2018/02/19

着地点が見つからないよ!!!


――助けてくれ、と誰が願ったかはわからない。その人物が現れたのはいきなりだった。閉ざされた空間、見捨てられたその場所に。月明かりが照らしたその場所に。
――どうして泣いているのですが。声はない。でも、確かにそう言っているのがわかった。チグハグな女だ。真白いマントに着物の中にはワイシャツとベスト。まるで俺たちのような服装だった。髪の色は黒だというのに、目が青い。誰かにすがりたくて堪らなかった。誰もいない空間で終わりを待つよりも、誰もいない空間で終わるよりも、誰かがいる空間で終わるほうがよっぽどましだった。女に手を伸ばす。女はそれを受け止めると、子供をあやすように抱きしめてくれた。紡がれたのは、子守唄だった。優しい、優しい、子守唄だった。
おやすみなさい、と女が告げる。ここにいた他の誰かのことは覚えてなどいない。恐らくは自分もそうなるのだろう。まどろみ、そして。

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嫌な世界もあるのだと思う。真っ黒に染まったのが誰なのかわからなかった。ただ、あちこちに散らばった本は全て黒ずんでいた。恐らくは全て侵蝕されてしまったんだろう。救いを求める手を振り払うことなどできやしなかった。それが、誰であろうが。聖女ではない。でも、一人の寂しさはわかっているつもりだった。だから、せめて安らかに眠れるようにと歌を歌う。寝息、次第に息がか細くなり、歯車となった崩れ落ちたその人に目を伏せる。開いた扉、入ってきた人には私など見えてないのだろう。
「誰もいない。これで文学はなくなった!!!」
そう告げた青年は知らないのだろう。ペンと紙がある限り、人が言葉を話す限りそれが生まれることを。喜んでいる青年の後ろで、ニコニコと笑うのはスーツを着た人物だった。その奥で目を逸らし続けているその人を私は知っている。あとは頼むよ、だなんてその人に声をかけたスーツを着た人物は青年を率いて歩き出す。扉が閉まる音、扉を殴る音、慟哭、沢山の謝罪。きっと近づいたとしても彼は気づきやしない。ついには蹲った彼の頭をそっと撫でた。それにも気づかない彼にどうしたものか、と思った。手に滲んだ血に、手を添える。
「すまない、すまない、俺が力不足だったばかりに」
――違う、あなたは最善を尽くしたんだ。
そう言えば彼はこちらを見た。目が合う。
「きみは、」
あの世界で誰かは私を化け物だと指した。同じような存在は皆親元に行ってしまった。なのに、私はあの図書館に居続けている。大事な思い出があるその場所が消えてしまうのが、かなしかったからだ。この世界も、何も変わりなかった。
――やりなおしましょう。
歴史を変えることは悪である。しかし、そうではない世界もある。沢山ある並んだ世界の中で、同じルールで縛られた世界もあれば違う世界もある。この世界は、そうじゃない。
「やりなおす?どうやって!」
そう告げた彼に微笑んで泣きはらした彼の目を覆見て笑った。
最初に図書館を結界の中に閉じ込めた。そうすれば、世界は切り離されるのだ。そっと目を閉じて力を使う。時間を巻き戻せばいい。そう、この図書館に沢山の人がいた時間まで。大きな時計が逆さまに回り出す。カチリ、と歯車が誰かの形を作り上げる。時計が鐘の音を告げるたびに人が増えていく。何度も何度も打ち鳴らした鐘の音。倒れ込んだ文豪達は目を覚まさない。そして彼らは一冊一冊の本へと変わる。一際大きな音で鐘がなる。元どおりになった図書館に、彼は目を見開いた。
「これは、」
――やりなおしましょう。私もお手伝いしますから。
そう手を伸ばす。彼はその手を迷ったように見た。そして、意を決したようにその手を彼はとる。

