ければ、負けられないじゃんけんで何を出すか悩むのと同じだ。
揺らぐ目でボールを見据えた圭吾が、震える手でボールの位置を調節して。


「・・・いきま、す」


―――コースを狙ったにも関わらずあっさりとセッターに完璧に返されたボールは、シンクロ攻撃でブロックを振られ。
確実に圭吾を狙って打たれたそれは、大きく弾かれて場外へと飛び出した。


=〇=〇=〇=〇=〇=
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