日向君は勇気がある


「大野。―――全力で、打ってくれないか?」











「大野、頼む!一緒に便所行ってくれ!!」

「ぅっ・・・え、えぇ・・・っ!?」


主将と烏養コーチが受付に向かい、残りのメンバーは各々に時間を潰す中。
通路の端で小さくストレッチをしていた大野は、日向からの思いがけない依頼に目を白黒させた。
遠慮を知らない日向の声は当然周りにも聞こえていて、「またコイツは何を言っているんだ」的な視線があちこちから注がれる。
その視線に日向より先に耐えられなくなった大野は、背を丸めると日向に顔を近づけ、控えめな声で問いかけた。


「ど、どうしたの・・・?」

「トイレは駄目なんだ・・・!危険人物と遭遇する場所なんだ・・・!」

「きっ、危険人物・・・!?」


一体どんな、と問いかける大野の視線に気付かず、「アブナイ・・・危険がアブナイ・・・!」とぶつぶつと呟く日向。
その姿が大野の恐怖を更に煽って大野の脳内はトイレがとんでもないことになっているが、日向から真相を聞いたところで心境は似たようなものだろう。
ゴク、と生唾を飲み込む大野に事の重大性が伝わったことを感じたのか、日向の顔に若干の安堵が浮かぶ。
けれど本題はそこではない。
日向はもう一度顔を引き締めると、非常に情けない頼みごとを、非常に男らしい表情で言い放った。


「他の奴らに言ったら絶対馬鹿にされる!そんで着いて来てくれない!だから大野、頼むっ!」


―――実際のところ、日向の言う“トイレで遭遇する危険人物”とは、中学最初で最後の大会での影山であり、GW合宿でのリエーフであり、IH予選の扇南の主将であり。
決して大野の想像するような、ナイフを持った殺人鬼だったり、全裸コートの露出狂だったり、ましてや人体に寄生するエイリアンでもないわけだが。
慎重に、慎重に・・・と思うあまり、トイレの前で妙なファイティングポーズになる日向につられて油の切れたブリキの人形のようになっている大野も、結局は相変わらずの“へなちょこ”であった。
片や野生の獣から身を守ろうとする猫、片や気絶することが唯一の回避手段な人形。
意識が完全に目の前のごく平凡なトイレのドアに向かっていた二人は、後ろから「何してんの?」と馬鹿にしたような声がかけられたことで、完全に同時に呼吸を止めた。
そして、振り返った二人の視線の先に。


「だっっっ!」

「ひっ・・・!?」

「うわぁ、面白い顔」


青葉城西のエースとセッターがいれば、誰だって悲鳴のひとつも上げたくなるだろう。
それが黄色いかどうかは、別として。
一気に真っ青になる二人の顔を見て、及川がからかうように笑う。
それだけで涙を浮かべる大野は、もう一言何か言えば涙が落ちてしまいそうだ。
一応まぁ、自重しておくかと及川が黙れば、岩泉が引き継ぐように口を開く。
打ち合わせているわけでもないのに、その呼吸が阿吽と呼ばれる所以なのだろう。


「2m倒して来たんだってな?さすがだ」

「ハイッ!!イイエッ!」

「どっちだよ」


その声には笑いが含まれていたことに、あれ・・・?とほんの少しだけ肩の力を抜く大野。
けれどそれも、さっきの自重はなんだったのかという及川の言葉に、次の瞬間凍りついた。


「試合になるとチビちゃんもへなちょこ君もホント厄介だから・・・、今のうちにどっか埋めちゃう?」

「〜〜〜〜〜!!」


恐怖のあまり声も出さずにぽろぽろと涙を流す大野と、その首根っこを掴んで「しっ、失礼しますっ!」と逃げ出す日向。
けれど何mと進まないうちに、その身体はピタリと止まる羽目になった。


「アガッ、ギュエッ!」

「う゛づっ」


前を見ていなかったせいで、何かとぶつかった日向。
その後ろからバックで走っ(らされ)ていた大野が止まれるはずもなく、日向の後頭部に項がクリーンヒットして大きくのけぞった。
一体、何にぶつかったのか。顔を上げた日向と大野は、再び声にならない悲鳴を上げた。


