2018/01/16

ある歴史書に関する報告・六


「珍しいな、一人なのか?」
部屋をノックすれば、そこにいた存在はゆっくりと伏せていたかおをあげた。二人、と言った彼女に辺りを見渡してみるがだれかいるわけではない。またあの時のように、俺を含めて、ということだろうか。机の上に置かれた本は、青白い光を灯していた。
「ソレ、有魂書か?」
「違うと思います、嫌な感じがするから」
そう呟いた彼女に、目を見開き、近づく。本を見てみれば、浮かび上がったまばらな文字が見える。それは、まさしく――。
「有碍書じゃないか!」
俺の声に驚いた彼女は肩を揺らす。
「持ち出したのか?ダメだろう!」
「ちが、」
「違うならどうしてここにコレがあるんだ!」
「森せんせい、が、もってきて、」
「森先生が?」
眉間にシワを寄せ、もう一度本をみる。タイトルは疎らでわかりはしない。おそらく、この部屋にいるはずの人がいないのはこの本の中にいるからだろう。彼女は俺を恐れるように見た。そこで、しまったと思う。
――彼女は今、精神が不安定な状態だ。
そう告げたのは確か館長だったか。文豪たちならば、ある程度補修すれば治るそれ。しかし彼女は文豪ではなく、人だ。修復には俺たちのような近道はない。
「悪い、怖がらせるつもりはないんだ」
そう言ってため息をついた。そのため息にさえ彼女は肩を揺らす。随分と怯えられているらしい。頭でも撫でてやればいいのか、と、手を伸ばしたが、彼女がぎゅっと目を瞑ったのでやめる。明らかな拒絶に少し胸が痛んだ。彼女とは少し距離をとって座る。怖がられてはいるが、一人だと何があるかわからないからだ。
「まだ、インクの調合は好きなのか?」
そう彼女に尋ねてみる。彼女はゆっくりと目を開いた。
「アンタが作ってくれたインク、気に入ってるんだ。枯れ木に花が咲くみたいで」
あの店主がいうように、彼女が作り上げたインクは素晴らしかった。最初は木の幹のような茶色だというのに、薄れるに従って淡い桜色になり、掠れて消える。掠れるのはペン先に良くないが、その美しい色合いを出したくて何本かペン先をダメにした。銀河鉄道乃夜は宮沢賢治に、舞姫は森鴎外に渡してしまったがそのどれも素晴らしいインクだったと思いだす。才能があるのだろうと思う。店主に言えば、チッポケな才能だな、と鼻で笑われたが。
「桜霞」
「さくらがすみ?」
「そのインクの名前。好きな詩」
「詩か、誰のだ?」
「貴方の作った詩」
「俺の……?」
記憶にない詩だ。図書館にもないそれだろう。最近、探してもないから、もうないのかもしれない。そう言った彼女は詩を紡ぐ。
「君は云ふ、思ひ出の積み重なりは歴史であると、なれば、この刹那も歴史となりて、のちに語られるのであろふ」
それは、聞き覚えがある。彼女は言葉を続ける。
「君は笑ふ、何故笑ふのかと尋ねれば幸せであるからと、なれば、我も幸せであると云ふ。桜霞、君が掠れ、春の色を残す」
それは、知っている。何故なら、それは。
「桜霞、君が消え、我一人佇む、舞い落ちるはひとひらの花弁。君、桜の花弁となりて、誰もいない春を告げる」
彼女が消える瞬間に、詠んだ詩だ。
彼女が不思議そうにこちらを見る。そして、そっと手を伸ばした。
「泣かないで」
そこで初めて、自分が泣いているのがわかった。彼女はそっと涙を拭い、俺をあやすように抱き寄せる。暖かなそれは何処か懐かしい。しかし、不意に彼女から力が抜ける。
「お、おい、?」
そう少し話せば彼女はまた気を失ったようだ。そっとため息をついて今度は彼女を抱きかかえる形になる。寝てしまうかと目を伏せる。ぱさり、と何かが落ちるような音がして目をゆっくりと開いたが、何も落ちてはいない。気のせいか、と息を吐いて目を瞑った。

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殴ってくれ、そう告げた森鴎外に、正岡子規は、肩をすくめた。
「仕方ないですよ、忘れてたんだから」
「だが、忘れていいものではあるまい」
「なら、先生、俺が殴ってやる。それで気がすむならな」
コツン、と頭を殴ったのは薬研だ。気が済んだか?と笑った薬研に、森鴎外は「少しは」と目を伏せた。
「本の奥にアイツらがいるってことは」
「恐らく歴史修正主義者が侵食者を使って先生から大将の記憶を消したんだろ。そうじゃなきゃ、大将のちからの方が強くて記憶は保たれたままだろうからな。俺たちが破れたばっかりに、大将やアンタ達は」
「薬研、暗い話はやめぇ、しゃんしゃんいぬう。主が待っちゅう」
そう肩をすくめた陸奥守に、牧水が酒を飲みながら肯定した。
「また寝こけてるかもしれねぇけど」

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「笑ってないで、のかしてくれたらどうなんだ」
ケラケラと笑う男達に佐藤は恨めしい気持ちでいっぱいになった。少女はくうくうと寝息を立てて起きそうにない。
「見ない間にえらく懐かれたな。些か、年頃の娘との距離ではない気がするが」
そい告げたのは森鴎外である。それは、と言葉を紡ぎかけた佐藤は口をつむぐ。自分が泣いたからこうして慰められたのだとは何とも言い難い。陸奥守と薬研は誰もいない場所を見つめて口を開く。
「ほー、佐藤が泣いたんちや。主が慰めてああなったんじゃな」
「は?なんでそれを」
「ん?あぁ、おんしには見えんけんど、ここにワシらの仲間がおるんじゃ」
陸奥守が告げた言葉に、佐藤は頭を抱える。ナマエが二人と告げたのは恐らくソレが見えていたからだろう。はぁ、とため息をついて佐藤は本をみる。本は浄化されたらしい。山椒大夫。今度はしっかりとタイトルが読めた。
「アンタ達、報告書沙汰だぞ」
「そうスネなさんな」
「拗ねてねぇ」
「確かに報告書はいるな」
「俺が書こう。俺が起こした顛末だからな。佐藤、ナマエを医務室に運んでくれ」
森鴎外の言葉に、佐藤は目を瞬く。どうした?と首を傾げた森鴎外だったが、すぐに何かを察したらしい。ふっと笑みを浮かべる。
「羨ましいか?」
「そんなんじゃない」
佐藤はもう一度息を吐いて、そのままナマエを抱え上げた。



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