へなちょこへの言葉


山口君のサーブは、前に練習で見たときと同じように。
ネットに引っかかって、ポロリと床に落ちた。

―――失敗。

その単語が浮かんだ瞬間、心臓が締め付けられるようにクッと縮む。
自分のことではないのに、まるで自分がその場にいて、あの視線を向けられているような感覚。

―――なのに。


「ナイスレシーブ!!!」

「一本!ここで切るぞ!」


すごいなぁ、山口君は。
あの感覚を味わったはずの山口君は、今、すごくしっかり声出してる・・・
それも、高校初の出番で、あの局面で。たった一本のサーブが失敗っていう、僕なんかよりずっと責任を感じてしまう場面だったのに。


「一本カット!」


・・・それに比べて、僕はなんなんだろう。
僕が失敗したのは昨日の事。なのにまるで今失敗したかのように引きずって・・・
田中先輩の打ったスパイクが綺麗にブロックをすり抜けたのを見て、大きく息を吸い込んだ。


「ナイスキー!」


回りにあわせて出した声は、普段よりむしろ躊躇なく言えた気がするのに。
なんでだろう、空っぽな気がするのは。


「すごいな、大野って」

「・・・ぇ・・・?」


不意に声援とは違う普通の話し声が聞こえてきて、一瞬気のせいかと耳を疑う。
けどその中に自分の名前が入っていれば、それはまるで他の何よりも大きい音であるかのように耳に届いた。
声のした方を見れば、前を向いたままの山口君。
あれ、やっぱり勘違いだったかな・・・とそっと目を逸らせば、「俺さ、」と続くようにまた声が聞こえてきてはっと顔を上げる。
山口君はやっぱり前を・・・コートを見たままだったけど、小さく息を吸い込んだ口はそれとまるで関係ないかのように動き出した。


「練習どおり打ったつもりだったのに、入らなかった。それって、試合の緊張とか、相手がいる感覚とか、色々あるって・・・ようやく分かった」


「正直大野のこと舐めてたかも、ごめん」と淡々と言われて、思わず反射的に首を横に振る。
何で山口君がそんなことを言い出したのか、わからなかった。
何でそれが僕がすごいことにつながるのか、わからなかった。
・・・何で山口君が唇をかみ締めているのか、全然、わからなかった。


「そんな、ぼ、くは・・・」

「すごいよ」


遮るように言われた言葉に、どこを見たらいいのかわからなくなって視線を泳がせる。


「大野は、すごい」


言い聞かせるように重ねて言われた言葉に、どうしたらいいのかわからなくなって俯く。
褒め言葉は素直に受け取れって、いろんな人から何度も言われたのに。
でもこればっかりは、首を振るしかなかった。
横で山口君が、どんな表情をしているのかは見えない。見られない。
確かに山口君は失敗した。けど、それは僕だって同じだ。
あんなに自信満々にピンチサーバーを名乗っていたのに、自分のミスで点を落とした。
ピンチな場面で呼び出されるから、ピンチサーバー。
そのピンチを救ってこその、ピンチサーバーなのに。
味方をさらなるピンチに向かわせておいて、なにが“ピンチサーバー”。


「・・・だから、頼むよ、大野」


昨日枯らしてきたはずの涙がじわりと目を覆う感覚に拳を握り締めていると、ふと、力が抜けたような声が降ってきた。
変わった声の感じに少しだけ顔を上げれば、山口君の口元が視界の端に入って。


「次はまだ、お前が打って」


その口が緩やかに笑っていることに、僕は思わず目を見開いた。


「皆に追いつけたら、俺も、堂々と胸張ってコートに立つから」


震える唇、けれどそれを払い落とすような、力のこもった声。
泣いて、と顔を上げようとした瞬間、目の前にバウンドして飛んできたボールが視界に入って思わず手を差し伸べた。
「ナイスジャッジ!」という声と被るようにピッと鋭いホイッスルが聞こえて、妙に懐かしく感じるボールを両手で持ちながら顔を上げる。
こちらを見ていた主将と目が合って、その指が影山君を指した。

サーブ、だ。

はっとなって、ボールを影山君に投げ返してから得点板を見る。
21対23―――
いつの間に、と自分の目が揺れるのを感じるのと、「大野、」と山口君が声をかけてきたのはほぼ同時だった。
慌てて振り向けば、いつもと変わらない表情の山口君が視線でコーチを促して。


