「――と言う事がありまして…。えぇっと、あの…すみませんでした…」
「いや、俺の方こそ…」
一回り小さいダイニングテーブルに向かい合わせに座る影山くんに申し訳なさでいっぱいな私は首を垂れた。結局昨日は影山くんの目覚ましを止めようと試みたが結局失敗に終わった私はそのまま影山くんの部屋で眠りこんでしまったのだった。そして眩しい朝日と些かの身体の軋みに目が覚め、刹那に頭を過ぎった「遅刻」の文字に悲鳴を上げたところをダイニングに居た影山くんの「今日土曜っすよ」の言葉に平静を取り戻した。そしてお互いがなんとなく気まずい空気なのをこのままにはしておけないということで、寝ぐせのついたままとりあえず昨日の出来事を話し、ダイニングのテーブルに向かい合う今に至る。
「勝手に部屋に入ってごめんなさい…。ただ悪気はこれっぽちもなくてですね、目覚ましを止めに行きたかっただけなんです…」
「あー…。大丈夫なんでそんな気にしないでください。俺も目覚ましで起きなかったのが悪かったんだし、それに……その…」
「うん?」
「手首、すんませんでした。痕、残ってませんか?」
そう言いながら影山くんは申し訳なさそうに私の手首を見遣る。影山くんが目覚ましと寝ぼけて一晩中握っていた私の手首はうっすらと赤みが残っているものの、怪我や傷がある訳でもないので対して気にする事でもなかった。しかし私の意識以上に影山くんが心配しているものだからなんだかものすごく悪いことをしたように思えてくる。
「大丈夫!私そんなに柔じゃないから気にしないで」
「でも、」
「影山くんは気にしすぎ」
「いや、でも…」
いつもの歯に衣着せぬ物言いはどこへやら、今日の影山くんは随分歯切れの悪い。ぎくしゃくしていて落ち着かない様子の彼を見ているとなんだかこちらまで余計不安になってきてしまう。しかし、今回の事はもう過ぎてしまったことだしこの同居生活が崩れるような間違いがあった訳でもない。だからあとは時間が解決してくれるのを待って必要以上に気を揉まないことだと思っていた。
「あの…なんかすげぇ今更なんすけど…」
「ん?」
だから影山くんの口から出てきた言葉には正直ビビってしまった。
「あの、…美雨さんって、かっ、彼氏とか、いるんすか…?」
「……随分今更な話題で…」
「いや、その…。成行きの同居人とはいえ一晩、男の部屋にいたってのはの申し訳ないっつーか…。今まで、そういうこと考えたこともなくて…」
顔を背けテーブルの端に向けられた視線はいつも真っ直ぐにこちらを捉えてくる影山くんのそれとは異なっていて気まずそうに泳いでいた。その様子から何もなかったとはいえこんな事があった手前、私に彼氏がいたら申し訳ない、ときっと罪悪感があるのだろう。
そう思うと目の前の彼はやっぱり年下のいい子なんだなぁという気がして安心してしまう。
「影山くんっていい子だねぇ〜…」
「っ…!はっ、はぐらかさないで下さいっ。…で。いるんすか、いないんすか?」
「ふふっ、いいよ。気にしなくて。まぁ、自分で言ってて悲しいけど彼氏いないし」
「!!」
背けられていた影山くんの顔がすごい勢いで上がり、その視線が私のそれと交わる。私が言葉を発するのと同時に上げられた影山くんの顔はさながら忠犬のようで長身のくせに彼を妙にかわいく見せていてつい笑ってしまう。
「それに、もし彼氏がいたらここで同居する前にそっちの家に転がり込んでると思うんだよね。…それが出来なかったから今ここに居る訳デスネ…」
「なんで最後カタコトなんすか」
「自分で言ってて本気で空しくなってきた…」
今度は私が影山くんと入れ違いになるようにがくりと肩を下ろす。別に結婚願望がある訳でないので今すぐ彼氏が欲しいとか一人が寂しいとかそういう訳では無いけれど、自虐の分類に入る言葉は心にそれなりにダメージを与えるものらしい。
「…。彼氏欲しいんですか?」
「って訳ではないんだけど。でもこの歳になるとそのつもりがなくても負け惜しみに聞こえちゃうし、自虐にするのも深みを増しているような気が、」
「そんなことないっす」
「へっ?」
「あっ、いや、その…」
何かを言いおうとしてしかし言い淀んだ影山くんは再び私から視線を反らした。初対面があんなだっただけに、今日の言葉に詰まる影山くんはレアだなぁなんて頭の隅でぼんやり思いながらゆっくりと彼の言葉を待った。
「美雨さんは、その、全然大丈夫です!…急いで、彼氏なんか作ったりしなくったっていいと思います。あの…それに、俺は…」
「……」
「…美雨さんに出ていかれたら、こ、困ります…」
視線を反らしたまま途切れ途切れに、しかししっかりと紡がれたのその言葉。もし同居当初の私が聞いたら妙にドキドキしてしまったかもしれない。
だが、これまでの過ごしてきた時間から、もしかしたらこれは影山くんなりに励まそうとしているのかもしれない。もちろんこれは私が出て行ってしまうと家賃や生活費が半額にならないからってことも含まれてはいるんだろうけど。
「影山くん…やっぱりいい子!」
「あ、頭撫でないで下さいっ」
あの歯に衣着せぬ物言いの影山くんが励ましてくれているのだと思うと、まるで子どもの成長を目の当たりにする親のような気持ちになって妙に嬉しく感じてしまって、本題だとかギスギスした気まずさはいつの間にか忘れてしまっていた。
20150826
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