烏養コーチは思い悩む
八月末、土曜日。
今日は、東京遠征で音駒高校の体育館に足を踏み入れた。
高校時代も何度か訪れたこの場所に、またノスタルジーだったかを感じてしまう。
感傷に浸るのもほどほどにしとかねえとな、と後ろからついてくる武田先生を意識して気を引き締めた。
学校が始まって、まとまった練習時間は土日にしかとれなくなった。
まぁそうじゃねえとこっちも身体もたねえし、少しだけほっとした面もあるっちゃあるんだが。
「10月の代表決定戦までの間で、関東へ練習試合に来れるのは今回も含め都合2回ほどです。貴重なチャンスを有意義に使いましょう」
「ハイ!」
武田先生の言葉に元気よく返事をする部員達からは、疲れたとか面倒だとか、そういう感情が一切見えてこない。
俺も高校の時はそうだったっけか・・・とまた昔を思い出していることに気付いて、慌てて頭を振った。
今回の遠征も、梟谷グループにウチを加えた5校での練習試合だ。
相変わらず負けまくる見事なまでの最弱っぷりにはもう遠い目しかできない。
けれど、今回の遠征の目的はそこじゃない。
俺たちが最弱だってことは、この前の合宿で散々思い知らされたしな。
目的は、その合間。
「おいツッキー!いつまで“見る専”やってる!?」
「・・・すみません。お邪魔します」
武田先生と次の練習試合について打ち合わせをしていて聞こえてきた怒鳴り声と、それに続く冷めながらも芯の通った声。
ふいとそちらに目を向ければ、コートの外で見学していた月島が音駒と梟谷のスパイク&ブロック練習に足を踏み入れたところだった。
「・・・・・・」
数日前、自分からブロックについて聞きに来た月島。
何があったのかは知らんが、100%を目指すことのなかった月島が向上心を持ちだしたのならそれは歓迎できることだ。
俺はブロックがそう上手いわけでもねぇから、参考にするなら黒尾をとは言ったが・・・
本気で“盗み”に行ってるな、アイツ・・・!
「ホァ!?」
いいことだ、これでまた烏野は一段と強くなる・・・!とジーンとした次の試合。
コートに響いた焦り声は、月島のと違って地味に耳に馴染んじまった声だった。
「速攻の成功率はまだ7割程でしょうか・・・」
「こればっかりは反復練習しかねぇな」
カバーしようにも手の届かない位置まで伸びたボールは、その必死さを嘲笑うかのようにコートに落ちる。
ピッと鳴ったホイッスルに、日向と影山が揃って分かりやすく悔しがり。
それを落ち着ける上級生、なんて何度見たこうけいだかわからん。
・・・だが、まるで合わなかった以前とは違う。
確実に上がってきている成功率に、最悪春高の予選に間に合えばいいわけだしな、と自分を納得させれば。
パリ、と卵の殻が音を立てて割れるのが、妙に明確に想像できた。
『雛鳥たちが殻を破り始めているのがわかるぞ?』
そして同時に耳に蘇る、猫股監督の声。
夏休みの合宿で毎晩呑みに付き合わされて、いつだったのか朦朧とする意識の中で聞いた一言。
ライバルの成長を喜ぶ猫股監督の器の広さに感服すればいいのか、いくら呑んでも赤い顔で上機嫌になるだけのザルっぷりに平服すればいいのか。
「“殻”・・・か・・・」
思わず呟けば、隣にいた武田先生の耳に入ってしまったようだった。
不思議そうな顔で振り返るその童顔に、さて、どう説明したもんかと苦笑する。
童顔てドジの割に、しっかりしてるからなぁ、この人。
「?どうしました、烏養君?」
「いや、・・・もともと殻をやぶっちまってたやつに、これ以上進化を求めるのは酷かねぇと思ってな」
我ながらわけわかんねぇ。
抽象的にも程があんだろ、と弁解しようとした矢先。
「殻を、・・・ということは、大野君ですか?」
「っ・・・何でもお見通しだな、アンタ・・・国語の先生ってのはみんなそうなんか?」
