2018/01/16
ある歴史書に関する報告・五
向けられたもの、の払拭は難しいのだと思う。特に、まだ子供である彼女にとっては。彼女の狭い世界は、余計に狭くなってしまったのだ。向けられた敵意によって。よく、医者の目をを盗んでは出歩いていた彼女は出歩かなくなった。話によると、私のせいなら出て行かなきゃ、ということを時々呟くらしい。
「館長、有魂書くれぃ」
そう酒を飲みながらやってきた牧水さんに、私たちは彼を見た。手を引かれてやってきた彼女は視線を合わせることはない。
「あぁ、構わないが」
「ナマエの味方を増やしたくてなぁ。お前さんたちが敵じゃないってことは理解してるんだが、どうもまだ怖いらしい」
「現状、敵じゃないが味方でもないからな」
「按司のそういうところ、俺は結構好きだが、口にすることじゃないだろ?」
「何冊いりますか?」
「今日は一冊でいい」
牧水さんの言葉に棋院が一冊本を渡した。牧水さんはそれをナマエちゃんに渡す。その瞬間、本が青く光る。
「俺が潜ってくるから、ここにいるんだぞ」
「ぼっさんと一緒がいい……」
「お前さんはこっちに来れないからなぁ」
そういって牧水さんは青い光に飲まれて消えた。彼女は消えた彼をキョロキョロ探し、部屋の隅に座りこむ。
「苗字さん、そこは寒いだろう?こっちにきて暖まるといい」
館長が見兼ねてそう声をかけたが彼女は首を小さく左右に振った。
「いい、です、ここでまちます」
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「話は牧水から聞いてる。よく頑張ったな」
そう告げたのは菊池寛だ。かいぐりかいぐりと彼女の頭を撫でた菊池寛を彼女はちらりと見上げた。
「……菊池さん?」
「あぁ、俺はお前の味方だからな。とりあえず佐藤を殴ることから始めたいんだが、いいか?」
やけにキリッとした言葉でそう告げた彼に、牧水さんは「よしいけ、菊池、俺が許可する」と酒を口に含んだ。まぁ、ナマエちゃんに止められたが。
「……冗談だ。どうせなら誰か連れてくるか?確かもう一人連れてくれば1日の研究項目の一つは埋まったはずだろう?」
「ああ、あったな、そんなの」
「話を聞くに、司書が力を使うと出てくるのはあの八人のうちの誰かだろう?」
「井伏希望」
「酒が飲みたいからか、佐藤への当て馬かは知らないが、バランス的にも井伏と直が来て欲しいところ、か。ナマエ、どうする?」
「今日は、いい。菊池さんと、おはなしする」
そう少し笑んだナマエちゃんに、菊池さんが動きを止めた。今、ナマエは耗弱だからな、と言った牧水さんに片手で顔を覆った菊池さんは「元より精神安定に見えるやや不安定だと思ってたが」とぼやいた
「アイツ司書が不安定な時いつもこんなの食らってたのか。そりゃあ落ちる、これは落ちる」
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「おい、佐藤、殴っていいか」
そう尋ねた菊池に、佐藤は盛大な「はぁ?」という言葉を与えた。一発だけだ、お前の方が強いわけだし、大丈夫だろ、と菊池は言う。
「俺が何でアンタに殴られなきゃいけないんだ」
「俺の腹の虫の問題だ。アンタは約束を守る男だ。それは知ってる。でも、現にアンタは守ってない。その約束ごと忘れちまってるから、腹がたつ」
「……何が言いたい?」
「何も。ただ、俺はお前に腹が立ってる。牧水は仕方ないと思っているだろうが、それでも忘れたお前に腹がたつ」
「俺のせいじゃないだろう?」
「あぁ、お前のせいじゃない。でも、俺が腹を立てているのはアンタのせいだ。ま、殴って欲しけりゃいつでも言ってくれ。殴ってやるから」
そうひらりと手を振った菊池はそのまま奥に向かう。佐藤は眉間にしわを寄せてそれを見た。
「お前が殴られなければいけないならば、恐らく私も殴られなればいけないのだろうな」
背後から聞こえて来た声に、佐藤が振り返る。そこにいたのは森鴎外だ。菊池の去った方を見つめて、そう言葉を零したらしい。
「貴方を殴るなんてこと、誰ができるんでしょうね」
「正岡殿が来れば彼だろうし、幸田殿が来れば彼だろうな。最近、少し夢を見るようになった」
