へなちょこだって、やるんです


田中先輩が5番のプレートを受け取ったことを確認して、そこから恐る恐る手を離す。


「頼むぜ、大野・・・!」

「っ・・・!」


そこに普段のイタズラっ子のような笑みはなく、ただただ真っ直ぐ見据えられて思わず息が詰まった。
今まで向けられたことのない表情に、なんで、と思った直後にはっと理由が思い当たり、顔から血の気が引く。
こんな局面なのに、先輩を差し置いて1年が出るって・・・!
はわわわわ・・・!と言葉にならない思いで唇を戦慄かせていると、首をかしげた田中先輩ははっとなって笑顔を作った。


「オウ、大野なら大丈夫だ!いつも通りいけ!」

「・・・ぇ?」

「ガツンと決めてきてくれよな!」


バシン!と背中を叩かれて、今度は物理的に息がつまる。
ケホ、と咽て振り返れば、本当にいつも通りの田中先輩の笑顔がそこにあって。


「頼んだぜ」


ニシ、と見せられた笑みはどこかほっと安心できて、唾を飲み込むと小さくコクリと頷いた。
コーチのほうへ踵を返す田中先輩の背中を、少し見送ってから。
ゆっくりと、視界をコートの中へと移した。
真っ先に視界に入ったのははでやかなオレンジ。
そこから順に、“黒”が視界を埋めていく。
全員の真剣な目が身体を射抜いて、めまいを起こしそうな感覚が襲ってきた。
それでも何とか一歩、コートの中に足を踏みいれれば、つられるように二歩、三歩と足は動いて。
ゆっくりと、けれど着実にボールを持った主将に近づいていけば、オレンジが視界から消えた瞬間バシン!と背中に衝撃が走った。
二度目のそれに、えっと振り返れば予想した高さに顔はなく。
目に映る一部だけ金色の髪の毛に、ドクンと心臓を跳ねさせてから恐る恐る視線を下に向けた。


「・・・に、西谷先輩・・・」

「・・・」


“下手なサーブ打ったら―――”


「っ・・・!き、昨日は、す、すみませ・・・」

「はぁ?何の話だ」


フラッシュバックした記憶に思わず涙目になりながら謝罪を口にすれば、訝しげな顔をした西谷先輩が片眉を跳ね上げる。
な、何の話って・・・僕は昨日、“下手なサーブ”打っちゃったから・・・し、絞められるんじゃ・・・
ビクビクしながら西谷先輩の動向を窺っていると、不意にボールがスッと胸の前に差し出された。
反射的にビクッと身体をのけぞらせれば、「大野、頼んだぞ」という言葉と、ボールから伸びる主将の腕。
その真剣な表情とボールを目で何度か往復して、おずおずとそれを受け取れば、空になった手はそのまま僕の背に回されて。
ぽん、とさっきまでより随分優しく叩かれた背中に、思わず主将の顔を見上げた。


「頼んだ」


さっき言われた言葉と同じはずなのに、重さが違うように感じられるそれ。
受け取ったボールを胸に抱えて抱き込めば、西谷先輩がじれたように「大野!」と僕の名前を叫んだ。
「はっい・・・!?」と引きつったような声で返事をして振り返れば、腰に手を当てて仁王立ちの西谷先輩。


「俺に拾えないサーブ、打ってこい!!」


そしてその口から放たれた仁王立ちに相応しい台詞に、思わず返事も忘れて目を瞬かせた。
そして、眉が自然とはの字になる。
西谷先輩に拾えないサーブ、なんて。





「13番だ・・・」

「あれ、昨日サーブミスってなかったっけ?入ればでかいけど・・・ってやつ?」

「バカ、お前午前の試合見てねえのかよ。アイツ14本連続でサーブ打ってるんだぞ」

「!?マジかよ・・・」

「しかもそのうち半分くらいはサービスエースだ。むしろ伊達工戦が珍しかったんじゃねぇ?」





もう僕のサーブに慣れてしまった先輩は、大抵のボールは拾ってくる。
そんな先輩からサービスエースを取る?
・・・無茶、という言葉が一番似合うと思うのは、僕だけじゃないはずだ。