――それが、2度目の始まりだ。
もう決して負けないと誓った彼と、図書館を守りたい私の。

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「俺は館長だ。で、こっちは司書だ」
そう笑って告げた男に僕は首をかしげる。僕らは負けたはずだった。文学を守る戦いに、負けたはずなのだ。忘れられたはずなのだ。それなのにどうしてか、僕はここに存在しているし、男もまた昔のような表情をしていた。それはあの始まりの日を思い出す。違うのは前の「司書」――彼は文学排除側だったみたいだけど――とは違う司書が立っていることと、あの喋る猫がいないことだった。司書と呼ばれたその人物は頭を下げる。
「名前は?」
「あぁ、彼女はどうやら喋れないようでな。名前は――」
そう男の視線を受けた彼女は、そっと僕の手を取って掌に文字を書く。なんだ?と首を傾げれば彼女は自身を指差した。
「君の名前?」
そう尋ねれば彼女は頷いた。そして、もう一度文字を書く。
「ナマエ?ちょっとまって、もう一回ゆっくり書いて」
そう言えば彼女は1文字1文字ゆっくりとかく。
「苗字ナマエ?」
彼女はそれに大きく頷くと笑った。
「秋声、悪いが彼女に付き合って有魂書から誰が連れてきてくれないか?」
「しかないなぁ、ほら、いくよ」
そう言えば、彼女は笑ってついてくる。これがああで、これがこうで、と説明すれば彼女は頷いたり首を傾げたりして意思を示す。並べられた四冊の本にどれにするんだい?と聞けば彼女は迷ったようだった。彼女は手を招いて僕の掌に文字を書く。
「だめだ、とりあえず、一冊だけだよ。また機会があればみんな来るだろうし」
そういえば肩を落とした彼女は迷って迷って――一冊の本を取った。
「これでいいんだね?」
一応彼女に尋ねれば彼女はこくんと頷いた。それにしては他の本を見ているけれど。やれやれと思いながら、彼女の力で本を入る。その途端舞った花びらに、驚いてしまったのだけど。

「ワシは織田作之助や。これからよろしゅう」
そう名乗った彼もまたあの歪な記憶があるんだろうか。周りを見渡して、僕と彼女を見た彼は少し眉間にしわを寄せた。
「……あれは、夢やったんやろか」
その言葉に彼女は首を傾げた。それを見て僕は確信する。彼、は、覚えているのだ。あの歪で恐ろしい記憶を。
「僕は徳田秋声」
知っていると思うけれど。
「で、こっちが司書の苗字ナマエさん」
「司書?女の子やねんなぁ、よろしゅう」
そう手を差し出した彼に彼女はその手を取った。そして、何かを紡ぐように口をパクパクとする。
「お司書はん?」
「多分、よろしくとかだと思うよ。喋れないんだって」
「そうやったんか……ごめんなぁ」
その言葉に彼女に首を左右に振った。
「とりあえず、館長の元へ行こうか」
「ん、そやなぁ。お司書はん、いこか」
司書の手を引いた彼に、僕もまたその部屋を後にした。まぁ、またすぐに彼女に手を引かれて二人連れて来るためにその部屋に来るのだけど。

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「ワシ庶民派やねんけどなぁ」
目の前に並んだ食事にそう言ってしまう。今度の『司書』が作り上げた料理は何処の料亭だと思うくらいの食事だ。美味そうだな!と喜んだ正岡センセに、僕は質素な方が嬉しいんだけど、と告げた徳田センセ。たっちゃんこが感激したように「わぁ」と声を漏らす。館長は「苗字さんは料理がうまいんだな」と告げる。彼女は苦笑いして席に着いた。
――この食堂はもっと大勢がいた。それは、段々、少なくなる。それは自分たちが負けたからだ。消えたからだ。歯車となって崩れ落ちたからだ。最後に残った一人はわからない。ただ、始まりは今のような少ない人間だったとは覚えていた。
いただきます、と告げて食事に手をつける。うまい。
「美味しいです、とても!」
「うまい!」
そんな会話から始まり、その煮物食べないなら一つくれ、ちょっとそれ僕の好物なんだけど!という会話になる。懐かしかった。とても、笑い転げるぐらい。それを感じたのは自分だけじゃない。目元を覆った館長に、『司書』が覗き込む。
「あぁ、すまない、ちがうんだ、悲しいんじゃない」
「館長?」
「嬉しいんだ、また、こうしていることが」
その言葉に、動きを止める。正岡センセが目を閉じた。
「……やっぱり、あれは夢じゃないんだな」
「僕らは負けたんだったよね」
「一人ずつ、みんな、消えてしまいましたね」
そう口々に言った言葉にあの歪な記憶はやはり正しいのだと思う。
「でも、どうして僕らは戻ってるんだい?」

――それは願ったから。

不意に聞こえた声は凛とした女性の声だ。その言葉に司書を見れば、彼女は真っ直ぐにこちらを見た。

――誰かが一人で消えたくないと縋ったから。

彼女の口は動かない。でも、確かに彼女の声なのだろう。

――誰かが消えたくないと願ったから。
――誰かがやり直したいと願ったから。
――私が、文学が消えて欲しくないと願ってたから。
――だから、ここの場所だけ時間を巻き戻した。