「い、いえ!そんなことは・・・!・・・ただ、烏養君がそうやって言うのは、ずっと見てきた大野君のことぐらいでしょうから」
「・・・恐ろしいねぇ」
下手したらじじいより察しがいいんじゃねえのか。
人生経験何年目だよ、と頼もしいやら呆れるやらでどういう表情をしていいのやらわからない。
誤魔化すように咳払いをして、丁度ローテが回ってサーブに入った大野を見やった。
「・・・大野はもともと、サーブとネット際のボールを拾うことしかやってこなかった奴だ。レシーブ練には力を入れてるみたいだが、一朝一夕で付く力でもなし・・・」
相手は森然高校。
様子を見る意味も込めて大野をずっと入れているが、未だ強打は何とか触っている程度だ。
そして肝心のサーブも・・・
相変わらずはっきりと聞こえる「いきます」と共に打ったサーブはしかし、流石に大野のサーブにも慣れてきた森然のコートには突き刺さらない。
「俺が取る!」と声を出した選手が正面に入ったように見えたが、当たり所が悪かったのかボールはあらぬ方向に飛んでいった。
球威があったようにも見えないし、ラッキーだったな、と軽く胸を撫で下ろす。
これなんだ。
―――大野のサーブに慣れてくると、相手が拾う可能性はぐんと上がる。
それは、ピンチサーバーとしての致命的な欠陥。
大野のサーブは、それが来るとわかってしまえば拾えない球じゃねえ。
もし大野のクセを研究されて、次に打つ球を予測されたら―――
勿論サービスエースだけがピンチサーバーの役目じゃねえが、サーブ以外で大野をコート内にいさせる理由がないのも事実。
ネット際は、呼吸が合わない今の段階ではまだ使えない。
今回の対森然高校で、それはまたはっきりしたものになってしまった。
「・・・ある意味、西谷がトスを覚えないのと同じようなもんだ」
「天才ではあれ、進化がないからそれ以上が望めない、と?」
「・・・はっきり言っちまうとな」
レシーブを一朝一夕で上達させろなんざ言えるはずもねえ。
けど、このまま何も新しい武器をなくして、勝ち進めるほど甘くは・・・
「・・・果たして、そうでしょうか」
「・・・?」
やけに落ち着いた声に振り返れば、ニコニコと人当たりのいい笑顔で迎えられる。
その目は真っ直ぐに大野のことを見ていて、何でか自分が酷く小さいものに思えた。
「大野君の目は、諦めていないように見えますが?」
「―――いきます」
高く上げられたボールを追いかける身体。
リズムよくステップを踏んで飛び上がり。
放たれたサーブは、やはり正面に捉えられて。
―――そして、あらぬ方向へと弾かれた。
「大野のサーブ、どんどんわけわかんなくなっていってるんですよね・・・」
「・・・は?」
「正面で捉えられてるのに、全然予想外の方向に飛んでいくんです」
学校へ戻って、大野にサーブを頼んだサーブカット練習。
レシーブの凡ミスを繰り返す一年のMBに声をかければ、そんな言葉を返された。
納得いかない、と顔にありありと書かれても、それに理由をつけてやれるほど理解が追いつかない。
やはり、森然との練習試合。
完全に拾われたと思ったサーブが明後日の方向へ飛んでいってたの、たまたまじゃないのか?
「レシーブ下手なだけじゃねーの?お前」
「君にだけは言われたくないんだけど」
「なんだとー!?」
いつものように騒ぎ始める一年二人を「あーわあったわあった!」と練習に戻して、続けてサーブを打っている大野に視線を移す。
「いきます」の声に合わせて打つ姿は、最近ジャンプしないことがほとんどない。
飛んでいくボールは普通のドライブに見えるが・・・
やはり選手達は、セッターに思うように返っていかないサーブに首を傾げているし。
これは、どんなサーブを打ってるのか、本人に直接聞いてみるのも手かもな、なんてことを思った。
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