Io posso sorridere molto dolcemente.



彼女から一方的に押し付けられた百合。

それはとても美しくて、儚くて、何となく捨てられなくて。
花瓶、なんてそんなもの殺風景で生活感のない、ただ睡眠のためだけに存在する僕の部屋にはないから、食器棚の奥から引っ張り出してきたガラスのコップに水を注いでそこに一輪、その花を生けた。

殺風景だった僕の部屋に不似合いな一輪の百合……

でも、見ていて不快じゃない。


フッと小さく微笑んでデスクに積まれた書類の中から報告書を作成する。
その単調的でつまらない作業を終えて、綱吉の部屋に向かった。

このボンゴレの屋敷で一番奥の大きな部屋。
それがこのボンゴレボス、沢田綱吉の執務室だ。

その執務室前に立つとノックもなしに勢いよくドアノブをひねった。



「入るよ、綱吉」

「せめてノックくらいしてくださいよ、雲雀さん」




苦笑しながら書類から目を上げる綱吉とその横でコーヒーを飲んでいる赤ん坊が目に入る。
赤ん坊もいるのか、と思いつつも綱吉の机に歩みを進めた。

まぁ僕には関係ないしね。

そして荒々しく書類を机の上に突き置くとそのまま背を向ける。

もうここには用はない。
このボンゴレの屋敷にいるのも嫌だった。

さっさと帰ろう、と思ったのに雲雀、と赤ん坊に呼び止められてしまう。

あぁ、面倒だ。

赤ん坊に呼び止められてしまうなんて。
どうせ、僕にとっては面倒なことに違いない。

不機嫌そうに振り向くと赤ん坊は楽しそうに口の端を上げていた。



「…何」

「花なんて好きだったか?」

「…は?」




一体何の話、とばかりに怪訝そうに眉を顰めれば赤ん坊は再び笑みを深めた。
やっぱり赤ん坊の何か企んでいるような笑みは今でも苛々する。
しかも今回はニヤニヤという音がぴったりな笑みだ。

さらに不快感が大きくなっていくのがわかる。
こんな笑みを浮かべる時の赤ん坊はろくな事がないから。

すると赤ん坊は僕のスーツの袖を指さした。
自然と僕と綱吉の視線が僕のスーツの袖に向かう。
少しだけ手首を上げて、スーツの袖を見つめると微かに花粉のようなものが付いていた。

…あの、百合の花粉……

花なんて今まで扱ったことなかったから花粉がつくなんて予想外だ。



「それ、百合の花粉だろ?一体なんでそんな花粉がついてんだ?」

「…関係ないでしょ」



ふいっと体を元に戻して、ドアへと向かう。
赤ん坊は変わらず恐らくニヤニヤしていて、あぁ関係ねぇな、と楽しそうに返した。
でもあからさまに「愛人でもできたか」というようなからかいの声音。

そんなもの、一生できるはずないでしょ。僕はずっと一人で生きていく。

それが雲の存在であり、僕の生き方。

そんなこと一番知っているのは赤ん坊だろう?
…いい加減にしないと咬み殺すよ。

キッと殺気もこめて最後に一睨みすれば赤ん坊は楽しそうに肩をすくめた。

何なんだ、一体。わけがわからないよ。
そう眉を顰めて荒々しくドアを閉めてやれば綱吉の「リボーン、からかうのはよくないって。特に雲雀さんなんだから」という赤ん坊をいさめる声が聞こえてきた。

本当に……苛々する。

誰か適当に裏路地の奴らを咬み殺そう。
そう思って部屋には戻らずイタリアの街にくり出した。

どの辺の裏路地に入ろうか……

そう辺りを見渡していると小さな一つの花屋が何気なく目に入った。
いつもならすぐに視界から消えて通り過ぎるところだけれど……

僕の足はゆっくりと止まって、その花屋の前に立ち止まった。

花屋の中心に置かれている花――――

それは華やかな薔薇やガーベラなんかじゃなかった。
真っ白で、地味のように思えるけれどとても美しくて、凛としていて……

…あの少女が僕に押し付けていった、百合の花だった。



――――ポンポンッ



「…!君…」



あの時のように肩を叩かれて、振り向けばエプロン姿の彼女がいた。
日本人なんて珍しいから見間違えるはずがない。

ニコリ、とあの時と変わらない笑顔で微笑む彼女。

そのことに少し驚きで、少し興味深く思えて。
僕はいつの間にかやぁ、と彼女に挨拶をしていた。
彼女は少し笑ってペコリ、と軽く頭を下げる。
そして何かを思い出したようにパンッと手を合わせて店の中に引っ込んでしまった。