―――牛島、若利。


白鳥沢の、全国トップクラスの、エーススパイカー。
じろり、と遥か高みからの視線が落ちてくる。
その射殺さんばかりの眼力が日向を捉えると、微動だにしなかった表情にほんの少し変化が現れた。


「・・・ヒナタ、ショウヨウ」

「!」

「―――と」


チラリ、と視線が大野に向かう。
けれどそれは数瞬も留まることなく、その先へとほぼ素通りしていった。


「・・・及川・岩泉か」

「・・・何このタイミング」

「知るか」


牛島の視線が大野を素通りしたことに若干の引っ掛かりを覚えつつ、険悪なムードの三年生たちに不本意ながら挟まれることになってしまった日向。
大野はもはや、生ける屍の如くだ。


「・・・お前達には高校最後の大会か。健闘を祈る」

「ホンッット腹立つッ!!」

「全国行くんだからまだ最後じゃねぇんだよ」

「・・・?全国へ行ける代表枠は1つだが?」


地を這うような二人の声に、何を言っているのかといわんばかりの声。
本当にそう思っているらしいあたり、牛島の性格も伺える。
ピリリとした空気を感じ取ったのか、周りのギャラリーから「何だ?」とこちらの様子を伺うような声が聞こえてきた。
できればすぐさまこの場を去りたいような・・・ちゃんと宣言しておきたような・・・!


「(―――野の10番!!後ろのは、多分ヤバイサーブ打つピンチサーバーだ!!)」


そうなんだよ!大野だってすごいんだ!!
耳に飛び込んできたかすかな声に、思わず身体に力がみなぎるのを感じる。
さっき牛島に歯牙にもかけられなかったことが、思った以上にわだかまりを感じさせていたようだ。
なんだか自分が認められたような気がして、ぐっと奥歯をかみ締める。
おれたち全員で、ここに来てる全員に―――勝つ!


「(あの烏野の1年青城と白鳥沢にケンカ売って・・・る、わけじゃなさそうだな。13番なんか超怯えてね?)」


困惑したような声にはっと気付いて背中に意識をやれば、確かに伝わってくる震え。
や、ヤバイ!大野ももう限界だ!
お、おれがしっかりせねば・・・!


「かっ、勝つのは烏野でヒイッ!」


勢いで口から出た言葉は、三人に一斉に睨まれて途中で上ずった声に変わってしまった。
直接その顔を見たわけではないのに、日向以上に身体をびくつかせて一歩後ずさる大野。
その背中にトン、と触れた何かに、再びヒク、と喉を引きつらせ。
ぬ、と顔の横に現れた大きな手に・・・・・・ストン、とその場に座り込んだ。
白地に緑のラインのジャージを纏った手はそのまま、大野の頭上を通過して日向の肩に乗る。


「!?ヒョエッ!?あれ!?大野は!?」


今の今まで後ろにいたはずの存在が鉄壁の一人に変わっていて、慌ててキョロキョロと探す日向。
その向かいで、ぶつかった相手が突然座り込んでしまい、おろおろする伊達工の青根。
そんな、傍から見れば馬鹿らしいことをしている連中に、一瞥をくれることもなく。


「誰だろうと受けて立つ」


王者の貫禄を見せ付けた牛島は、キュ、とシューズを鳴らすと振り返ることもなく去っていった。


「・・・行くぞ」

「うん」


それ以上言葉を交わすこともなく、こちらも静かに去っていく青城の二人。
そんな三人を見送って、未だ腰を屈めておろおろし続ける青根に視線を戻す日向。
青根に習って視線をさらに下に落とせば、顔を伏せた大野のつむじが目に入った。
おれ多分、自分より身長が高い人のつむじを見慣れるのって、大野が初めてで最後な気がする。


「あれっ?何で座り込んでんだよ!」

「こ・・・」

「こ?」

「こ、こし、ぬけちゃった・・・」


・・・いや!普段はこんなでも、試合になったらすげーんだからな!
お前ら!覚悟しとけよ!
誰に言っているのかもわからない訴えは、誰に聞かれることもなく日向の心に溶けていく。
・・・若干不安になったことは、やっぱり誰にも言わないでおこう。


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