清水先輩は小犬に弱い


色々あったけど壮行式も無事(・・・)終わって、より一層練習に力の入った部活の後。
壮行式で使われていた色々なものが、「来年も使え!」という田中と西谷の強い勧めで部室の中に詰め込まれていた。
整理されていたはずの棚が色々なものでぐちゃっとなっていて、全部捨てようかな、と一瞬考える。
でも・・・バカばっかりでも、あれでも一応、部のことを考えてやったことだし。
はぁ、とため息をついて無造作に積み上げられているTシャツや既に潰れてしまっているメガホン、ポンポンを“壮行式用”と張り紙を貼ったダンボールに詰め込んでいく。
メガホンに比べてポンポンの出来が妙に良くて、確かにこれを捨てるのは勿体無いかも、と考えながら畳んだTシャツの上にふわりと重ねた。
あとは、と土台になっていた箱の中を覗き込めば、下のほうに黒い布が見える。
これもTシャツかな?と上のものをどかすと、思ったより大きいことに気づいた。


「・・・?・・・これ・・・」


重いそれをぐっと引っ張り出して、ばさりと広げる。
舞い上がった埃に口元を押さえたけど、感じたかび臭さに眉を顰めた。
ケホ、と咳をして顔の前でパタパタと手を振って、床に広げたそれに目を落とす。
真っ黒な布地に、毛筆で白抜きに書かれたたった二つの文字。

“飛べ”

目に飛び込んできたそれに、ふっとあの元気な一年生の姿が思い浮かんだ。
こんなのあったんだ・・・と三年目にしてようやく知った事実に、驚きと切なさが交じり合う。
一年、二年のときはこんなの、試合でかかっているところを見たことがない。
今感じたカビ臭さも、何年も使われていなかった事実を助長するだけで。


「・・・・・・」


ざっと見る限り、特に使えなさそうな様子はない。
洗濯をして、綺麗に乾かせば・・・


「・・・あ・・・」


そう思って畳もうと、くしゃくしゃになった端を伸ばすと、紐を通す穴の周りが10cmほど破れていることに気づいた。
・・・これじゃあ、綺麗になっても掛けられない。
使えない、かな・・・、と口元に手を当てて考え込んでいると、不意に部室のドアがガチャリと開いてはっと顔を上げた。


「あ、・・・っし、清水先輩。ぉ疲れさま、です・・・」

「・・・大野」


入り口に見えたはの字眉に、その後輩の名前を呼ぶ。
まだ大野とまともに目を合わせたこともない身としては、“見つかってしまった”という思いが強かった。


「ど、どうか、され、ました・・・?」


それでも、聞かれてしまえば答えないわけにもいかなくて。


「・・・これ」


そっと布を持ち上げて見せれば、首をかしげた大野が驚いたように目を見開いた。


「?・・・わ・・・横断幕、ですね」


「すごい・・・、公式戦って気がしてきました」とどこか嬉しそうに胸を押さえる大野に、破れてて使えそうにないとは言いづらい。
直そう、かな。
裂け目を縫って、紐をつけるくらいなら、私でもできるるし・・・
余計に落ち込ませるのもかわいそうで、「そうね、」と相槌を打ちながらそっと端を隠す。


「あ・・・端っこ、切れちゃってますね・・・」

「えっ」


隠したのに!と大野の目ざとさに驚いて思わず声を上げれば、横断幕を手に取っていた大野は私以上に驚いて「えっ」と声を出した。
大野の手の中には私が隠したのと反対側の端があって、そこから見える布はひどくほつれて見える。
あ、両方破れてたんだ・・・と自分の勘違いに気付いて目を逸らせば、「あっ、え、」とひどく焦ったような大野の声が聞こえた。


「ご、ごめんなさい・・・!ちゃんと、直しますから・・・!」

「え?」

「あっ、だ、大丈夫・・・だと、思い、ますけど・・・さ、裁縫とかは、一応・・・でき、・・・でき、・・・」

「・・・・・・」


「できます」とは言えないみたいだけど、何故か横断幕が破れていたのは自分のせい、みたいに考えているらしい大野に少し呆れる。
そんなわけないのに、直す気満々な様子にため息をついた。


「・・・大野は選手だから。こういうのは、マネージャーの仕事」

「・・・!!でっ、出すぎたマネして、すみ、すみませんでした・・・!!そ、そうです、よね・・・」


選手に余計な負担はかけられない、と言ったつもりだったのに・・・目に見えて落ち込んだ大野に、申し訳ない気持ちが湧いてくる。
でも、さっきも言ったように、選手にやらせることじゃないし。
・・・インターハイまで、一週間を切ってる。片方だけならなんとかなるかもって思ったけど、・・・両方か・・・
ううん、一緒にやることになったとしても、時間も場所も限られてくる。