「コーチが呼んでるよ」

「・・・!・・・あ、ありがと・・・」


コーチと視線が合ったことに驚いて、おざなりにお礼だけ言って駆け足でそちらに向かう。
前を通り過ぎる瞬間、山口君の顎からポタリと雫がたれたことに、気付いた。
・・・サーブ打ちに行く前は、ほとんどかいてなかったのに。
1ラリーにも満たない時間でどれだけ緊張したのか、どれだけ本気で打ったのか。
如実に伝わってくるそれに、・・・やっぱりすごいのは山口君だよ、と唇を引き結んだ。
タッと烏養コーチの前で立ち止まって、腕を後ろで組む。
予想はできた。けど、可能性はなかった。
―――そう、思っていた。


「大野、ピンチサーバーだ」

「っ・・・!!!?」

「田中と代わって決めてこい。・・・頼んだぞ」


そんな、という言葉が頭を占める。
貫くようにホイッスルが響いて、心臓が止まる思いで振り返れば、その腕は右側に伸ばされていて。
22対23。


「影山も一本ナイッサー!!」

「ッサァー!!」

「ッ・・・ハァ・・・!はぁ、・・・はぁ・・・っ」


ドクン、ドクン、と大きく脈打つ心臓に、肺が圧迫されて呼吸が荒くなる。
どうして、そんな。僕は失敗した。使い物にならない、ただの足手まといなのに・・・!


「・・・アタックがお前に向かったら、上げることは考えなくていい。とにかく触れ」

「っ・・・!」


攻撃で返されること、前提ですか。
声にならない思いは顔に出ていたのか、眉を顰めたコーチは苦々しげに吐き出す。


「おそらく、サービスエースは決められんだろう。向こうだって本気だ」

「っ・・・ならっ、僕にできることなんて・・・!」

「サービスエースだけが全部じゃねえだろ」

「・・・!?」


何を言っているのかわからなくて、その感情が思い切り顔に出てしまう。
やっぱりそれを読み取られたのか、それとも元々言うつもりだったのか。
コーチは僕の背後のコートの様子に目を遣りながら、はっきりと口を動かした。


「相手が“上げにくい”と思えりゃ十分、崩せりゃ上出来だ。攻撃パターンが狭まるほど、こっちの攻撃に繋げやすくなる」


ピッと響いた音に思わず後ろを振り返れば、主審の腕は左へ。
22対24。
―――次、烏野が点を取れば、田中先輩の、サーブ。
思い出したようにドクンと鳴る心臓は、どうしたら抑えられるんだろう。
相手はマッチポイント。烏野に点が入ったとしても、勝つためには3点、連続で得点しなければならない。
代わりとでもいうかのように、こちらが今か、サーブ権が回ってからも最初の1点を落とせば青城の勝ちが決まる。
ハァ、と吐き出した息が、そのまま肺に戻ってきたような感覚がした。


「・・・バレーは元々“繋ぐ”競技だ。落としさえしなけりゃ、負けねえんだよ」


「音駒の受け売りだがな、」と僕の背中に向けて言うコーチは、何を思ってそう言ったんだろう。
これまで何回か、試合にピンチサーバーとして参加してきた。
確かに点は、少しずつだけど稼いでいた、んだろう。
けれどその流れを切っているのも常に僕。
相手が攻撃に繋げてしまえば、僕がそのアタックを拾えたためしがないのは、十分分かっているはずなのに。
そして三度、耳を貫く短いホイッスル。

23対24。

武田先生が後ろから副審に向かって「メンバーチェンジお願いします」と言っているのが聞こえて、合図を受けた主審がサインを出しながら長くホイッスルを鳴らす。
今度こそ逃げられないそれに、コートにいる全員の視線が一度主審に集まって、それから。
12対の目に貫かれる感覚に、一瞬息の仕方がわからなくなった。
けれどそれは、普段からなくはない感覚。
深呼吸を一つして心を落ち着かせ、左足を一歩前に踏み出す。
逃げられないなら、・・・やるしか、ないんだ。
そして渡された5番のプレートを、震える手で肩の前に掲げた。


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