へなちょこは、所詮


“舐めてんのか”

“お前その考え方、俺達にも、相手チームにも失礼だぞ”

“下手なサーブ打ったら、ぶっ飛ばすからな”


ぐるぐる、ぐるぐる。

頭の中を西谷先輩の言葉が回って、つられるように視界も回る。
手に持っているはずの栄養源が、消えてなくなったような感覚。
やばい・・・、これ、食べたら、吐く、やつだ。
何度か経験したそれと同じ感覚に、午後も試合があるのに、と意識してさらに身体が重くなる。
ベンチに座っているのに、そこから崩れ落ちてしまいそうな。
もう何も入っていないはずなのに、胃から胸まで何かが並々と詰まった感覚に、呼吸が苦しくなって大きく息を吐き出す。

どうしよう。

どうしよう・・・どうしよう。

西谷先輩に嫌われた。

僕の考え方は、駄目、だったんだ。

また僕、間違えたんだ。

失敗した・・・どうしよう、もう、話してくれないかもしれない。目を合わせてくれないかもしれない。笑顔を向けてくれないかもしれない。

絶望的な可能性ばかりがいくつもいくつも頭の中に湧いてきて、ぐるぐると回る視界に吐き気がする。
ぐっと目を瞑って顔を伏せれば、簡易的な暗闇ができあがる。
合宿以来形を変えていた“反省会”が、ずるりと顔を出した。
どうしよう、もう、部活辞めたほうがいいのかな・・・下手に部の雰囲気悪くするより、早く出て行ったほうが・・・


「お、大野。こんなとこにいたのか」

「っ・・・あ、東峰、先輩・・・」


不意に掛けられた声に、慌てて顔を上げる。
ユニフォームに上着を羽織った東峰先輩がひらひらと手を振っていて、誰かに話しかけられると思っていなかった僕は挨拶も返さずただ呆然と東峰先輩が近づいてくるのを見てしまった。


「隣、いいか?」

「・・・・・・ぁ、は・・・ぃ・・・」


喉が思うように動かなくて、まともな声が出た気がしない。
念のためにコクリと頷くと、東峰先輩は「さんきゅ、」と笑って10cmほどの間を開けて腰を下ろした。
その動作を横目で追って、腰が落ち着く前に目を逸らす。
「何見てんの」って思われるかもしんないし・・・


「・・・・・・」

「・・・・・・・・・」


座ったっきり黙ったままの先輩に、徐々に心臓の音が大きくなっていくのを感じる。
な、何か話した方がいいんだろうか。
でも、先輩だって集中するためにこんな静かなところに来たのかもしれないし。
あ、だったら僕、どっか行った方がいいのかな・・・!?じゃ、邪魔かなぁ・・・!?
心臓が鼓膜まで揺らし始めたとき、不意に顔を上げた先輩が口を開いた。


「・・・三月にな、」

「ひゃいっ!?」

「えっ!?ど、どうしたの?」

「ごっ、ごめんなさい・・・!ど、どうぞお話ください・・・っ」

「お話くださいって・・・」


妙に緊張が高ぶっていたせいで、思わず変な声と言葉遣いをしてしまう。
うわぁ・・・!変なやつだって思われた、絶対・・・!
最低だ僕最低だ最低だ最低だ・・・!と後悔の嵐に巻き込まれていれば、「あ〜・・・」と困ったように頭をかいた東峰先輩が言葉を続けた。
き、気をつかわせてしまった・・・あぁもう、僕はなんでこうなんだ・・・


「・・・次の対戦相手、伊達工・・・なんだけど」

「は、はい・・・」

「俺、そこの“鉄壁”って言われるブロックに、一回滅茶苦茶にやられたんだ」

「・・・・・・」

「正直今でも、ブロックの向こう側が見えない」


その話は、二回戦目で伊達工が相手になるとわかったときに、日向君が教えてくれた。
「話していいのかよ」って影山君が言ったときは聞いちゃいけない話だったんだって思って焦ったけど・・・
ほ、本人からなら、聞いても、いい、よね・・・
・・・ほとんどスパイカーとしての経験がない身としては、“ブロックの向こう側”というのはよくわからない、けど・・・それは絶対言わないでおこう・・・
東峰先輩の横顔をちらりと見上げれば、その目は真っ直ぐ前を向いていて、とてもカッコいい。
・・・たまに先輩方に「お前は第二の旭だよな」とか言われるけど・・・先輩のこういう面を見るたびに、僕とは全然違うんだって、痛感する。
所詮僕は“ひげちょこ”にはなれなくて、ただの気弱な“へなちょこ”なんだ。


「でも、さっきの試合で確信したよ。俺には、心強い仲間が居るって」


心強い、仲間。
・・・サーブしっかりしないと、心強い仲間じゃなくなる。ただの足手まといになる。
サーブだけでも駄目だ。すごいブロックがいるなら、ブロックカバーもしっかりしないと。
じゃないと東峰先輩がまた辛い思いをして。部活に来れなくなって。みんながばらばらになって。バレーが・・・っできなく、なって・・・!!


