影山君は負けず嫌い


「わかったー!」

「よ、よかった・・・!」


日向の嬉しそうな声と、大野の安堵の声が響く。
これならとりあえず赤点は免れるだろうというお墨付きをもらったところで、今日の勉強会はお開きとなった。
マンションの外まで送ってくれる谷地さんと並んで歩きながら、頭の中はもうバレーのことで一杯だ。
さっきはつい勢いで日向と対人するみたいに言ったけど・・・来るときも、駅名見て気になってたことがあったんだよな。


「大野、お前谷地さんのノート見習えよなー意外と汚かったぞ!」

「う゛っご、ごめん・・・」

「なんか、ガーッて書いた感じだよな!式とか途中でイキナリ変わってるし!」

「あ、あー・・・そ、そうだね・・・もう少し丁寧に書こうかな・・・」

「(それって、途中式を暗算で解いてるからそう見えるんじゃ・・・)」


勉強が終わって箍が外れたのか外に出ても騒がしい日向の声を無視して、町並みを見渡す。
駅があっちだったから、・・・向こうのほうか?


「影山?何してんだ?」


遠くを見ていたのが気になったのか、日向が顔を覗き込んでくる。
何かイラッとして手を伸ばしたが、察知した日向にしゃがんで避けられた。
続けてもう一度腕を伸ばそうとして、後ろで大野と谷地さんが困ったように手を惑わせているのを見て、少し冷静になる。
誤魔化すように舌打ちをして、もう一度辺りを見渡した。


「・・・なぁこの辺て、白鳥沢の近くだよな」

「!白鳥沢って、“ウシワカ”の!?」

「俺に何か用か」

「ひっ・・・!?」


突然後ろから混ざった聞いたことのない声に、俺達の前にいた大野が小さな悲鳴を上げる。
それが聞こえることを恐れたのか、慌てて両手で口元を押さえる大野。
でも、視線は俺達の後ろに釘付けなままで。


「「・・・・・・」」


日向と二人で、油の切れたブリキの人形のように振り向く。
運動部特有の足。
SIRATORIZAWAと描かれた、機能性重視の短パン。
上半身は、身体を冷やさないよう長袖のジャージを着込んで。
息は乱れているのに疲れを感じさせない鋭い双眸が、俺達をジロリと一瞥した。
牛島、若利。


「っ・・・!!」

「ジャパン!」

「・・・用が無いなら行く」


思わぬ遭遇に固まっていた思考が、“チャンスだ”と叫ぶ。
はっとなって、既に走り始めているウシワカの背を追いかけた。


「俺達烏野から来ました。白鳥沢の偵察させてもらえませんか」

「「!?」」

「烏野・・・―――好きにしろ。お前たちの実力がどうであっても、見られることで俺達が弱くなることはない」


絶対的な自信に、揺らぎはない。
それに血がざわめくのを感じるのと、もうひとつ。


「これから学校へ戻る。見たいならついて来ればいい・・・ついて来られるなら」


明らかに舐められている感覚に、ピクンと自分の片眉が跳ね上がったのを感じた。
・・・丁度いい。一日勉強漬けで、身体も鈍ってたところだ。
ぐっと脹脛を伸ばしながら、日向と大野に視線を送る。


