狙撃手の名は蠍


 中に入るとまずホールが現れた。陽の光が入るように設計されたそこはまるで劇場のエントランスのようだ。扉に鍵が閉めれて、そのまま部屋の案内が始まる。
 西洋の甲冑が飾られた騎士の間、絵画が飾られた貴婦人の間、つづいて甲冑や石版、彫刻などが飾られている皇帝の間。大きな美術品の数々は圧倒される物がある。乾さんがお手洗いにいく、といって消えたのを見おくった。
 しかし、走っていったのはどう見ても左である。アキがこちらを見た。

「どうかしましたか?」
「乾さんが走っていったのが左だった」

 俺の言葉にアキは目を瞬く。高遠は「あの重装備、何か盗む気では?」と口を開いた。そして、間もなく聞こえた悲鳴に駆け出す。右、ではなく、左の部屋に入れば、乾さんが変な体勢でいた。上からは幾つもの剣が落ちてきている。八十年前、喜市さんが作った防犯装置、らしい。こえーよ、と思ったが因果応報、自業自得でである。沢部さんが鍵を持って乾さんに近づく。どうやら乾さんは手枷のようなものに手を取られているらしい。だから逃げられなかったようだ。高遠が感心したように上を見上げているのは気にしないでおく。

「この城にはまだ幾つか仕掛けがありますから、ご注意ください」

 乾さんの手枷を外した沢部さんから白鳥警部に目を映す。彼は乾さんのリュックをあさっていた。出てくるのは工具箱や糸鋸などなど、どう考えても必要のないものだ。

「つまり、抜け駆けは禁止ってことですよ。懐中電灯さえあれば十分です」

 コナンと一緒にアキがカラクリに近づく。高遠もそれに気づいてアキに近づいて止めた。

「危ないよ、アキ」
「コレって本物ですか?」
「多分、いくらかは、ね」

 そう困ったように笑ってみせた高遠は同じくカラクリを見て、沢部さんを見た。

「この城に地下室は?」
「いえ、ありませんが」
「え? じゃあ、一階にひいおじいさんの部屋は?」

 首を傾げたコナンに沢部さんは「そういうことなら、」と口を開く。


 辿り着いた先は執務室である。並べられた本や写真が並んでいる。当時のロシアを知る上で重要な写真だろう。

「ん?」
「どうしたんだ? ヤマト」
「ああ、いや……」

 見つけたそれに、足を止める。ラスプーチンの写真である。ごまかすように、「夏美さんのひいおばあさんの写真がないな」と言えばコナンは夏美さんにそのまま聞いた。どうやら一枚もないらしい。喜市さんの写真は残っているのに、だ。

「何かが理由で写真が残せなかったのか?」
「ありうるな」

 そんな会話を一言二言していると、ふいに乾さんが「おい」と口を開いた。

「これはラスプーチンじゃないか?」

 指差しているのは先程俺が見つけた写真である。オフチンニコフさんが「ええ、彼に間違いありません」と頷いた。サインがしてあるらしい。

「ねぇ、お父さん、ラスプーチンって?」
「オレも世紀の大悪党だった、ということぐらいしか」
「やつはな、怪僧ラスプーチンと呼ばれ皇帝一家に取り入ってロマノフ王朝滅亡の原因をつくった男だ。一時、政治を思うようにしたが、最後は公爵に暗殺された。……川に上った死体は頭蓋骨が陥没し、片方の目がつぶれていたそうだ」

 そう告げた乾さんに高遠がそばにあった写真を見ながら口を開く。

「しかし、彼の死因やその生き方は今も謎に包まれていますから、乾さんが告げたのもまた一説でしかありませんよ。そもそも、彼は取り入ったのではなく、皇太子の病を回復させたからアレ程の信頼を得たはずですから」
「ええ、信頼を得すぎた結果、貴族が嫉妬し暗殺したという説もあります」

 高遠の言葉をオフチンニコフさんが肯定する。

「じゃあ、そこまで悪い人じゃないんですか?」
「歴史はあくまで勝者の歴史ですからね。今を生きる我々には彼が実際にどういった人であったか知る術はありませんよ。本の中では彼の評価は似たり寄ったりです。フィクションでは彼は好まれていますけど」

