思慕
名前と行為を及んでからの日々は、鉛が身体にのしかかったかのように重く感じた。
あの時、目が覚めた時の絶望感を味わったような名前の表情に、傷付きながらも僕はいつものように装った。そしたら名前も、いつものように笑ってくれるんじゃないかと思ったからだ。だけど実際はその逆で、名前は僕のことを突き放した。
その時の切なさと言ったら、言葉に出来ないレベルのものだった。
あの時、ちゃんと理性を保ててたらこうはならなかったと、やっぱり酔った名前を抱いてしまったのはマズったと、気付けば今更考えても仕方ないことで自分を責めている。これでは任務に支障が出ると感じた僕は、名前から少し距離を置くことにした。
暇さえあれば送っていたラインも送らず、名前のことは何も考えないようにしていた。もちろん名前からのラインも来なかったし、そのお陰で任務に没頭することが出来た。
このままでいいとは思っていなかったけど、冷静になる為にも兎に角今は距離が必要だと思った。
それなのに今、僕の目の前には名前が居る。
数日ぶりに見る名前に、底知れない愛おしさが込み上げてきて溢れ出しそうになった。
連絡すら取らなかった反動なのか、一度触れたことがあるからなのか、どうしようもなく抱きしめたい衝動に駆られる。
だけどもう過ちは犯すまいと、昂る感情をグッと鎮めた。
「待てよ」
なるべく平常心を保ちつつ、この場から立ち去ろうとした名前の腕を掴む。
「……離して」
「離すわけないでしょ。やっとお前に会えたのに」
抵抗する名前に、会えなかった数日間の心の奥底に隠していた本音を告げれば、名前は目を丸くし、視線を床に落とした。
会いたかった、どうしようもなく。会いたくて仕方なかった。
だけど僕の中で、ある言葉が脳裏を過った。
「兎に角、昨日のことは全部忘れて!私たちの間には何もなかった。そう。何もなかったの」
その瞬間、頭の中を素早く切り替える。
「ちょっと今から付き合って」
「…は?」
その腕を掴んだまま、僕は高専の近くにあるとある場所に向かった。
**
「……幸せのパンケーキ」
「そう。名前これ好きでしょ?」
「そうだけど…」
今の状況が全く理解出来ないと、名前の顔に書いてあるけど気にしない。僕は目の前のパンケーキに食らいついた。
「…あのさ、」
「僕たちの間には何もなかった。だったら、今まで通りでいいんでしょ?」
「……」
名前の言葉に被せるようにして言った僕の言葉に、名前は口を噤んだ。
だってそれが、名前の望んだことなんだから。僕の気持ちなんて後回しでいい。好きな子の望みは何だって叶えてあげたいと思うのが、僕の考えだ。
それなのに名前は、どこか浮かない顔をしていた。
「どうしたの?浮かない顔なんかして」
「……別に?」
「相変わらず嘘下手だねー。顔に出てるよ」
だけど"早く名前も食べなよ"と、わざとそれに触れないようにした。自分の為にも。
でもちょっとだけ我儘を言うとしたら、もっと、一緒に居たい。
「ってことで、明日は仙台ね」
「へ?」
「ぷ、間抜け面」
「うるさいなぁ、もう」
僕の唐突な提案に間抜けな声を漏らした名前を馬鹿にしたように笑えば、ムッとなって子供みたいに口を尖らせた名前。その姿に、思わず口元が綻んだ。
そういえばこの台詞、出逢った頃にも言った気がする。
「それ、出逢った頃にも言われた」
すると僕と同じように思い出したのであろう、名前も懐かしむかのように目を細めながら言った。
「残念ながら、今回も強制的ね」
「なんでまた…」
「初心に戻ろうじゃない」
「でも私、調査中の案件があるんだけど」
「だったらそれ、僕が受け持つ」
「でも悟、忙しいんじゃ…」
「誰に言ってんの。ちゃちゃっと済ませるよ。僕最強だから」
"よし、決まり!"と言って一方的に話を終わらせ、再びパンケーキを頬張った。そしてどこか納得いかないと言うように不満気な表情を浮かべつつ、名前も漸くパンケーキを口に運んだ。
「……やっぱり美味しい」
「だよね。来て正解だったでしょ?」
「ふふ、うん」
美味さにうっとりする名前に笑みを浮かべれば、名前もいつものように笑ってくれた。
その様子に、僕は酷く安心した。また前のような関係に戻れるんじゃないかって、そこには僅かな期待が生まれたんだ。