…彼女って不思議な子だよね……

少しだけ待たされていることを疑問に思い、首を傾げているとすぐに彼女は店の中から出てきた。
僕は今度こそ彼女が持っているものに目を見開くことになる。

彼女の手には…僕が捨てて、って言ったはずのスーツが乗せられていたから。

しかも彼女が洗濯してくれたのか血の跡はもうついていなかった。
綺麗にアイロンまでされていて、普通に着れるまでになっている。

彼女はニコッと笑ってそのスーツをあの時のように差し出した。



「…洗濯、してくれたの?」



僕の言葉に彼女は笑って大きく頷いた。
普通ならあんな態度とられたら捨てるはずなのに……

そっとスーツに触れると百合の甘い香りが鼻孔をくすぐったような気がした。
なんだか胸が温かくなって、僕はできるだけ丁寧にそのスーツを受け取った。

すると彼女は嬉しそうに笑ってお店に置いてあった一輪の百合を切ってからそのスーツの上に乗せる。

黒いスーツに白の百合はとても映えて、より一層輝いて、美しく咲き誇っているように見えた。



「ありがとう…」



自然と口について出た感謝の言葉……
それは何年も言っていなかった言葉で、こんなにもすんなり言えたことに驚いてしまった。

そんなこと、彼女が知っているはずが無く。
彼女はとても嬉しそうに微笑んで首を緩やかに振った。

その微笑みが、とても優しく感じられて、先程までの苛々がすべて解消されていくように思える。

本当に不思議……彼女自身が、百合の花みたい。




「ねぇ、君なんていう名前なの?」



何となく、知りたいと思った。

彼女のことを、少しでもいいから……

だから僕から名前を聞いてみると彼女は少し困ったように笑ってポケットからメモ帳とペンを取り出した。

一体何に使うつもりなんだろう?

疑問に思ったけれど彼女はそのメモ帳に何かを書いて僕にそのメモ帳を差し出した。
そこには『瑞樹 海鈴』とだけ書かれた文字が並ぶ。

もしかして…これが彼女の名前?
でもどうして口答で応えなかったんだろう。

僕の心が読めたように(あるいは僕がそんな顔をしていたのかもしれないけれど)海鈴は僕が持っていたメモ帳を取り上げて、また何かを書き始めた。
そしてすぐに僕にそのメモ帳を見せてくれる。



『私、声が出ないんです』

「…そうなの」



こくり、と頷くけれどその表情はまったく哀しそうじゃなくて。
むしろ声が出ないけれど誇りを持っているとばかりな顔だった。

自分の運命だと決めつけず、諦めず、ただ素直に受け止めている。

そんな素直さが僕には眩しかった。



『貴方のお名前は?』

「僕は雲雀恭弥。字はこう書くんだよ」



彼女の持っていたメモ帳とボールペンを借りて紙の上に僕の名前を漢字で書いた。
もう書き慣れてしまったこの名前。
なのに何故か彼女はとても目を輝かせる。

じっとそのメモ帳を見つめると嬉しそうに微笑みながら何かを書き始めた。



『とても素敵なお名前ですね』

「そうかな?普通だと思うけど」

『恭弥さん、と呼んでもいいですか?』

「クスッ…そんなに気に入ってくれたの?
…うん、いいよ。僕も海鈴って呼んでいいかい?」



海鈴はこくり、と本当に嬉しそうに笑って大きく頷いた。

その時僕は、



とても柔らかに笑えたんだ
(こんな笑顔、初めてだった)

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