ことことこと。
 何かが火にかけられている音がする。スープのいい匂いが漂ってきた。
 まどろむ意識の中、誰かの鼻歌が聞こえる気がする。どこか落ち着くその声に耳を傾ける。聞き覚えがある声だ。どこかで聞いたことがある。
 俺はどうなったんだ。確か、彼女の墓にもたれかかるように死んで――
 死ん、で?
一気に覚醒していく意識に、俺は慌てて起き上がり、あたりを見渡した。見知らぬ部屋だ。病室では無いことはたしかだった。
 俺は、確かに死んだはずだ。また誰かに蘇らせられたのか? どうして、
 あたりを慎重に見渡す。整えられた部屋だ。俺にはご丁寧に毛布がかけられている。何処かでみたことがあるような雰囲気の部屋だった。ゆっくりと立ち上がる。体は軽かった。
 大きな窓から庭に目をやれば、真っ白なオオアマナが咲き誇っていた。
 ――白。彼女の色。
 あの後、死んだ後、彼女に会った気がした。彼女が俺を呼んだ気がした。泣いている気がした。幻だったのだろうか。夢だったのだろうか。夢なのであれば、もう少しだけ、そこにいたかった。
 部屋を十分に見渡してから、この部屋に唯一ある扉を開いて廊下にでる。夢見心地である。とても不思議な感覚だった。綺麗な廊下を歩けば、すこし開いている扉が目に入った。電気はついている。人がいるらしい。先程聞こえた鼻歌はここから聞こえてきていたらしい。
 俺は慎重に扉に手をかけた。が、その扉は、キィと、小さく音をたててしまった。咄嗟に身構えた俺に、料理をするその人が振り返る。
 俺とその人――彼女の目線があう。驚いてかたまる俺。彼女も驚いた。あぁ、これは夢なのだろうか。彼女は――昔のように柔らかな笑みを浮かべた。
「おはよう、ジョン」
 足から崩れ落ちるのがわかった。俺の視界はぼやけ、頬に涙がつたうのも。そこでようやく理解する。先程の聞き覚えのある声は彼女の声だったのだと。俺が忘れてしまっていた、彼女の。涙はとっくの昔に枯れたはずなのに、*を伝っていく。彼女は慌てて火を止めると、俺に駆け寄る。
「どうしたんだ、ジャック」
 俺はただ、黙って泣くしかなかった。彼女は困惑したように俺を見た。
「何処か痛いのか?」
 それも違うのだ、と、首を横に振る。
 彼女はしばらく考えた後、俺に視線を合わせた。そして、母親が子どもをあやすように抱きしめる。聞こえてくる呼吸に、鼓動に、感じる体温に、彼女がいるのだと、生きているのだと理解する。
 ――あぁ、彼女だ。ハルだ。生きているハルだ。
「ハル、」
 また涙がボロボロと零れ落ちてくる。ああ、これは俺の望んだ夢だ。いつか、彼女を憎むことで投げ捨ててしまった夢、でも、消えることのなかった夢だ。
 不意に、ぽつり、と床に水滴が落ちる音が聞こえる。彼女の押し殺したような嗚咽が聞こえてきて、理解した。彼女も、泣いている。それが堪らなく愛おしくて、彼女の背中に手を回した。


 しばらく、ずっと俺を抱きしめていたハルが動き出す。彼女は乱暴に涙を拭くと、くるりと俺に背を向けて、またコンロに火を付ける。そして、振り返って笑った。
「ジャック、お腹が減っただろう? 朝ごはんにしよう」
 俺も乱暴に涙を拭い、あぁ、と返事をして笑う。そして、彼女の背後に立ち、抱きしめた。あの頃のように、じゃれつきながら。
「危ないぞ、ジャック」
「危なくない。それより、朝食のメニューは?」
「簡単なものだ。スープに、サラダに、スクランブルエッグに、トーストに、コーヒーだ」
 いい匂いが漂ってきた。正直な体はグゥ、と音を立て――彼女は笑った。
 なんて、幸せなのだろう。そう思いながら、俺はハルの首筋に顔を埋める。照れた彼女に、怒られてしまったが、やはり、幸せにはかわりなかった。


12

mokuji