「・・・アレが前に言ってたピンチサーバー君?」

「おう。ドライブとフローター、ついでにネットインまで使い分けてきやがる。ドライブはお前ほどじゃねえけど、フローターがやっかいだ」

「ふーん・・・でも、一点もくれてなんかやんないよ」

「当たり前だ。お前ら、気ィ引き締めていくぞ!!」

「「オォ!!」」





・・・僕はいつも、みんなの背中に守られてて。
空中戦の真下でなら、とそこについてからも、やっぱり自分が後衛として受けるはずだったボールを他の人が拾ってくれている、という感覚は拭えなくて。
何もできない自分が・・・くやしくて、・・・惨めで。
唯一の取り得だったサーブを失敗した瞬間、“役立たず”、とみんなの背中に拒絶されたような気がして。

・・・でも。

でも、もしまだ。チャンスがもらえるなら。


「・・・大野」

「・・・は、はい・・・?」


あまり自分から話しかけてくることのない影山君に名前を呼ばれて、少しドキドキしながらそちらを見る。
怒っているわけではなさそうな表情に、小さく首をかしげた瞬間。


「お前、ネットの向こう側にいるとき、すげえ腹立つ」


月島も言ってた、という言葉が、追い打ちを刺すように続いた。
少しだけ持ち直しかけたところに畳み掛けるようにきたダメージに、一気に呼吸が荒くなる。


「・・・っ!?っ!?」

「お前がサーブ打つとろくに俺のところにボール返ってこねえから、司令塔として機能できない」

「おい、影山・・・!」

「けど、」


遮ろうとする主将をさらに遮って、影山君は続ける。
ガンガンと頭の中を打ち鳴らされるような感覚は、次の言葉で霧散した。


「今は、俺達の後ろだ。ネットも、挟んでない。・・・今言ったことは、そのまま敵のチームの受け取り方になる」


主将が驚いたように手を止めるのが、視界の端に映る。
下がりかけていた自分の視線が、ふっと上を向くのを感じた。


「入れさえすれば、打った後のことなんて・・・俺達全員で戦うんだから、問題ないだろ」


ふいっと背中を向けて、自分のポジションに向かう影山君。
苦笑した日向君と東峰先輩からも背中を押されて、「頑張れよ」「期待してるぞ!」と声を掛けられて。
呆然としたまま「はい、」と条件反射に応えて、エンドラインまで小走りで向かい。
くるり、とコートに向き直った。


「サッコォーイ!!」

「こいやァー!!」


こんなに距離があるのにダイレクトに伝わってくる気迫に、一瞬飲まれそうになって目を瞑り、呼吸を整える。
・・・青城とは、前に練習試合で戦ったことがある。
ドライブは拾われた。ネットインも、知られていたら拾われる可能性のほうが高い。
そしたら僕はフローターを選ぶしかない。



・・・ってきっと、向こうにも、読まれてるんだろう。
読まれてるボールじゃ、・・・西谷先輩には、簡単に拾われてしまう。
なら、と。ボールをクルリと回して、手を当てる位置を変えた。
ピーッと、開始の笛が鳴らされる。
皆から押された背中に、今も手が触れている気がする。
一つ息をボールに吹きかけて、ひゅ、と軽く吸いこんだ。


「―――いきます」


まだ成功率は8割程度。
一点も落とせないこの場面で、使うのは間違ってるかもしれない。
けど。

“サービスエースだけが全部じゃねえだろ”

“俺に拾えないサーブ、打ってこい!!”

“・・・俺達全員で戦うんだから、問題ないだろ”


ボールを、ピッと斜めに高く放る。
腕を振ってそれを追い、飛び上がって肩甲骨を寄せる。
指先に力を込めて、ボールの落下よりもほんの少しだけ早く腕を振る。
僕は、僕のやれることを。
みんなと少しでも長くプレーするために、この一球を!




音を立てて、指先がボールの芯に当たる。

一斉に動き出す仲間の頭上を、回転のかかったボールが飛んでいく。

ここから先は、“仲間”と一緒に。

うずく気持ちを呼吸と共に吐き出して、心強い背中たちが守るコートへと足を踏み入れた。


=〇=〇=〇=〇=〇=
第二部、完です!
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