そう告げた彼女は目を閉じた。

――本当は一度辿ったことを変えてはいけない。でも、これはあまりにひどい結末だから。手を差し伸べた。館長はやり直すことを選んだ。

正岡センセは彼女を見た。

「やり直せるのか?」
――えぇ。貴方達が一度転生して、人との関係をやり直したように。
「また負けてしまったらどうしよう」
「ちがう、たっちゃんこ、次は勝つ、や」
「あぁ、次は負けない。その為に力を貸して欲しい」
そう言った館長は目を伏せた。
「俺は貴方達に何か言う資格はない。貴方達が負けたのは俺のせいだ」
「それは違う、まさか彼が向こう側なんてみんな思わないよ」
「それでも。頼む、また力を貸してくれないだろうか」
頭を下げた館長に、「当たり前やろ」と言う。
「次はもうあんなんにはならへん、絶対に」
「あぁ、絶対に」
「はい、絶対に勝ちましょう!」
「そうだね、文学を守るんだ」
「ありがとう」
そうまた頭を下げた館長に、たっちゃんこが慌てる。ちらりと司書を見れば寝息を立てていた。それに気づいた他も、彼女を見た。
「……しっかし、時間を遡るってこのお司書はんはナニモンなんやろうな」
「魔女?」
「あながち間違いではないかもしれない。時間と空間の定理なんて未だ誰も踏み込んでない錬金術だから」
「悪い子じゃないんだよね、今日見てて思ったけど」
「――なぁ、司書に帝国図書館のばっじついてるぞ」
そう指差した正岡センセに、そこを見る。たしかにそこにはバッジが付いていた。それはかなり古びている。それが意味することを誰も知らない。


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「お司書はん、昨日喋ってたやん。何でまた喋らんくなってんの」
有碍書に潜書する前である。不意に尋ねたオダサクさんの言葉に司書さんは近くにあった紙に文字を書いた。あれ疲れるから嫌です、と書かれた言葉に「あぁ、だから昨日寝たんか」
「そもそも何で喋れないんだ?」
正岡先生に、彼女はまた言葉を綴る。
――答えは潜書の後で。
「んな殺生な!」
そう叫んだオダサクさんの言葉。目の前で桜が吹雪いて僕らを包んだと思ったら世界が変わっていた。
「あれ?潜書した……?」
「不思議だよね、司書の力」
「有魂書に潜った時もこうやったからビックリしたわ」
「いいじゃないか、風流で。牧水あたりが喜びそうだ。――ほら、お前たち敵だ敵!前方注意!」
そう叫んだ正岡先生に武器を構える。次は負けるものか、と。次は、次こそは、与えられたこの機会をダメにさせるか。
銃声、弓を射る音、そして。


また桜が舞って景色が変わる。僕らが無事に帰って来たのを確認した司書さんは安心したように息を吐いた。徳田先生が首をかしげる。
「心配してくれたの?」
頷いた彼女は、紙を僕らに見せる。
喋れないのは――。
「声の出し方忘れたとか嘘やろ!?」
そう叫んだオダサクさんに、司書さんは目を逸らした。嘘ではないらしい。
「なんだ、なら練習すれば出せるんじゃないか?」
司書さんは首を左右にふる。そしてまた文字が書かれる。
疲れるから嫌、と書かれた言葉に僕は笑った。

