普通の人にとって素敵なものってなんだろう。可愛らしい洋服なのか、煌びやかなアクセサリーなのか。
 会派の人を振り切って出て来たのはいいが、それは蓮子にひと匙の苦味を残して。

 ――俺たちを見捨てるんだな。俺たちがあの本の中で死んだってお前は何も思わないわけだ。

 そう告げたのは石川啄木だった。借金取りに追われることが多いけれど、仕方ねぇな、と最後に仕事を手伝ってくれる人だ。
 ――そんなことは、ない。見捨てるつもりなんてない。でも。

 ――そうやって僕たちを捨てるんだ、塵みたいに。
 つぎに蓮子にそう告げたのは萩原朔太郎である。何時も手伝ってくれるけれど、それがから回ることもある。最初はどう接すれば良いかわからなかったが、少しずつ仲良くなれた気がする。
 ――そんなことも、ない。

 しかし、ここにいること自体がそういうことを示しているのだろう、とは蓮子はわかっている。「行くなよ」と手をつかんだ田山花袋の手をほどいてくれたのは中野重治だ。待ってるよ、と告げた彼に蓮子は何も返せなかったのだけれど。

「わかんなくなってきたな」
 そう小さく蓮子は夜の街中でぼやく。街を行く人はテレビの話題や服や恋人、仕事の話なんかで盛り上がっていて。クリスマスが近いからか、街は煌びやかな光があふれていて。それは酷く場違いなような感覚を残した。


 図書館を出てきた蓮子をつかまえたのは大学時代の友人だ。どうしたの? と聞かれて、素直に恋人に振られたのだといえば、近くにあったカフェに連れ込まれる。そこで最低だなんだと騒いで、最終的には「新しい出会い」と丁度空きがあるからと合コンにも連れていかれた。蓮子は気乗りがしなかったのだけれど。
 何が楽しいのだろう、と顔には笑みを浮かべながら、内心思う。これなら文豪達の文学談義や司書室での騒ぎを聞いていた方がよっぽど有意義な話題だと思う。時間の無駄と思ってしまう。
 そこで、ああいけないと蓮子は首を振る。『こちら』を好むのが『普通』なのである、と。
「立川ちゃんは何してるの?」
「この子、昨日まで特務司書してたのよ」
 そうあっけらかんとバラした友人を蓮子は恨めしく感じた。
「特務司書ってあれ? なんか前に一斉テストあったやつ」
「芥川とか太宰とかの本云々ってやつだっけ?」
「え、じゃあ立川ちゃんはどんな本読むの?」
 その問いは困る。蓮子は「えー、と」と言葉を濁らせた。普通の人が何が好きかなんてわからない。ただ、純文学、詩集、大衆小説――の中ならば、大衆小説だろうし、大衆小説の中ならば推理小説が『引かれない』部類だろう。
「推理小説、かな」
「マジかぁ、俺漫画しかわかんねぇわ」
「コナンとかな」
「でもこの前、推理小説原作のドラマしてたよね」
「ああ、あれな!」
 ぽんぽんと弾み出す会話に、蓮子は苦笑いした。テレビをきちんと見ていなかったから、話題について行けない。それでも相づちを忘れずに打つ。
 ふと、ずっと静かな端の席を見る。端の席を陣取っている男性は、カクテルを眺めて会話の蚊帳の外だ。
「残念だったな、槌。本屋で働いてるとは言え、推理小説はお前の専門外だろ?」
「ん? いや、江戸川乱歩とかなら読んだ」
 そうやっと会話に入ってきた男性は、なんでそんな話に? と首をかしげる。
「ほーらー、槌の悪い癖! 立川ちゃんが司書だからって話だよ!」
「司書?」
「悪いなぁ、立川ちゃん。コイツいっつもこんな感じでさぁ、」
 ケラケラ、ケラケラと笑う周りに男性は何も思っていないのか、ただグラスを置いて首を傾げた。
「立川さんは、詩集は好き?」
「だーかーらー!」
 男性の言葉に周りはやいのやいのと騒ぎ出す。立川ちゃんは推理小説が好きなの! と告げた周りに男性は「残念」とただ一言告げ、そこからまた会話に加わることもなく偶に酒を頼んではただそれを眺めていた。

 ――あそこで、好きです、と言えたなら何か変わったのだろうか。
 友人や男性と連絡先を交換し、「今日は久しぶりに家に帰るから」と理由をつけて分かれた。煌びやかな街を早足で蓮子は実家への道を進む。
「相変わらず、辛いなぁ」
 好きなものを、好きだと言えないことは。

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