「皆がいるから、俺はエースでいられ・・・って大野!?ちょ、手!手!!」

「ひっぇ・・・?、!?う、わぁ・・・!」


思わず手に力が入っていたのか、ゼリー状の栄養源は開いていた口からどばどばと中身を手に零していて。
さらに床まで汚したそれに、東峰先輩まで巻き込んで慌てて掃除をすることになってしまった。










ワンセット目、点は獲って獲られての繰り返しで、大きく差が開かない。
まだ序盤とはいえ、打てる手は早めに打っておきたい、ということだろうか。


「大野、次月島と代われ」

「っ・・・は、ぃ・・・」


コーチに声を掛けられて、一瞬本当に口から飛び出そうなくらい大きく心臓が動いた。
いつにもまして痛いくらいに脈打つ心臓、ぐるぐると回る視界。
いやだ、今は打ちたくない。こんなに緊張して、まともなサーブが打てるわけない。
次、烏野の点が入れば交代。
ラリーよ続け、と祈っていたのに、西・・・西谷先輩のジャッジで、烏野の点が加算される。
無情にも鳴り響くホイッスルにコーチが合図を送り、月島君とプレートを持ってポジションを交代した。


「・・・・・・」

「・・・・・・っ」


もの言いたげな月島君の視線が背中に突き刺さっていたことはわかったけど、これ以上身体を固くすることもできなくて。
バシンバシンと肩や背中を叩かれて送り出されても、誰になんと声を掛けられたのかまるでわからない。
澤村主将の声が心配そうな響きをしてたから、何とか「大丈夫です」とだけ搾り出してエンドラインに向かった。

ドク、ドク、ドク。

きゅ、とシューズを鳴らして振り返れば、いつもの光景。
けれど、どうしてこんなに未知の世界に見えるんだろう。
いつの間にか受け取っていたボールを見ても、どこか中心なのかさっぱり見えてこない。

まずい、まずい。いやだ、これじゃ失敗する。

ドクドクと無駄に働く心臓に、せかされるようにクルクルとボールを回してみても、どこを打てばいいのか、全然見えない。
焦りが緊張を生んで、一度落ち着こうと目を閉じて深呼吸を二回する
そうだ、東峰先輩が言ってたじゃないか。「最凶に恐かったことを思い出せ」って。
「今から起こることが、それ以上恐いはずがない」って。
思い出せ、恐かったこと、恐かった、こと。

“お前、最低だな”


「・・・っ!!!」


ピーッ


「!!!」


笛、鳴った・・・!

大丈夫、・・・大丈夫!

大丈夫、8秒ある、大丈夫大丈夫、大丈夫落ち着け落ち着け!大丈夫大丈夫だいじょうぶ今何秒経った大丈夫だから大丈夫どうしよう大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫!!!


ピピッ


「!!!!!!!!!」


はっとボールから顔を上げれば、全員からの視線が突き刺さる。
主審は迷惑そうな顔で、敵は睨んできて。

仲間、からは。怪訝な、視線が。




役立たずはいらない




「っ・・・!!!」


ボールをあげて、打つ。

だめ、早すぎる、手に、当たらない、いやだ、待って・・・!!







ベシッ、 と。






ふざけた音が指先から伝わって。



さっきまであんなに五月蝿かった心臓が、急に静かになったのを感じた。

極端に下を叩いたボールは、クルクルと無様にバックスピンをかけて。

ドン、とコートの真ん中に着地した。



・・・烏野の、チームのコートに。



ドン、ドン・・・という音が妙に響いて、少し遅れて主審の笛が鳴る。


「っしゃあ!!!」

「ラッキー!!!」


驚いたように振り向いた、“仲間”の顔が、目に焼きつく。



―――世界の崩れていく音が、聞こえた。


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