コーチと、対等な人


「・・・・・・・・・・・・」


スパー、と紫煙を宙に燻らせる。
安堵とも疲労感ともいえないそれは、じっくり眺める暇もなく排気口へと吸い込まれていって。
それでも自分の周囲に微かに漂う残滓をぼんやりと感じながら、つい今しがた仲間の下へと戻っていった男の顔を思い浮かべた。


「・・・・・・チャンスを下さい、か・・・」


対和久南戦。実際、主将の不在というアクシデントに見舞われながらも、烏野はよく保った。

第一セットは山口のピンチサーバーでしのぎ。
第二セットは獲られたものの、代わりに入った縁下の働きで、第三セットは獲り返しての勝利。
結果的に見れば、まとめてしまえばそんなもんだ。
だが、今ここにいたアイツの―――山口の顔は、“そんなもん”なんてもんじゃなかった。
―――確かに、山口が打ったサーブは、勝ちにいくサーブじゃあなかった。
ピンチサーバーとして投入された選手が“安全な”サーブを打っているようじゃあ、話にならない。
けれどアイツは、それに自分で気付いた。
そして、それを分かった上で、「もう一度チャンスをくれ」と頭を下げてきた。

もう一回。
それはつまり、次の試合―――伊達工か、青城か。勝った方との試合で、山口を使うということ。


「・・・コーチってのは、こんな博打モンだったけか・・・?」


言葉でため息を誤魔化して、伸びてきた灰をトントンと落とす。
そしてもう一度口につけてスウと吸い込み、思い出すのはさっきの山口のサーブ。
十分に練習を積んできたとはいえ、まだ成功率の低いジャンプフローター。
努力は認めるが、純粋な成功率で見れば、やはり圭吾を使ったほうが―――


「・・・・・・・・・」


思わず顔が厳しくなったのを自覚して、今度こそため息を吐いてタバコを灰皿に押し付ける。


『先生が圭吾が戦力にならないと思ったら、山口を使ってくれ』


念のため。澤村の付き添いでコートを離れたとき、そう思って武田先生に言い残した言葉は、結局そのまま採用されてしまっていた。
つまり、武田先生は圭吾は使い物にならないと判断したわけだ。
バレーに関する知識はまだ浅いとはいえ、さりげなく人の機微に鋭いあの人が。
ガシガシ、と頭を乱暴にかき乱す。

・・・次の試合、使えるかも怪しいな。

あれだけフラフラになった圭吾が、そう簡単に回復できるとも思えねぇし。
伊達工であれ青城であれ、圭吾を欠いての試合、か。


「・・・・・・はぁー・・・」


考えること、気になることが多すぎて、思考がまとまらない。
澤村は次の試合・・・まぁ、止めたところで聞かないだろうし、今ゆっくり休ませて様子を見よう。
山口は・・・いや、あいつも成長のチャンスだ。ここを逃したら、あいつのためにもならねぇだろうし、どこかで使っていくか。
圭吾は―――


「オウ、烏養じゃねぇか」


そこまで考えたところで掛かった野太い声に、誰だ?と思考が中断する。
振り返れば、「よう、」と片手を挙げるオッサン。
普段そんなに関わるわけでもないのにすぐに思い出せたのは、その特徴的な目元があったからだろう。


「!赤井沢さん」

「一試合目見たぜ。おめっとさん」

「・・ッス」


ペコリ、と頭を下げれば、「なんだよ、かてぇな」と笑って肩を叩いてくる。
圭吾が決めたとはいえ、赤井沢さんのチームから圭吾をもらったような身としては、若干気まずい気もするんだが・・・
特に何を気にするでもなくタバコを取り出して吸い始めた赤井沢さんに、あんま気にしすぎないほうがよさそうだな、と肩の力を抜いた。


「―――圭吾は使えそうにねぇな」

「・・・っ!」


なんてことないことのように言われた言葉に、思わずバッと赤井沢さんを振り返る。
こちらと目を合わせることもなく紫煙を吐き出す赤井沢さんは、「何にあんなショック受けてんのかは知らねぇけどな、」と独り言のように続けた。