・・・私がこのまま帰ったら、この子、一人で泣くんじゃないかな・・・


「・・・その、手伝ってほしいことがあるとき・・・声、かけてもいい・・・?」

「・・・!はいっ!ぜ、是非・・・!」


思わず言ってしまった言葉に、少しの後悔が浮かんだけど。
コクコクと何度も頷かれる首と、嬉しそうな声にそれもすぐ消えた。
「じゃあ、とりあえず持って帰るから、」と部室にあった手ごろな紙袋にそれを移そうとすれば「わっ、ぼ、僕やります・・・っ!」と手伝われて。
持ち帰ろうとすれば「僕、持ちます、ね」とへにゃんとした笑みで言われた。


「・・・いい。家でやるから」


それはさすがに、と思って軽く断ったのに、「で、でも・・・」と食い下がってくる大野。


「清水先輩、家近い、んですよね?もし、嫌じゃなければ・・・じ、自転車のカゴに入れれば、楽、ですし・・・」


だ、ダメですか・・・?と申し訳なさそうに聞かれて、逆に断るのが申し訳なくなる。
実際、しっかりした大きい布を詰め込んだ紙袋は下手な持ち方をすれば取っ手が破れてしまいそうだし、それを肩に掛けて家までの距離を歩くのも、近いとはいえしんどい。


「・・・家の前まで」

「・・・はいっ!」


嬉しそうな大野の笑顔は、他の男たちと違って“役に立てて嬉しい”という感情だけがひしひしと伝わってくる。
仮にも男と二人で帰ることになるなんて、と少しの頭痛の種は、満足げに紙袋を肩に担ぐ大野を見てため息と共に消えていった。
何の邪気もない大野の笑顔。
私はこれに弱いんだと、家までの道のりで自覚した。










次の日、部活が終わった後。


「清水〜、大地が肉まんオゴってくれるって言うんだけど・・・」

「ゴメン・・・私、やることあるから・・・」


菅原の呼びかけに、詳しくは言わずに断りを入れる。
昨日帰ってから横断幕を改めて広げて見てみたら、それなりに手間がかかりそうな状態が見て取れて。
今日明日で繕って、明後日洗ったら乾かして・・・
間に合うか少し心配な状況に、一刻も早く帰って作業を進めたかった。


「ふーん・・・おつかれ〜」


特に理由を問い詰めることもしない菅原に感謝しながら「おつかれ」と返して、第二体育館に背を向ける。
そのとたん聞こえた「おっ大野?どした?」という菅原の声に、ピタ、と足を止めた。
もしかして・・・とちらりと後ろを振り返れば、菅原に半分隠れるようにしてこちらを見ている大野と目が合う。


「・・・・・・」


付いて行きたそうな目をしているわけじゃない。
期待に満ちた目をしてるわけでもない。
ただ本当に、“大丈夫?”と気にしてる目があって・・・
思わず、言ってしまった。


「・・・大野・・・。もしよければ、手伝ってくれる?」

「・・・!はいっ・・・!」


慌てて荷物を取りに走っていく大野の後姿を見送りながら、「「「何ィイィ!!!!???」」」という部員たちの大合唱を聞く。
バタバタと走りよってくる二つの足音に、やっぱり面倒なことになった、と小さくため息をついた。


「「清子さんっ!!俺らも!!」」

「いらない」

「「!!?」」


ぱっさりと言い捨てれば、ショックを受けたような二年生の二人。
この二人なら、ショックを与えてもそこまで良心が痛まないのにな・・・と大野の悲壮に暮れた顔を思い浮かべた。
・・・ダメ。やっぱりあの子にそういう顔をさせるのは無理。
・・・というか、一度落ち込んだら浮上できない気がするし、あの子。


「何故だ・・・っ!!大野・・・!」

「お前等その顔絶対大野に見せるなよ」


菅原の呆れたような、引いてるような声を背中に受けながら、体育館の光から隠れるように少し離れる。
二年の声が五月蝿かったし、走ってくるであろう大野をどんな顔して向かえればいいか、わからなかったし。
・・・道すがら「僕、先輩方に何かしてしまったんでしょうか・・・」と落ち込む大野になんと声を掛ければいいかもわからなかったけど。
ポン、と背中を叩いたら、すごい勢いで身体を跳ねさせた大野に勢いよく距離を取られて。
・・・ちょっとショックだったなんて、誰にも絶対言わない。


=〇=〇=〇=〇=〇=
prev/back/next