西谷先輩が毛を逆立てるのは、


体育館の中にいる全員の鼓動が聞こえてきそうなくらい、静かに緊張の高まるほんの数分。
さっきまではボールが床に叩きつけられる音とか、「一本!」という掛け声とか。
そういう耳慣れた音で一杯だったのに、エンドラインに整列して番号を確認されるこの時間だけは、まるで無音。
徐々に緊張が高まっていく。
けれどその一方で、舞い上がる心をゆっくりと着地させていくのは、この時間にしかできないものだ。
緊張を集中に、高揚を気合に。

そして、それでも残る手足の強張りを―――

ピーッ!


「お願いしアース!!!!」


―――この声と共に、全て吹き飛ばすんだ。









「まずは一本ドカッと決めて流れを掴め!」

「“飛べない烏”がまた飛ぶところ、会場中に見せてあげましょう!」


烏養さんと武ちゃんの激励を受けて、一層のやる気を出して。
「烏野ファイッ!!!」という大地さんの掛け声に続いて、「オォーッス!!!」と腹から声を上げる。
コートに入って番号の確認が終われば、向こうのサーブから試合開始だ!
向こうのエンドラインに立つ選手を見て、否が応にも気分は高揚していく。
さあ、来い!俺が拾ってやる。俺が繋いでやる!!


「っさこォーい!!!」


抑えきれない気持ちを声と共に吐き出せば、ようやく主審の笛が鳴った。
勢いよく飛んできたサーブは旭さんとこ。きれいにセッターポジションに返ったレシーブを、影山が上げて。
ボールに続いてブロックフォローに腰を落とせば、勢いよく飛び上がった龍がアタックを決めてみせた。


「うおァァアア!!」

「ラアァァ!!!」


龍と二人で周りの声も耳に入らないくらい一点目の雄たけびを上げる。
最高じゃねーか龍!この調子だぜ!!
上がる勢いのままに声を出していたら、大地さんとスガさんに「うるさい!長い!!」と怒られてしまった。
さらに主審にも怒られたりと、しょっぱなからなんやかんやあったけど、まぁとにかく。
ウチが誇るアタッカーたちによって順調に重ねられていく点に、“落ちた強豪、飛べない烏”の異名はもう使わせねぇぜ!と会場中の人間に向かって叫びたくなる。
さっき武ちゃんは「“飛べない烏”がまた飛ぶところを、」って言った。
・・・だけどな、ウチの“烏”は飛ぶだけじゃねえんだぜ?
ローテが回って日向のサーブになると前衛に上がる俺は、月島と交代する。
ベンチに戻ろうとして足を向けた瞬間見えた人影に、しばらく俺の出番はねえなと思わず笑った。


「一本頼むぜ!大野!」

「は・・・はい!」


通り抜けざまに背中を叩きながら声をかければ、だいぶ出るようになってきた声で返される。
いいことだ、とうんうん頷いていると、ピーッと主審がメンバーチェンジのジェスチャーと共に笛を鳴らした。
こっちに走りよってくる日向からボールを受け取って、仲間の下へ小走りに向かう大野。
バンやらポンやら叩かれまくる背中や肩にコクコクと頷きながらエンドラインに向かう背中に、もう一度「さーナイッサ一本!」と声をかけた。
エンドラインに立ってコートを振り返った大野が、ボールの向きをクルリと変える。
主審の笛の音が響いて、「っさこぉーい!!」と敵チームからの掛け声が響く中。


「―――いきます」


やっぱり大野の声は、その間を縫うように静かに耳に届いた。










お見合いやら見送りやらで、ノータッチサービスエースが4本。
レシーブが乱れて、攻撃に繋がらなかったのが6本。
何とか攻撃の形にはなったものの、ブロックにドシャットを受けたりこっちからの攻撃で決めたりしたのが、3本。
大野は一人で、合計14本ものサーブを打ち続けた。


「やっぱすげーな大野!」

「あ、ありがとうございます・・・すみません、最後、拾えなくて・・・」

「なぁに気にすんな!!そろそろ俺も出番ほしかったからな!」

「は、はは・・・」


背中をバンバンと叩きながら冗談と本気半々ぐらいで言えば、大野は困ったように愛想笑いをしてみせる。
スルスルとめくられていく得点板を見るのは面白かったけど、やっぱり自分もコートに立ちたいしな!
ほんの少し前のことなのに、懐かしむように頷きながらめくられる得点板を思い出す。
それと同時に、そこから少し視線を動かした先にあった光景を思い出した。


「・・・でもよ、やっぱあんだけ連続してサーブはしんどいか?」

「・・・え・・・?」


けほ、と軽くむせる大野の顔色を見て、いつも通りな様子を確認してからそう聞く。
不思議そうな顔で見下ろしてくる大野に、見かけによらず体力があることは知ってる。
練習でも何十本とサーブを打って、さらに俺の自主練に付き合えるんだから、それは確実だろう。
けど、練習と試合の疲労度合いがまるで違うことは、これまでの経験から身体で理解していることだった。


