月島君の秘密の特訓


『月島で無理なら―――』


何で君が僕の限界を決めるの。
自分が最初に“無理”と言い出したのは棚に上げて、イライラと部室のドアを開ける。
鞄からスマホを取り出して、履歴の中から一つのアイコンをタッチした。


「もしもし・・・蛍だけど、今日行くから」


耳元に聞こえてくる声に、用件だけ伝えてしまう。
嬉しげな声に少し複雑な気分になったけど、家まで車で迎えに来てくれるという兄に大きなことは言えない。
時間だけ簡単に打ち合わせると、さっさと通話終了のボタンを押した。

兄ちゃんのチーム。
当然成人、高さも力も圧倒的に“上”が揃うところ。
そんなところにわざわざ自分から行くことになるなんて、僕、いつのまにMになったんだろ・・・
はぁ、とため息をついて役目を終えたスマホを鞄の中に仕舞い、簡単に荷物を纏める。
どうせまた動くんだから、必要なものは変わらないし。
汗でべたつくシャツは一度シャワーを浴びて変えるとして、タオルも・・・と洗濯物を袋に詰め込んでいくと、部活の練習だけでかなりの汗をかいたことが分かった。
それでも今日は後半が自主練になったこともあって、まだ身体に余力が残っていることは何となく分かる。
・・・だから、どうせならと思って行くだけだ。
うるさいチビに絡まれながら練習するより、大人に混じって練習したほうがよっぽど・・・


「・・・そういえば、大野も」


ぽろっと口から出た言葉は、誰もいない部室に転がり落ちる。
そういえば大野も、成年に混じって練習してたって言ってたっけ。
口を噤んで続きを頭の中で呟けば、ぽんと浮かぶ濃い顔のおっさん。
つい一週間程度前のことを思い出して眉間に皺を寄せつつも、彼が大野のバレーの師匠であることは間違いないだろうと確信を抱く。
実際、滅茶苦茶ではあったけど、やってることはバレーのためになることだったし。
文句を言うに言えない帰りがけ、どんな表情をしていいのかわからない僕たちにドヤ顔をかましたときは苛立ちしか感じなかったけど。
・・・そういえば実際、バレーの選手としての実力はどうなんだろう。
あれだけ色々言ってきて、本人は大したことないなんてことがあったらいい笑い話なんだけどさ。
まぁまた前みたいに突撃してくるかもしれないし、機会があったら聞いてみればいいか、・・・なんて、思ってたのに。


「何だ、圭吾は連れてきてねぇのか?」

「・・・は?」


兄ちゃんに連れて行かれた体育館で、その濃い顔と対面した瞬間。
“待ち伏せ突撃”なんて言葉が頭を過ぎってしまった。


「・・・赤井沢・・・サン?何でここに・・・」

「何でって、そりゃここは俺のホームグラウンドだからな」


ドン!と胸を張って強調するそこに“加持ワイルド・ドッグス”と書いてあるのはわかる。
わかるけどでも、兄ちゃんのチーム名を知ってるわけでもないし、それがわかったからどうなんだって話でもあるんだけど。
反応しようがない、と黙っていれば、気にもしない赤井沢さんは「そんなことより、」ともう一度僕の後ろを覗き込んだ。


「圭吾は一緒じゃねえのか?月島から弟連れてくるって連絡あって、圭吾も一緒だと思ってたんだが」

「何でそこで大野も一緒に来るって思考になるんですか」


ここが赤井沢さんのホームグラウンドだってわかってたらまず僕が来ない。
誰かについてきてほしいわけでもなかったから、行き先も言ってないし。ていうか知らなかったし。
唯我独尊な赤井沢さんの思考回路に、思わずため息が出て。


