山口君の気遣い


大野がサーブを失敗した。
その事実は、大野だけじゃなくて選手達の動揺に繋がっているみたいだった。
誰もなんて声をかければいいかわからず妙な静けさがコートに満ちる中、コーチが慌てて副審にメンバーチェンジを要求する。
ピーッと鳴った笛に動く様子のなかった大野がビクッと身体を震わせて、それからようやくサイドラインまで駆け足で向かってきた。
ツッキーがコートの中に入っていって、代わりに大野がコーチの前に立つ。
走ってきたときも、コーチの前に立ってる今も。
完全に俯いてしまって表情の見えない大野が、泣いているように見えないのが不思議だった。


―――・・・「大野、サーブ教えてくれない?」


そうやって大野にサーブを教えてもらえないか聞いたのは、いつのことだっけ。
何事もなかったかのように進み出した試合に「一本!」と声を出しながら、ふと思い出す。
日向はアタック、影山はトス。ツッキーはブロックで、大野はサーブ。
一年は皆それぞれ“武器”をもってるのに、自分にだけ得意といえるものがないのが悔しかった。
多分、体格も似てて、センスも・・・影山みたいに、“天才”ってほどかけ離れた存在じゃない大野が・・・嫌なやつだけど、一番近場の目標に思えたんだと思う。
俯いたままコーチに頭を下げて、こっちに走りよってきた大野に「ドンマイ」と声をかける。


「・・・はい・・・すみません・・・」

「あ、うん・・・」


・・・絶対、聞いてない。
菅原先輩も色々励ましてくれてるけど、答えが全部「はい、すみません」じゃ何も大野の心には響いてないんだろう。
普段は一言褒めたりフォローしたりすれば「そんな、僕なんて」の嵐なのに、それがないなんて。
若干失礼なことを考えつつ声を張り上げていけば、思い出したように大野も顔を上げて「一本」と声を出す。
いつも通りに聞こえるそれに思わず大野の顔を見て―――


「・・・・・・っ!」


―――その、表情のない顔に、ぞっとした。










『大野、サーブ教えてくれない?』

『ぇ・・・えぇ・・・っ!?ぼ、僕が教えられることなんて・・・っ!!』


サーブ練の最中、隙を見て大野に話しかければ、ツッキーに言われたとおりの言葉で一歩引かれた。
同学年なのにそこまで!?とショックを受けつつ、でもこれ以上また距離を詰めることもできなくて誤魔化すようにボールを回す。


『え、いやっ!あー・・・あのさ、フローターサーブやってみたいんだけど、どうも回転がかかっちゃって』


これもツッキーからのアドバイス。
大野と話すときは、用件を手短に言ってしまったほうが早いって。
ツッキー大野のことわかってきたよね!と言ったらすごい顔で睨まれたけど。

『う・・・え、と・・・ぼ、僕なりの感覚、に、なっちゃうんだけど・・・』

『うん!』


ツッキーの言うとおり予想以上にスムーズに聞き出せそうな様子に、思わず前のめりになる。
やっぱりツッキーはすごいな!
左上見たり、下見たり、と忙しなく視線を彷徨わせた大野は、手に持っていたボールをサーブを打つ前のようにクルリと回すと、それに手をピタリと当てて見せた。


『・・・お、押し出す、感じ・・・?』

『押し出す?』

『っ・・・ご、ごめん、わかりにくい、よね・・・!』

『あっうんっ、えっと、もうちょっと詳しく聞いてもいい?』

『う・・・ぁう・・・』


一言聞き返しただけなのに泣きそうな大野を宥めつつ先を促せば、言葉だけでは上手く説明できないと思ったのか体の向きをコート側に戻してサーブを打つようにボールに手を当ててみせる大野。
自分の中で言葉を纏めようとしているのか、「えっと・・・」とか「ドライブがこうだから・・・」とかぼそぼそと独り言のような感じで言ってから、ようやくちらりと視線をこっちに向けてくれた。


『か、回転を、かけない、ために、は・・・えっと・・・ボールの、こう・・・中心を、真っ直ぐ叩く・・・みたいな・・・あ、と・・・僕は、腕は振り下ろさないように、してる・・・』

『へー・・・ちょっと見ててもらっていい?』

『ぅ・・・っ!・・・う、うん・・・』


俺だって言葉で説明されるより、やってみたのを直してもらったほうがわかりやすい。
中心を真っ直ぐ、振り切らないで、かぁ・・・
ただの軟打にならないように気をつけなきゃな、と自分の中で整理をつけながら、サーブトスを高めに上げる。
タイミングを合わせて飛び上がって、いつもより気持ち手を振り下ろすのを早くして。
バシン、と叩いた感覚に続いて、振り切らないように腕を止めた。
・・・んだけど。
ぱさ、とネットにかかったボールに、大野と二人して間抜けな顔をしてしまった。


『・・・・・・えーっと』

『あっ・・・!か、回転はかかってなかったよ・・・!すごくよかった・・・!』

『えっ、でも入ってないよね』

『うっうぅ・・・!』


無理やりなフォローを入れる大野に思わず根本的なところを突っ込めば、案の定それ以上言葉は出なくなったようで。
泣きそうになってしまった様子にちょっと意地悪だったかな、と反省して次こそ入れようとボールを拾えば、さらにフォローしようとしているのか大野が「あっ、そ、うん・・・!」とよく分からないことを言い出した。
なにやら意気込んでいる大野に首を傾げてみせれば、目が合ったとたんふしゅうと気は抜けていくし。
自信があるのかないのか・・・や、ないのが大野の標準なんだから、これは十分イケる感じ?