「最後のほう、「いきます」が聞こえなかったからな」

「・・・!」

「ていうか、どんどん無表情になっていってた」


10本目くらいまでは、はっきりと聞こえていた。
この連続サーブはいつまで続くのかとわくわくしながら耳を済ませていたのに、いつものあれが聞こえなくて振り向けば、大野は既にサーブを打ち終えていて。
不思議に思ってじっと見ていても、大野らしくない無表情がそこにあるだけで「いきます」はやっぱり聞こえてこなくて。
どうしたんだ?と首をかしげ始めてから何本目かで敵エースのアタックが大野に向かい、その流れは終わったわけだけども。
もじもじしながら視線を彷徨わせる大野の答えをじっと待っていれば、蚊の鳴くような声で言葉が漏れる。
聞き漏らさないようにじっと口元を見ていた俺は、自分の耳と目を疑うはめになった。


「・・・申し訳、なくて・・・」

「・・・は?」

「っ・・・!ご、ごめんなさい・・・!」


思わず口をついて出た声に、俺の感情が伝わったのかびくりと震えて小さくなる大野。
普段だったら「小さくなるな!」と背中を叩くところだが・・・


「・・・それ、相手チームに対して言ってんのか?」

「っ・・・!」


確認のために聞いた言葉にも、やっぱりびくりと肩を揺らす。
俯いて俯いて、俺にすら顔が見えなくなるくらい顎を引いた大野の様子に答えを見て、ぐっと拳を握り締めた。


「お前、最低だな」

「っ・・・!!!!」


申し訳ないって、なんだよ。
勝って申し訳ないって、どういうことだよ?
負けたほうがよかったって、大野はそう言いたいのか!?


「俺はこの試合、本気で戦った。相手だってそうだ。・・・お前はどうだ」

「ほっ・・・本気、でした・・・っ!・・・・・・で、でも・・・」


熱くなりそうな頭を落ち着かせながら、大野に聞く。
顔を上げてはっきりと言う様子に黙っていると、すぐに目は逸らされてじわじわと下がっていく。
そのまま話し出さない様子に痺れを切らして息を吸い込んだ瞬間―――前に、スガさんに聞いたアドバイスが脳裏を過ぎった。
大野とまともに会話が出来ないことにもぞもぞしていた時期、スガさんが教えてくれた“大野の言葉は待ってあげな!”というアドバイス。
ぐっと歯をかみ締めて大野の鼻を睨み続ければ、何度か深呼吸した大野はようやく口を開いた。


「・・・同じ“負け”でも・・・っ・・・点差、つき過ぎると・・・戦えなくなる・・・っ!!」


それは、相手の“心が折れる”といいたいのか。
相手に同情してんのか?
試合中に、相手のことを考えてやる余裕が、あったと。


「・・・舐めてんのか」


自分でも驚くくらい、感情のこもっていない声が出た。
でないと、感情のままに言ったら、ついでに手も出ちまいそうだった。


「スポーツは勝負の世界だ。強い奴が勝ってコートに残る!勝つためには練習あるのみだ!!」


前にも似たようなこと、旭さんに言ったなと頭のどこかで思い出す。
あれは同じチームの中で、これは敵のチームとの話。
たったそれだけの違いなのに、どうしてあのとき以上に腹が立つんだろう。


「それが足りなかったから負けたってことだろ!!全力で練習したから俺達は勝ったんだ!!」


あぁ、わかった。
こいつが自分だけじゃなくて、チームの勝利に対して引け目を感じているからだ。
俺たち全員で掴んだ、予選第一戦目の勝利を、蔑ろにしてるからだ。
はぁ、はぁ、と結局怒鳴ったことで荒れた呼吸を整える。
大野はボロボロと涙を零して、ユニフォームの裾を握り締めた手は真っ白になっていた。


「・・・俺らが勝ってすることは謝ることじゃねえ」


合わない視線に痺れを切らして、胸倉を掴んで引き下ろす。
ガツン!とぶつかり合った額に、「づ・・・っ!」と大野が悲鳴をあげた。
強制的に顔を上げさせられた大野にぐっと顔を近づけて、逃れられないように視線を奪う。
驚きで丸くなった目から零れていた涙は、今の衝撃でかぴたりと止まっていた。

“申し訳ない”だぁ?違うだろ!
勝ったなら、勝者らしく!!


「全力で胸を張れ!!」


「“どうだ、俺達は強いだろう!”ってな!!」


苦しい練習を続けてきたからこそ、得られた勝利だ。
だからこそその味は格別で、だからこそ負けたとき、あんなに悔しいと感じるんだ。


「お前その考え方、俺達にも、相手チームにも失礼だぞ」

「ご・・・っごめんな、さ・・・っ!!」


また顔をくしゃりとゆがめて泣き始める大野のユニフォームから手を離して、腰に手を当てる。
とりあえず、言いたいことは言った。
これでまた“申し訳ない”とか言ったら、鉄拳制裁だからな!


「飯食ったら次、伊達工だ。下手なサーブ打ったら、ぶっ飛ばすからな」


発破の意味も込めてそう言えば、ぴしりと固まる大野。
それに「?」と首をかしげていると、いつの間にか遠くで様子を見守っていたスガさんが、「ちょっ」と焦ったように声を出したのが聞こえた。
そっちを振り返れば、「あちゃあ・・・」と言わんばかりに額に手を当てるスガさん。
何か言いたそうな様子に「どうしたんスか?」と近づけば、ため息を付いて「一言余計なんだよ・・・」とその場に突っ立ったままの大野の元へ行ってしまった。
やっぱりよくわからない様子に首をかしげたけど、「ノヤっさーん!飯食おうぜー!」と龍の呼ぶ声が聞こえて、「おう!」と返してその場を去る。
次は伊達工だ。きっちりエネルギー補給しとかねえとな!


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