 肩を竦めた高遠に、アキが少し不服そうにした。おそらく、自分でこの話題に出すな、と言っておいたのに話題に出したからだろう。しかし、高遠の言葉はラスプーチンをけなすそれではないし、高遠の言葉はたしかにそうなのだ。俺達は彼の伝承ややったことを評価しているだけで、実際がどんな人なのかはしらないのである。そして、彼はフィクションの世界では好まれているのは確かである。『悪役』として、だが。

「乾さん、遠山さん、今はラスプーチンよりもう一つのエッグだ」

 そう言った白鳥警部のとなりで毛利探偵がタバコをつける。煙が揺らぐ。ん?揺らぐ?部屋の中、空調が消されているというかついていないのならば、煙はただまっすぐにのぼるはずである。

「なあ、コナン」
「ん?」
「毛利探偵の煙が揺らいでる」

 そう言えば、コナンはハッとして毛利探偵からタバコを奪った。

「下から風が来てる! この下に秘密の地下室があるんだよ!」
「喜市さんはカラクリ好きなら、どっかになにかが――」

 コナンは蘭さんが差し出した灰皿にタバコを押し付ける。俺はその間に床を触る。フローリングである。壁際に一箇所だけ欠けたような穴があった。そこに指を入れて引っ張り上げれば電卓のようなものが現れた。

「――あった」

 電卓、は数字であるが、コレは数字ではない。アルファベット――ということでもないんだろう。並べ方と文字に違和感。とりあえず、よく知るアルファベットではない。ボタンは電卓というよりタイプライターに近い質感かもしれない。高遠がそれを覗き込む。

「ロシア語のアルファベットですね」
「ロシア語の?」
「英語圏とは違い33文字で作られているんです」
「ふうん……」
「これで秘密の地下室への扉が開くのか?」

 乾さんが食い入るように告げる。たぶんな、と返してオフチンニコフさんをみた。コナンも同じく彼を見て口を開く。

「オフチンニコフさん、何かロシア語で入力してみて」
「ああ」

 そういって屈んだ彼に毛利探偵が「ボスボミナーニュに違いない!」というが、ハズレらしい。ボタンを押しても開く気配はない。続いて、乾さんが「キイチ・コーサカ」というがそれもハズレ。パスワードがそんな簡単なはずがないだろう。

「夏美さん、何か伝え来ている言葉はありませんか?」
「いいえ、」

 オフチンニコフさんの言葉に夏美さんが首を左右にふった。俺は小さくつぶやくように口を開く。

「バルシェ・ニク・カッタベカ」
「え?」
「ほら、夏美さんが覚えてる変な言葉」

 そう促せば、コナンが目を瞬く。たしか、これ、区切りが違うかったはずだ。どうだったっけ。ちらりと高遠を見る。そういや、高遠が、香坂喜市さんの呼ばれ方をいってたな。

「――世紀末の魔術師、?」
「ああ、そうか、何か聞いたことがあると思えば」

 俺のつぶやきに、高遠が口を開く。コナンが高遠を見る。

「BOJIШEБHИК КOHЦA BEKA」

 高遠が無駄にいい発音で答える。オフチンニコフさんが納得したように「ああ!」と頷いた。

「ぼるしぇ……?」
「BOJIШEБHИК КOHЦA BEKA。英語では『The Last Wizard of the Century』ですよ、ヤマト君」
「『世紀末の魔術師』?」
「ええ、その通り。キッドが使っていましたね」
「そりゃあすごい偶然だな」
「――偶然ならね」

 毛利探偵のつぶやきに高遠が小さくそう呟いた。オフチンニコフさんが「兎に角押してみましょう」とキーを叩いた。
 最後の文字のキーを叩いたその瞬間、である。ゴゴゴと言う地鳴りのような歯車が動く音がして、俺とコナンの足元が動く。ひょいっと高遠に引っ張り上げられる。俺が立っていた場所の床がずれて階段が現れた。

「わあ、真っ暗だね」

 そう覗き込んだアキに、隣りにいた蘭さんが「うん」と同意する。高遠とアキがスルリと何処からかライターを取り出したのは同時だった。……いや、アキはこの前したけど。高遠もするのか。俺の視線に高遠がこちらを見下ろす。

「マジックのタネは持ち運ぶものですよ」
「それこの前、アキに聞いた。ってか、おろせ!」

 そう少し暴れれば、高遠は俺をコナンのそばに置いた。解せぬ。