『あの、えっと、・・・これも、僕の感覚だから、違ったら止めればいいんだけど・・・』


やっぱり自信なさ気にそう切り出す大野に、今度は前のめりにならないように気をつけながら「うん、」と相槌を打つ。
抱き抱えるようにボールを持った大野が、コートを向いたまま口を開いた。


『フローターはそもそも、途中までは勝手に伸びるやつだから・・・まっすぐ白帯を狙うくらいで、丁度コースに落ちることが多い、かな・・・?』

『白帯に向かってまっすぐ打つ感じ?』

『た、たぶん、わりと・・・』

『・・・大野は自分は上手いのに、伝えるとなると曖昧だなぁ』


行動だけじゃなくて言葉にも自信がまるでない感じに、流石に少し呆れて小言を言う。
「ご、ごめん・・・」と案の定謝ったかと思えば、手の中のボールを確かめるように掌で押している姿が目に入った。


『僕のは、感覚でしか話せないから・・・』

『ふーん・・・まぁやってみるよ。ありがと!』


そう言いながらもボールを触っている大野の表情は、どことなく嬉しそうで。
そういえばサーブ練のときくらいだよな、大野が涙目にならないのって・・・とか、ちょっと思う。
今回アドバイスがすぐに出てきたのだって、ツッキーがすごいだけじゃなくて大野も言いやすい分野だったのかもしれないし。










ほんと、サーブには自信もってるんだなぁ、とか。
そのときはそんな風にしか考えなかった。
大野が公式戦でサーブをミスったらどうなるかなんて、チラリとも浮かんでこなかったんだ。


「ツッキー、大野大丈夫かなぁ」

「・・・何でそんなこと気にしなきゃならないの」


伊達工との試合が終わって、青城の試合も観戦して。
結局俺は応援してただけなのに、やけにぐったりとした身体を引きずりながらの帰り道。
ツッキーと並んで歩けば、やっぱり頭に浮かんだのは大野のことだった。
最近はわりと三人並んで帰ることも多かったから、余計に気にかかる。
ツッキーはそうじゃないのかな?と顔を見上げれば、どこか憮然とした表情とかち合った。


「・・・ちょっと。覗き込まないでほしいんだけど」

「ごめんツッキー!」


反射的にそう謝って顔の位置を戻し、やっぱりツッキーも多少気になってるんだ、と少し嬉しいような気になる。
でもすぐに話題の中心を思い出して、小さくため息を付いた。


「・・・でもやっぱり、サーブのコツ教えてもらった身としては、大野でもサーブでミスるんだって感じで」

「・・・君、町内会の人にサーブ習いに行ったんじゃなかったの?」

「大野が“教えるの向いてない”って泣くから、紹介してもらったんだ」


そう答えてから、あれ?と少し引っかかる。
今の受け答え・・・何か、ツッキー、・・・話題逸らそうとしてる?
話したいことから逸れていく感覚に、さっき怒られたばかりだからちらりと表情を盗み見る。
いつも通りのクールな様子に、俺の勘違いかな?と首をかしげた。


「オウ、山口も大野にサーブのコツ教えてもらったのか?」

「“も”、ってことは・・・」

「まさか、田中先輩も!?」


話が聞こえたのか、前を歩いていた2年の集団から少し離れて話しかけてくる田中先輩。
その内容が内容なだけに、これはツッキーも無視することはできなかったみたいだ。
二人して食いつけば、田中先輩は自分のことのように誇らしげに胸を張ってみせた。


「オウ!すげーよな、あの大野が打って返すように“田中先輩のサーブは左に流れるくせがありますよね”だぜ!?」

「えぇっ!?」

「勿論そのあとはフォローの嵐だったけどな!」


カラカラと笑う様子に、「そうだったんですか・・・」と返しながら田中先輩のサーブを思い出そうとしてみる。
・・・言われてみると、そうかも・・・ぐらいにしか思えない。
それをきっちりチェックしてる大野って・・・と少し引いたけど、それだけサーブに思い入れがあるってことに、また気付いて。
だからこそ今日の試合でミスってしまった大野の胸中が、ますます心配になった。


「明日の試合に、持ち直して戻ってこれればいいけどなぁ」










―――とか、言ってたのに。
インハイ予選、二日目青城戦、三セット目。
こんな、重要な場面なのに・・・!
何で俺が、メンバー交代のプレート持ってるんだ・・・!!?


「(ヤバイヤバイヤバイ!何で俺!?こんな重要な場面なのに俺!?)」


ここは大野だろ、と考えて、死んだような目で俺を見送った姿を思い出す。
大野はいつも、こんな緊張感の中でサーブを打ってるの?小心者の大野が?
・・・それのどこが、小心者だよ・・・!
コートに足を踏み入れれば、違う空気が肌に纏わり付く。
合わせるかのように手汗がじわりと滲んできて、ユニフォームで拭ってからボールをついたら足に当てて飛ばしてしまった。
・・・大野、頼むから代わってくれ・・・!
思わずそんな言葉が脳裏を過ぎって、その瞬間はっと顔を上げた。


「・・・・・・」


いやだ。
せっかく回ってきたチャンスだ、逃して―――たまるか!!
チラ、と大野に視線を送る。
相変わらず何を見てるのか、わからないような状態で・・・俺がサーブを打つことを、どう思っているのかもわからない。
けど、きっと。
何かが大野に影響してくれることを信じて。

ピーッ

―――サーブトスを、高く、上げた。


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