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夕方の診察も終わり、小さく一つ息をつく。
入院が決まった患者さんのために準備して、それから…とこれからの予定を立てながらふと気づく。

そういえば夕食を神谷家でご馳走になるんだった、と。

あんなに楽しみにしていたのに忙しさに負けて忘れていたなと苦笑して帰る支度をする。
助手に今日は早めに抜けることを伝えて神谷道場に向かった。

夕方と闇夜の間、その薄暗い中をゆっくり歩いていると何だか昔を思い出す。

―――父がいて、同志がいて、…剣心がいて。
血生臭い世界だったが、その中には確かな幸せがあった。

あの頃のことは断然辛いことの方が多いが何故か懐かしく感じる。
そう感傷に浸りながら歩いていると神谷道場が見えてくる。
すでにみんな揃っているのか賑やかな笑い声が中から聞こえてきた。




「ごめんください」

「姫、やっと来たのかよ!」

「誰でぇ、この美人な姉ちゃんは」

「こんばんは、弥彦くん。…初めまして、ですね。私は、」

「姫さん!早くあがってあがって!」

「あら」




私に不審な目を向けたハチマキのお兄さんに自己紹介しようと思ったのだが、薫さんに引っ張られてしまったことで機会を失ってしまう。
嬉しそうに笑う薫さんに連れられて居間に行くとすでにご飯が用意されていた。
美味しそうな夕食にすごい、と感心していると奥から前掛けを下げた剣心が出てくる。




「やっときたでござるか」

「ごめん、遅くなって。…これ、剣心が作ったの?」

「そうでござるよ」

「……負けた……」

「は?」

「何でもない」




思わず漏れてしまった悔しい本音。
…こんなに美味しそうなご飯を作れるなんて反則。
妻なんていらないじゃない。女泣かせね。

ちょっとした僻みも入った気がするが「早く食べようぜ!」という弥彦くんの言葉に意識を浮かせて適当なところに座る。
目の前にはさっきのハチマキくんがいて、思わず「どうも」と苦笑した。




「自己紹介遅れてすいません。桂姫です。そこで医者をしています」

「医者?お前ぇが?」

「…見えないかもしれませんが、一応」

「へぇ。…ま、いいや。オレは相楽左之助!よろしくな!」




ニカリ、と悪戯っ子みたいな笑みを浮かべて手を差し出す左之助に姫もふわりと笑ってその手を握り返す。
中々いい人だ、と内心好印象を持っていると「姫っ!酒は飲まないのか?」と剣心にいきなり話しかけられた。
しかも、握っていた手をぐいっと引っ張られて。

痛い、と文句を言いつつ、お酒は飲みたいので「少しだけ頂きます」と返す。
持ってくる、と言い残して部屋を出ていった剣心を見送り、お料理に手を出そうとして、動きを止めた。




「…何、そのニヤニヤ顔」

「いやぁ、まさか剣心がなぁ…」




姫の目の前でにやにやにや、と意地の悪い笑みを浮かべる左之助。
その笑みが少し苛ついたので姫は食卓にあった左之助の魚を食べてやる。

あー!!と大声で叫びながら怒る左之助に自業自得だと勝ち誇ってやった。




「何を考えたか知らないけど、その笑顔が苛ついた」

「…ったく…剣心の野郎、女の趣味わりぃな」

「…?何でそこで剣心の女の趣味が出てきたかは知らないけど…」




頭を過る、白い着物がよく似合うたおやかな女性。
…梅の香りが思い出されて、少しだけ胸が締め付けられた。




「剣心の女の趣味は…悪くないよ」




そう小さく呟いて、姫は再びお料理に箸をつける。
姫の雰囲気に圧されたのか、左之助はそれ以上何も言うことはなかった。

(それに薫さんが悲しげな顔をしていたことも)


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