「・・・行くだろ。春高で倒す相手だ。見て損は無え」

「えっ・・・?えっ・・・!?」

「何してんだ大野!軽くでもストレッチしとけよ!」

「ぅぇえぇやっぱりそうだよね・・・!」


当然日向は乗り気で、大野は腰が引けている。
けど、日向にさも当たり前のようにストレッチを強要されて、それでも断れるほど大野が強いわけもなかった。


「一人でロードワーク中ですか?」

「他の連中が遅いだけだ。後ろのどこかにいる」

「!?(やめなよ!死ぬよ!)」

「じゃあ谷地さんアリガトね!また明日〜」


走り始めたウシワカについていけば、後ろから日向に「フライングすんなよ!」と言いがかりをつけられる。
谷地さんの言葉を聞いた大野は「命日、かぁ・・・」とか呟いているけど、それでも谷地さんに「今日はありがとう」とペコリと頭を下げてから追いかけてきたようだ。
日向の頭を押さえつけながらチラリと振り返れば、鞄を押さえながら困り顔で付いてくる大野。
・・・そういえば、「一応と思って」とか言って、他の教科のノートとかも持ってきてなかったか?
大野の鞄の重さを想像して、それを抱えて走ることを考えて流石にちょっと引く。
しかもこのハイペースだ。
普段のロードワーク以上にぐんぐんと変わっていく景色に、大野は途中リタイアも有り得るな、と思いながら足を動かした。
入部した当初思っていたほど、大野に体力がないわけではないことは分かっている。
同じメニューをこなしても、大野の方が回復が早いことに気付いたときはショックを受けたくらいだ。
けれどやはり重石が辛いのか徐々に距離の離れていく足音に、我ながら薄情だと思いながらも前の背中を見据え続ける。
これはウシワカから叩きつけられた挑発だ。
ついていけなかったら、絶対一生鼻で笑われる。
だから、大野と同じペースにまで落として、一緒にウシワカを見失うなんてことは、絶対にしない。


「大野早く!置いてくぞ!」

「むっ・・・が、がんばるっ・・・」


日向が振り返って声をかけても、“無理”って言おうとしたのがバレバレの弱弱しい声。
大野が無理って言おうとするってことは、これ以上、俺達に合わせるのは厳しいってことで。


「・・・先行くぞ」

「う、・・・ぅん・・・っ」


そう声をかければ一気に足音が遠ざかって。
自分でそう言ったくせに、こんなにあっさり諦めるのか、と少しムッとした。
もう少しぐらい走れよ、ボゲ。
次会ったら文句の一つでも言ってやろうと思って、八つ当たり気味にウシワカの背中を睨みつけた。


―――なのに!


「何でお前のほうが早く着いてるんだよ!」

「あっふ、二人共・・・!よ、よかったぁ・・・!僕、まち、間違えたのかと・・・っ!!」


体育館前で体育館の中を覗いてみたり茂みに隠れてみたりと挙動不審な男に声をかければ、ピャッと飛び上がった大野がバッと振り返ってすがり付いてくる。
確かに敷地内で迷子になってたのは俺達だけど!何で俺たちより先なんだ!
俺と同じ思いだったのか日向が「大野早えな!すげえ!」と興奮した様子で飛びつくのに、慌てて両手をブンブンと振る大野。


「丁度駅が近くにあったから、コインロッカーに荷物、預けてきて・・・」

「遅かったな」


ビクン!と飛び上がる大野の肩の向こうに、ウシワカの横顔が見えた。
・・・大野のことも気にはなるが、今はこっちが先決だ。










「失礼します」と軽く頭を下げて帰っていく、三つの影。
その後姿を見送って、この十数分で分かったそのスタミナ、バネ、スピード、闘争心、・・・それらを思い出して。


「ヒナタ、ショウヨウ・・・カゲヤマ、トビオ・・・」


名前を復唱すれば、自身の中の闘争心がうずき出すのを感じた。
それに合わせるように、口が弧を描くのが分かる。
敵などいないと思っていた。事実そうであろう、春高が。

―――少しでも待ち遠しく感じられるなんて。

練習に戻ろうと踵を返したところで、ふと、二人の後ろにいた影を思い出した。


「・・・もう一人、いたか」


名乗りもしなかった、酷くオドオドしていた男。
覇気も無い。


「むっ・・・が、がんばるっ・・・」


自信もない。
意志すらもない。


「何してんだ大野!軽くでもストレッチしろよ!」
「ぅぇえぇやっぱりそうだよね・・・!」



背後でしていた会話を思い出せば、長いものに巻かれるタイプなのだろうと簡単に察しがつく。
あんなやつでは、アタッカーでないことだけは間違いない。
トスも呼べない男に、アタッカーは務まらない。


「・・・リベロか、控えか」


なんにせよ、注目するほどの選手ではないだろう。
体育館に一歩踏み出し、二歩、三歩。
その頃には名前も聞かなかった“もう一人”のことは記憶から薄れ。
体育館に入るころには、そこに居たことすらも忘れ去った。


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