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「正岡センセは誰が来ると思う?」
そう尋ねたオダサクは頬杖をついて今から有魂書に潜書しようとしている二人を見る。
「夏目か森さん」
「それ希望やん」
「念じたら来るかもしれないだろ?」
「じゃーワシは安吾か太宰クン!」
「そっちの方が難しくないか?」
「ええやろ?願望やし、太宰くん安吾太宰くん安吾」
「森さん夏目森さん夏目」
「ねえちょっと煩いよ」
そう怒った徳田に悪い悪いと笑う。まったく、と言った徳田と笑っていた堀は文字に包まれて消えた。
「司書、時間はどれくらいだ?」
こまったように首を傾げた司書にこちらが首を傾げる。近づいて見てみれば前の司書のように時間書かれていない。おかしなこともあるもんだ、と彼女を見下ろした。
「とりあえず調速機使って見るか?」
その言葉を首を傾げて見るが司書は頭を抱えてなにかを伝えようと口を開くが、それは音にならない。
「お司書はん、声出てへんで」
「紙か?あー、ちょっとまってろ」
そう言ったが司書に制される。なんだ?と首を傾げれば、彼女は息を吐いた。そっと有魂書に手をかざした彼女に覗き込む。うっすらと文字が浮かび上がった後、それは数字に変わる。
「二時間半?」
「森先生確定ですやん」
「こっちは――五時間?」
「は?嘘やろ!?芥川センセか太宰くんやんか!あぁ、でもたっちゃんこのこと考えると芥川センセの方が……いやもうこれ二人同時とかちゃう?」
「調速機持ってくる」
「突っ込んでや!」
オダサクの言葉に司書が突っ込む動作をする。
「司書が突っ込んでくれたぞ」
「いや、遅いわ!」
「どうしたんだ?」
「ちょ、館長、お司書はんがしょっぱなから五時間出したんやけど!」
「ん?もう一人は?」
「二時間半、で、森さんだな。館長、調速機って何処だ?」
「右端の棚の左上のほうだ」
「もっとおどろいてや」
「ん?君たちが頼んだわけじゃないのか?」
首を傾げた館長に、頼んだわけじゃないが、出たらいいなとは言った、と言えば、だからだろう、と言われる。
「は?」
「苗字さん、言ってなかったのか?時間の表示になる前に、なにも浮かんでない状態は見たか?」
「見た」
「その時点で苗字さんはある程度呼ぶ人を選べるみたいでな。ただ、なにも考えないでやると普通みたいにランダムみたいなんだ。あと、選ぶと疲れるらしい」
「あぁ、じゃあ気を遣わせたのか。悪いな」
そう言いながら調速機を渡せば少し眠たそうな彼女は首を左右に振った。カチリと音がなり、数字がゼロになる。ページがめくれ――止まり、先に潜書した二人が帰ってきた。その後、文字が人を形作り桜の花びらを舞い散らせた瞬間、二人は目を開く。
「森鴎外だ。軍医だが小説を書いたっていいだろう」
「俺は太宰治!彗星の如く現れた天才小説家だ、って、あれ、なんで、俺、」
「……正岡殿?」
こちらを見て目を見開き駆け寄った森さんに、やっぱり記憶はあるもんなんだな、と思う。
「色々話したいんですけど、先に司書を休ませてくる」
「司書?」
「ほら、司書。自己紹介――って喋れないんだったな。司書の苗字ナマエだ、な?」
そう促せば頷いた彼女は頭を下げ――そのままふらりと倒れこむ。慌てて止めれば寝息が聞こえた。
「まったく、世話がやけるなぁ」

==

終わりを告げたそこに始まりを告げた少女は人なのか否かはわからない。やり直しがきかないはずの人生に、やり直しを与えた彼女は悪魔だろうか、天使だろうか。話を聞けば深まる謎、しかし、それでも、もう一度文学を守る為に刃を握れるのならばどちらでもいい。目の前でいなくなった、手のつくし用のなかった命に、救えないのだと憤った怒りも悲しみも憎しみも、誰かの嘆きも彼女は掻っ攫ってもう一度火をつけたのだ。当然のように通された医務室の中は綺麗で誰かの残した嘆きの言葉は消えていた、愛らしい猫のぬいぐるみが寝転ぶ寝台に眠る彼女を全員で覗き込む。
「天使っているんだな」
そう小さく呟いた太宰に、「どうしたん?」と織田が聞く。
「俺が、最後だったから」
「――」
「最後までさ、井伏先生と佐藤先生がいてくれたんだよ。でも、まず佐藤先生が消えてさ、井伏先生が、消えてさ」
ポロポロと泣きだした。
「自分の心配すりゃいいのにさ、二人とも俺の心配するんだよ、ホントにさ、一人で死ぬの、怖くてさ、助けて欲しくてさ、」
――最後に残された人間がどのような恐怖を持ったかはわからない。何故ならば自分も残した側だからだ。
「一人は嫌だって言ったら、桜が吹雪いて、この人が立ってたんだよ。縋り付いても許してくれた、俺に子守唄歌ってくれて、あぁ、この人が天使なんだなって」
ゆっくりと目を開いた彼女は青い瞳をのぞかせる。ゆっくりと俺たちの顔を見渡した彼女は太宰を見て頭を撫でた。
「――天使さま」
そう縋り付いた太宰に彼女はきょとんとする。そして、苦笑いを浮かべ、額をかるく弾いた。
「痛い」
「太宰クン、見間違いちゃう?お司書はんが天使なわけないやろ。ワシは魔女説推すわ」
「悪魔の可能性もあるよね」
「もしかしたら、妖怪、とか?」
「狐が化けてんのかもな」
「現代に生きる二コラス・フラメルかもしれないな」
そう言った周りに彼女はムッとする。案外コロコロと表情が変わるらしい。何か口を開くがそれは言葉にならない。
「……気になっていたが、何故喋れないんだ?」
「声の出し方を忘れたらしいですよ」
「なら、練習すればいいのだな」
そう司書を見れば司書は目を逸らした。
「疲れるから嫌らしいです」
それはそれで変な理由である。



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