そう告げた森鴎外は近くにあった本棚を見る。
「夢?」
「女の夢だ。いや、女を必死に止める夢、か。何処かに向かおうとする女を必死に止めるが、女は何処かに行って帰ってこない夢だ」
「好い人ですか?」
「いいや、アレに抱く感情はまるで自分の子供だな。死ぬとわかって戦場に送る馬鹿な父親の夢だ」
そう自嘲した森鴎外に、佐藤は「……俺は昔嫌という程見ましたけどね」と言葉を告げる。
「昔の夢では?」
「あぁ、そうだろうな」
やけにはっきりとした答えだ。しかし、よくよく考えると彼はあの戦争を知らないはずである。森鴎外は一冊の本を見つけると、それをめくる。やはりか、と呟いた彼はそれを懐に入れた。
「昔の夢だと確信しているのが、不思議か?」
「ええ、まぁ、貴方はあの戦争を知りませんから」
「あの戦争がどの戦争かはわからないが……答えは簡単だよ、女がナマエの顔をしていた、それだけだ」
そう告げて彼はマントを翻して歩いていく。
ーー夢、女の夢。
佐藤にも心当たりがあった。ただ、彼とは違い、まだ顔がわからない。声もわからない。ただ、女が消えていく様をみる夢だ。もしかしたらあの少女なのかもしれない。だが、どうも、あの艶やかな、そして何処か寂しげな雰囲気はあの娘と一致しない。
「誰なんだ、」
小さく呟いて見ても、答えは誰も教えてはくれないのだが。
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「一つ、頼みがあるんだが」
そう言って部屋にやって来たのは森鴎外だ。ナマエは目をパチクリと瞬いた。今日が診察日と言われているそれではないし、ナマエが倒れたわけでもないからだ。少しの好き嫌いはしているが、それはもう許容の範囲だろう。
「おお!森さんじゃねぇか!」
「正岡殿……?こちらに来てたのか」
「今、さっきな」
「丁度いい、思い出した暁には殴ってもらうとするか」
そう告げた森鴎外に、菊池が口をへの字にする。
「聞いてたのか」
「偶々あそこの棚に用があってな」
「用?」
「本を探しに」
「あそこ、著作者がま行だろう?まさか、自分の本を?」
「ああ」
そう言って森鴎外は懐から本を取り出す。タイトルが侵食されて読みづらい。
「自分が書いた作品を思い出していたんだが、どうしても一つ、思い出せなかった。この図書館には今まで作られた本の殆どがあるから、もしやと思ってな」
「それがこれか」
「ああ」
そんな話をよそに、ナマエは陸奥守と本をみる。そっとナマエが手を伸ばす。本のタイトルの上に手を重ね、そっと外せばタイトルがきちんとした文字列で並んだ。すぐにまたばらけてしまったが。
「山椒大夫」
ナマエがそうしめしたことで、四人はナマエと陸奥守を見た。ナマエはもう一度本に手をかざして目を瞑る。そして、数十秒ののちに手を外した。
「ほら、」
そう言ったナマエに、他はそれを見た。そこには確かにタイトルが並んでいる。
「確かにアンタの著作だな」
「やはり、記憶にはない、が、おそらく残りの一冊はこれだろう」
「潜るか?っていっても、アンタしか刃はいないから、アンタに負担は向くが」
「それは承知の上だ」
そう頷いた森鴎外に三人はナマエを見た。
「ということだ、一つ頼むぜ、司書」
「待ちやー、」
そう止めたのは陸奥守だ。その傍らにはいつのまにか薬研もいる。
「コレ、から、遡行軍の気配がするき、ワシらもついてく」
「お前は潜れるのか?」
「いっかいやったき、大丈夫ぜよ」
「陸奥守がいりゃあ百人力だな、安心して酒が飲める」
「主、誰かとまっとうせ。ちっくと行ってくるき」
そうぽん、と頭を撫でた陸奥守にナマエは頷いて本を手に取った。ぺらり、とめくれ、青い光が五人を包みーー光がおさまると共にページが閉じた。
「本、守らなきゃ」
「そうだねぇ、主。結界を張っておこうか」
聞こえた声にナマエがそちらをみる。そこにいたのは背の高い、袴を着たおかっぱの男だ。
「石切丸」
「覚えておいてくれたんだね。さぁ、結界を張ってしまおう」
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