縁下先輩は察しがいい
ピッ ピピー
聞きなれた試合終了の笛に、限界まで警戒していた身体が一気に緩むのを感じる。
試合が、終わった。
1セット目は15−25。正直、やっぱり無理だって思った。
2セット目、25−22。月島のブロックを筆頭に皆の攻撃が上手く決まり始めて、大野のサーブが決め手になった。
そして迎えた3セット目。
二度ピンチサーバーとして入った大野のサーブは、合計で13点を赤井沢さんのチームからもぎ取っていった。
25−18。
それでも大きな点差が付かなかったのはきっと、チームの地力の差なんだろう。
「いやーしっかし負けるとは思わなかった!ていうか圭吾のサーブが!すごいなお前!!」
「ほ、ほんと・・・!?嬉しい・・・!」
「蛍もどんどんブロック上手くなってるし・・・子どもの成長は早いなぁ」
「つ、月島さん・・・」
わいわいと下したはずのチームから親しげに囲まれ、まんざらでもない表情でそれらを受け入れる大野。
試合前は一言も交わさなかったのに、それがまるで嘘みたいだ。
「(いや・・・実際、嘘だったのかもな)」
練習試合の相手が俺らだってことを伝えるときに、試合をする理由とかもそれなりに話しただろうし。
向こうのチームの人たちも、複雑だったのかもしれない。
勝てば大野が帰ってくるけど、それはほぼ無理やりなわけだし。
でも負けると事実上彼らのチームから離れることになるわけだし。
「(・・・難しい)」
彼らにもきっと、葛藤があったに違いない。
それが試合前のあのピリピリというか、ギクシャクというかな雰囲気に繋がった。
・・・でも、きっと。
月島の兄だという人に頭を撫でられて、恥ずかしそうにしている大野に目を向ける。
あいつはきっと、それもわかっていたんだろう。
計3回、ピンチサーバーとしてコートに立った大野。
そのサーブは、全て赤井沢さんに向けて打っていた。
時折フェイントのようにネットインを挟んだものの、大野が打ったサーブは一種類。
ドライブでも、フローターでもなく。
「ところでお前、いつの間にあんなサーブ習得したんだよ?誰かに習ったのか?」
「う、ぇと・・・生川高校が、すごくて」
しどろもどろに説明を始める大野の、新しいサーブ。
ボールに強く逆回転を掛けることで、腕に当たった瞬間思わぬ方向に飛んでいく、らしい。
烏野に来てから練習し始めたそれは、赤井沢さんにとって未知のものだったんだろう。
大野はそれを分かって、勝負をしかけた。
「・・・拾われても、大丈夫だって思ったのかな」
「?どうした力!」
「あ、いや・・・」
ぼそっと呟いた言葉は隣でスポドリを勢いよく飲んでいた西谷に拾われたけど、軽く濁せば「ふーん?」とすぐ目を逸らしてくれた。
全然言葉に纏ってなかった身としてはありがたいけど、腹、下すなよ・・・
西谷の体が水分を必要としているのは事実だろうから、あまり強くは言えないけれど。
汗でぐっしょりと濡れたタオルとジャージに目を落として、その運動量に思いを馳せた。
月島がブロックし切れなかったボールも、ワンタッチのボールも、俺のより小さな掌を床との間に滑り込ませて。
西谷だけじゃない。
サービスエースがとれず、向こうからの攻撃が来ても、高確率でドシャットを決めた月島。
確実にレシーブをセッターに返して、後ろで守りを固めた主将。
チャンスを確実に決めた、スパイカーの皆。
「(来たばっかりの頃の大野だったら、赤井沢さんだけを狙うなんてことはなかっただろうな)」
きっと赤井沢さんから獲らないと、認めてもらえないとか。そんな風に考えたんだろうけど。
サービスエースでなくとも。たとえ拾われたとしても、大丈夫だと。
仲間を信じて、大野の信念を赤井沢さんにぶつけたんだろう。
どこか照れくさいような気分になって、緩む口元を誤魔化すようにボトルを煽る。
「腹下すなよ力!」と西谷の声が聞こえてきて、なんとも言えない気分になったけど。