「そりゃお前、ここはアイツが中学まで所属してたチームだからな!」

「・・・・・・!」


その言葉を聞いた瞬間、吐き出していたはずの息を飲み込んだ。


「圭吾君とは俺も付き合い長いんだ。言ってなかった?」

「・・・聞いてない」


確かに少し、おかしいとは思ったんだ。
家に来るなり僕の後ろを見て「一人か?」なんて聞いてくるから、変だなとは思ってた。
けど、まさかそんな繋がりがあったなんて。


「圭吾君も烏野に入ったって聞いて、バレー部だし。弟だって伝えといたんだけどな」


「まぁタイミング逃したんじゃないのか?」と笑って言う兄ちゃんの姿が、僕よりよっぽど大野のことをわかっているような気がして釈然としない思いに駆られる。
・・・別に、僕が大野のことをわかってあげる必要もないんだけど。
・・・・・・別に、チーム内で最低限連携が取れる程度相手のことがわかってればいい話だし。

・・・・・・・・・何か、むかつく。


「まぁ置いてきちまったもんはしょうがねえ!烏野がどんなもんか、試させてもらうぜぇ!」

「・・・・・・は?」


「ガッカリさせんなよ!」とわけわかんないところで燃えてる赤井沢さんに軽蔑の目をくれてやっても、案の定一ミリも気付いてない。
ホント、何でこんな大雑把な人が大野の叔父なワケ。
逆にこんなのの傍にいたからあんな性格になっちゃったの?
内心で荒れ狂う感情が表情に出れば、赤井沢さんの代わりに気づいた兄ちゃんに「まぁまぁ、」と窘められて。
聞こえればいいのに、とあからさまなため息を吐いてからアップに入った。










「ちょっと聞いてないんだけど」


次の日、授業が終わった放課後の部活。
練習合間の休憩時間に、タオルで汗を拭いていると猫背気味の背中が目に入った。
それにとげとげしい声をかければ、まるで本物の猫のようにその肩を飛び上がらせる。
油の切れたブリキの人形のようにギ、ギ、ギ、と振り返った大野は、僕と目が合うと生唾を飲み込んだ。


「はっひ・・・ぃ?」


・・・突っ込むのも面倒くさい。
裏返った声で返事をした大野に、元々寄せていた眉間の皺をさらに深くさせる。
それだけで相変わらず青くなる顔を伏せた大野は、いい加減慣れという言葉を学ぶべきだ。


「・・・兄と知り合いだったの?」

「えっあっ、ああ・・・っ!?つ、月島さん・・・!?」


直球に聞いてみれば、あっさりと気付いてわたわたと慌てる。
大野の口から出た“月島さん”という呼称に酷い違和感を感じながら、どう言い訳するつもりかと動向を見守った。
黙り込んだ僕に何を想像したのか、涙目になった大野がジャージの裾をぎゅっと握り締める。
・・・相変わらず、なんでこの図体の男にそのポーズが似合うんだか。
しょっちゅう見ちゃって見慣れちゃったってのもあるだろうけどさ。


「ご、ごめん・・・っ、月島君と初めて会ったとき、似てるなー・・・とは思ってたんだけど・・・!」


まさか兄弟だなんて思わなくて・・・!知ったときには、タイミング逃してて・・・!
兄ちゃんが予想した理由と全く同じことを言う大野に、すごいな、と兄ちゃんを少し尊敬して、直ぐに考え直す。
大野の思考はある意味単純だから、それなりに付き合いがあれば読めるようになるに違いない。
特に真新しい理由や発見があったわけでもない結果に、はぁ、とため息をつく。


「・・・もういい」

「ご、ごめ・・・っ」

「その代わり、これからは行くの付き合ってもらうから」

「ふぇっ!?」

「・・・あのおっさん、大野連れて来いって煩いんだよ」

「はっはいぃ・・・!」


コクコクと頷く大野に背を向けて、顔を隠すようにタオルを頭から被る。
・・・別に、連れてくるなって言ってたわけじゃないし。
赤井沢さんのしつこい絡みが、大野を連れて行くことで半減されるなら万々歳だし。
別に大野があのチームでどんな風に動いてたのかなんて、興味ない。
一人で行くより大野を連れて行ったほうがいいなんてこと、絶対に、ない。


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