「ありゃあ回復に数日はかかるぞ。随分真っ白になってたからなー」

「・・・よくあったんスか?成年でも・・・」

「まぁ、ぼちぼち、な。大抵俺がガツンと言ったときだったが・・・何か言ったか?」


そう聞かれて、ぱっと思い浮かべるのはあの質問。
澤村が怪我をする直前、ベンチに戻ってきた圭吾に投げかけた、言葉。


『なんで“お前のサーブ”を打たなかった?』

『あのサーブならもっといけたんじゃねぇかと思ってよ』


・・・いや、ガツンと言ったわけでもないし、そんなに問い詰めたつもりもない。
どっちかっつーと、澤村の怪我が引き金になった感じではあるが、・・・昨日の影山の鼻血事件のときの様子を見てると、それもどこかしっくりこない。
・・・・・・けど、それ以外に思い当たる理由なんて・・・


「俺のほうが圭吾との付き合いは長い!断然にだ!」

「!?いや、そりゃまぁ・・・」


ドン、と胸を張っての突然の宣言に、いきなり何言ってんだ、と若干引く。
けど、ニヤリとしたニヒルな笑みと共に言われた次の言葉には、息を詰めるしかなかった。


「言ってみろ。わかるかも知れねぇぜ?」


・・・正直、わかられたらわかられたで、悔しい気もしなくもないんだが。
このまま一人で悶々とし続けるよりは、断然マシだし、背に腹は替えられねぇか。


「・・・この前・・・その、練習試合のときに。大野のヤツ、新しいサーブ打ってたじゃないスか」

「おー、練習でもたまに打たせてるぞ」

「・・・今回、それを使わなかったのが、どうにも」

「まぁ、勝てると思ったんだろ」

「・・・・・・・・・は?」

「でも競ってたしなぁ。圭吾にしては、判断ミスったみたいだな」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ赤井沢さん!それって・・・!」

「んあ?いいだろ別に、練習してんの見るくらい。卒業したらワイルド・ドックスに返してもらうんだからよ」

「そっちじゃなくて!」


“まぁ、勝てると思ったんだろ”?

“まぁ、勝てると思ったんだろ”!?


「大野は・・・勝てると思った試合では手を抜く、ってことっスか!?」

「なんだよ、やってなかったか?」


確かに、IH予選の第一試合のとき、西谷とモメてたのは傍から見てた。
けど、あれだけしこたま説教されて、まだやるか・・・!?


「別に手を抜くってわけじゃねぇけどよ。昔からの悪い癖だ、“まだ完成してないから”っつって出し惜しみするんだよ」


俺が思わず頭を抱えたのが気になったのか、圭吾のフォローのように言われたがそれでも頭痛は治まりそうにない。
結果、そのとき出せるベストなのかもしれねぇが・・・それでも点の獲れるサーブなのかもしれねぇが!


「あと・・・まぁ、俺の想像でしかねぇけどよ」

「・・・?」


赤井沢さんにしては珍しい、自信なさ気な前置きに、頭から手を離して首を傾げる。
ガシガシと首の後ろを掻く赤井沢さんは、言葉を捜すように、何かを思い出すように目を瞑って唸りだした。


「なんつーか・・・和久南は通過点にすぎねぇっつーか・・・勝って然るべき、・・・うーーん・・・今の試合より大事な試合がある、みてぇな?」

「・・・目の前の敵を見れてないやつに、勝ちは掴めませんよ」

「そうなんだけどよ。上手く言えねぇが・・・要は、研究されたくなかったんじゃねぇかと思ってよ」


・・・は、と思い出すのは、ギャラリーにいた青城のセッターとエース。
目立つのはそのくらいだが、それ以外にも、何校も。


「わかんねーぞ?圭吾がそこまで考えてるともわかんねぇし。そんなこと口に出すやつでもねぇしな」


続ける赤井沢さんの言葉は尤もで、確証なんてどこにもない。


「でももし・・・“絶対に勝ちたい相手”が見てるとしたら、アイツはぜってー自分の武器はみせねぇよ」


なのに、なんでだ。
その言葉が、妙にしっくりと胸に沈んだ。











一本吸い終わって「じゃあな」と去っていく赤井沢さんに頭を下げ、自分も烏野のチームのところへ戻ろうと踵を返す。
赤井沢さんは言わなかったし認めないだろうが、その根底にはきっと、“烏野のみんななら勝てる”という絶対的な信頼があったんだろう。
でなければ、ワイルド・ドックスで“一人で”戦ってきたアイツに、自分のサーブを控えるなんて選択肢ができるわけがない。
澤村の怪我は、大野にとって相当なショックだったようだが・・・
勝利へのイメージが崩れた、瞬間だったのかもしれないな。


「こりゃあ・・・何としてでも明日までに回復してもらんとな」


せっかく温存したんだ。
存分に、振るってもらおうじゃねえか。


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