東峰先輩は不安を隠せない


『圭吾、連れ戻しにきた』


その言葉が、体育館の中にやけに響く。
いや・・・響いているのは、頭の中なのかも。
でも、耳からこびりついたように離れないその音を、なかったことにすることはできなかった。


「・・・どういう、ことですか」

「まんまの意味だよ。圭吾をウチのチームに返してもらう」


緊張がこっちまで伝わってくるような低い声で大地が聞いたのに、さらりと返される言葉。
息を飲むことしかできなくて、その無力感にぐっと拳を握る。
大野の表情を、見ることすらできない、なんて。


「ここ最近、そこのひよっこと一緒に圭吾もウチの練習に混ざってたんだが・・・実際、圭吾がウチに来たの自体久々だったしな」


ひよっこ、と顎でしゃくられた月島が、嫌そうに顔をしかめる。
月島が大野を引きずって先に帰るところはよく目にしていたけど・・・まさか、この人のところに行っていたなんて。
それに驚いて、聞きたいことがあるのに、そんなことを口にできる雰囲気でもない。


「夏前の試合、助っ人に来させたときにも薄々感じてたが・・・これではっきりした」


ドン、ドン、とシューズをはいていない赤井沢さんの踵が体育館の床を踏みしめる音が響く。
一歩一歩確実に近づいていっている感じは、酷く心臓を刺激した。
・・・ほとんど当事者には程遠い俺がそうなんだ。
確実に近づかれている大野が、体裁を保てるはずもなかった。
顔は土気色で、立っているのもやっとなくらい震えている。
赤井沢さんの眼力が強くて目を逸らすこともできないのが、逆に可哀相なくらいで。
赤井沢さんは大野の手前2mくらいのところで立ち止まると、腰に手を当てて宣言した。
まるで、子どもに言い聞かせるように。



「帰ってこい、圭吾」



聞きたくない言葉が、その口から吐き出された。


「な・・・なん・・・なんで」

「・・・息が合わなくなってきてんだよ」


質問という大野のせめてもの抵抗に、重いため息と共に返される言葉。
どういう、という俺達の戸惑いに応えるように赤井沢さんは説明を続けた。


「お前がここに染まっていくと、今まで何年もかけて積み上げてきた俺達との呼吸が合わなくなる」


思うようにいかねぇ、と頭をガシガシ掻く。
その一挙一動に、大野の肩が震える。
・・・大野が、いつごろバレーを始めたのかは知らない。
けど、その“始まり”に赤井沢さんが関わっているであろうことはまず間違いなくて。
逆に、俺達が初めて顔を合わせたときからまだたった半年ほどしか経っていないのは、確かに事実だった。


「もともと、高校三年間だけのつもりだったんだ。お前が珍しく主張するから、期間限定で許したってのに・・・身体もできていい戦力になるお前がここで使えなくなるのは、こっちも困るんだよ」


そんな、勝手な言い分。
でも、赤井沢さんの本当に困ったような声色に、誰も野次を飛ばせない。
あの田中と西谷ですら、黙って大野の反応を見ている。

二人共、どこかでわかっているんだろう。
これは、大野が解決しなければならない問題だって。
俺達が口を挟んだところで、何も解決しない事態なんだ、って。

ただ。


「・・・で、でも・・・僕、は・・・部活が・・・」

「同じバレーじゃねえか。お前にできること、ウチの方が多いだろ」


かすかな抵抗も、話にならないとばかりにスパンと切り捨てられる。

そう。

大野が赤井沢さんのチームに戻って練習をするなら、おそらくここで部活は続けられない。
赤井沢さんのチームの練習頻度がどれくらいなのかは知らないけれど、兼任できるほど温いところだとは思えない。
大野は、烏野か、赤井沢さんかを、選ばなければならないのだ。

クッ、と、喉を締め付けられるような感覚に陥る。

大野が烏野を選んでくれる自信が、ない。
あの、夏が始まる前の試合を、見てしまったから。


「所詮お前をピンチサーバーとしてしか使えないチームだ。ウチの方がお前は活きる」


コートの中で生き生きと動き回る大野の姿が、脳裏に浮かぶ。
あの姿が、大野のベストなら。
やっぱりあの時と変わらず、大野にとって烏野は息のしにくいチームなんだろうか。


「・・・大野・・・」


口から出た声は、思った以上に情けない音になっていた。
まるで縋るようなそれに、大野に聞こえていないことを願ってしまう。
俯いてしまった大野が何を考えているのか、俺には計り知ることもできなくて。

赤井沢さんの言うとおりなのかもしれない、なんて思ってしまって。


「僕、・・・・・・・・・僕、は・・・・・・」


ぐっ、と。
震えるほど強く、拳を握りしめた。


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