今を生きる青年の
「恐らく彼女は精神を退行させて苦痛から逃げようとしたんでしょう」
そう結論を出した億人さんに、首をかしげる。静かな寝息を立てている零は、いつもの――――俺たちの知る零の表情に似ている。安心しきったような、そんな表情だ。
「幻を見ているようなもの、でしょうか。恐らく、弾くんを『タミヤ』と呼ばれる人と錯覚しているのです。あなたたちは『タミヤ』に心当たりは?」
俺がなんと答えるか迷っていると、先に光明が少し迷ったように目を泳がせた。それを帝一が見て、帝一が光明に声をかける。
「零ちゃんの、幼馴染だと、思う。前に逃がしてくれる時に、ちょっと聞いた」
こちらをチラリと見ながら告げた光明に、俺は光明を見る。
「幼馴染?」
「その幼馴染を連れて来たらいいかもしれません。その人の方が彼女をよく知っているでしょうし、彼女も安心するでしょう」
「それは無理っす、億人さん」
そう俺が断りを入れる。億人さんだけじゃなくみんながこちらを見た。氷室先輩がこちらを見る。
「大鷹、どうしてだ?」
「もう、その幼馴染、亡くなってるって」
「……死んでるのか、」
「弾、何か知ってるのか?」
「この前、ちょっと気になったから、あの町に行ってたんだ。なんか手がかりはないかって。で、『タミヤ』の妹に色々聞いた。俺がそのタミヤって奴に似てるらしい」
そう困ったように告げる。俺は零のことを知らなかった。いや、知ったつもりでいた。だから、零は俺を俺として見てくれているんだろう、と思ってた。でも、違う。恐らくは。零が向けるあの表情は全て。俺ではなくて、その人物に向けるはずだった表情なんだろう。
誰かに否定してほしかった。美美子なら否定してくれるだろうか。零が見てたのは弾くんだけだよって。その、タミヤなんて奴じゃないって。
でも、現実は思ったよりも乱暴だ。光明が「僕もそう聞いた」と告げた。
「……だから、あのね、零ちゃんが弾くんを名前で呼ばないのは、だからって聞いたんだ」
そうか、だから零は執拗に「大鷹くん」と俺を呼ぶのだ。俺が何度、弾でいいといっても。美美子になんて思われるかわからないから、だなんて建前で。
「……彼女はその『タミヤ』と貴方を重ねて見ていたんでしょう。名前で呼ばないのは彼女なりの線引きだ」
「弾はタミヤじゃないだろう。僕は何処の誰か知らないが」
帝一の言葉に、ああ、そうだ、と思う。でも、洗脳された彼女の前で俺は「タミヤ」という人物になりきってしまった。洗脳が解けるかもしれないと践んだからだ。でも、それは俺とそいつを余計に混同視させてしまう一手にしかならない。でも、俺はそれを選んでしまったのだ。元に戻ってほしくて。確かにそれは、零をあの二人から引き離す良い一手になった。でも、俺にとっては良い一手とは言えない。
億人さんが言葉を続ける。
「でも、似ていたんでしょうね。弾くんとその彼が。そして、存在を混同するほどに追い込まれていたんでしょう。何はともあれ、彼女を彼らの元に帰すのは危険です。家に帰してあげましょう。それが、恐らく一番いいことです」
その言葉に先生も同意する。連絡しておくわ、と告げた先生をよそに俺は零を見下ろした。零は小さく、身じろぎした。俺は結局、零のことをどう思っているんだろうか。むくむくと湧き上がるには、タミヤという今はいない人物に向けられた嫉妬だ。行き場がないそれだ。もし、もしも、俺の方が零と知り合うのが早ければ、と思ったところで、俺は認めざるを得なくなった。わかってたはずなのに。もっと早くに気づいていれば、変わったんだろうか。そっと、零の髪を撫でる。零が小さく身じろぎした。
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