「・・・お前が高い舞台へ行くのに“皆を手伝って”とか、“背中を押して”とか言うようだったら、首根っこ掴んで、引きずってでも連れてくつもりだった」
耳に飛び込んできた声に、チャポン、とスポドリが跳ねた。
試合が終わってからずっと黙り込んでいた赤井沢さんが、いつの間にか大野の近くに居る。
さっきまでの楽しそうな表情はどこへやら、大野はきゅっと唇を引き結んでいて。
そんな大野を見て、赤井沢さんが少し、寂しそうな表情になったように見えた。
「・・・お前は、“一緒に”目指すっつったんだ」
その声は、今まで聞いてきた中で、一番優しい音に聞こえて。
「・・・あの、超が付くほどへなちょこで、俺が守ってやらねえと何もできなかったお前が、なぁ・・・」
「・・・おい、ちゃん・・・?」
半ばしみじみと、独白のように呟く赤井沢さんに、大野が不思議そうな顔をする。
しばし目を合わせて固まっていた二人だったけど、赤井沢さんがため息を付いて頭をかいたところでその空気は氷解した。
「・・・勝手にしろ。ただし三年後、お前が俺達のところに戻ってきても、呼吸は合わなくなってると思うからな」
そのままくるりと踵を返して、体育館から出て行こうとする赤井沢さん。
いつの間にかきっちり片づけを終わらせていることに、感心すればいいのか笑えばいいのか。
空気を読んで「あー・・・じゃあ、また機会があったら」とコーチと先生に頭を下げる副キャプテンらしき人と、他の人たちも各々荷物を持って「じゃあ、」と軽く挨拶を交わして。
「・・・そしたら、また・・・」
そのまま帰るのかと思った加持ワイルド・ドックスの面々を引き止めたのは、大野の確かに力をもった声だった。
大の大人達が、それだけで全員足を止めて振り返る。
振り返らない赤井沢さんも、きっと続きを期待してる、んだろう。
「いきます」と同じ。
大野の、自信をもった声が、体育館の中に響き渡った。
「息の仕方、教えて・・・ください。きっと、すぐ、思い出してみせる・・・から、」
だって小さい頃からずっと、僕はおいちゃんのところでバレーしてきたんだから。
「・・・好きに言ってろ」
少しの沈黙の後、何事もなかったかのように歩き出しながら赤井沢さんが言い捨てる。
けれど、その背中には哀愁が漂っているようにも見えた。
「・・・たまには顔出せよ。どんだけ鈍ったかきっちり教えてやる」
「・・・!・・・ありがとう、おいちゃん」
「・・・・・・フン」
まるで、ドラマのワンシーン。
全員が体育館の外に出て、見送りに整列して。
「ありがとうございました!」と全員で頭を下げるまで、どこか感動したような心地でそのやり取りを何度も思い返してしまった。
何台かの車が排気ガスを残して遠ざかっていき、余韻も薄れる頃。
「いっ!?」
不意にバシン!と痛そうな音と一緒に悲鳴のような声が聞こえてきた。
慌てて現実に戻れば、案の定背中に手を当てて涙目の大野と、その後ろの西谷。
また何をやって・・・と諌めようと口を開いたけど、西谷と田中がドン!と効果音が付きそうなくらい自信満々に言った言葉でそれも別の言葉に代わった。
「アイツがまた来ても、もうお取次ぎしねえからな!」
「おうよ!モンバライってやつだ!!」
「せ、先輩方・・・」
「前ぬけてるし」
何でそこで間違えるんだよ。
せっかくカッコいいこと言ってるのに、台無しだ。
はぁ〜・・・とため息を付いて、ついでに今日一日の心労も吐き出す。
大きなため息が耳に付いたのか、大野が不安げにこっちの顔色を伺ってきて。
「よかった、大野」
「縁下先輩・・・?」
俺が言ってやれるのは、これぐらいかなと苦笑した。
二人みたいに、カッコイイことは言えない。
でも、気持ちは、絶対に負けない自信あるからさ。
「これからも、一緒に頑張ろうな」
「っ・・・は、はい・・・!」
大野は俺達の仲間だ。
自信をもって言えるその言葉が、やけに誇らしく胸に感じた。
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