序・特務司書の話-二-


 今回の報告は、棋院勇気という青年についての報告だ。だから、少し彼の話をしようと思う。
 恐らく特務司書の中で彼が一番この図書館との付き合いは長い。と、いうのも、大学生だった彼はよくこの図書館で本を読んでいたからだ。その姿はまさに「本の虫」というか。「本の虫」という言葉は彼のためにあるのかと思うほどだ。休日の開館から閉館までの時間ずっと本を読んでいる人なんて滅多にいない。というか、僕は彼以外に見たことがない。途中から職員用の食堂さえも利用できるようになった彼は図書館の職員の中でちょっとした人気者だった。彼が爽やかで文句の付け所がないような青年だったから、もあるだろう。僕らが「手伝って」と頼んでもイヤな顔をせず手伝ってくれるのだ。妬む人もたまにいるが、彼のあまりの人の良さに呆れて懐柔されることが多い。それほどまでに学生である彼は「できた大人」の雰囲気を持っていた。

 そんな彼は他人とは少し違う世界を生きているのだと館長は告げたことがある。棋院くんと真っ先に仲良くなった館長は、偶に彼と錬金術について話したり本について話したりしていた。
「君は俺たちが理解できない世界に生きているが、それはそれは美しい世界なんだろう。少しうらやましいな」
 館長の言葉に、棋院くんは驚いたように目を見開いて――笑った。
「聞かせましょうか?」
 そう首をかしげた棋院くんに、館長は「いいのか?」とまた驚いたように告げる。
「はい、確か、ピアノありましたよね」
「ああ、コンサート用のがある」
 館長は嬉しそうにこっちだ、と彼を手招く。棋院くんは鞄から一冊の小説本を取り出してそれに続いた。たしかに、この図書館にはイベント用のピアノがあった。昔はクリスマスの演奏会なんて物があったらしいけれど、今はもうそんなイベントはなくなり使われる機会はない。それでもきちんと調律されたピアノは図書館の隅の部屋に置いてある。僕は慌てて二人の後を追った。それは僕だけではなく、ちらほらと他の職員も続く。
 ピアノの前に座った彼は、小説を譜面台に置くと指を鍵盤の上にのせた。ポーン、という音が響き、それは美しいメロディーへと変わっていく。それはまるで、指先から音がこぼれ落ちるように。聞いたことがない曲だ。でも、とても綺麗な曲だった。聞き惚れる周りを見渡して、僕はそっと彼を見る。彼が見ているそこには譜面なんかなく――ただページが開かれた小説が置かれているだけだった。それはとても不思議な光景だった。それこそ、小説の一ページに出てくるような。

 彼は奏で終えると、そっと本を閉じた。ぱち、と誰かが拍手をする。ソレを皮切りに拍手の音が鳴り響き、彼は驚いたように周りを見渡す。人がこんなに集まっているとは思わなかったのだろう。
「素晴らしい!」
 感極まった、というように館長が彼の手を握る。彼は照れたように困ったように笑った。
 ――それが、去年の冬の話だ。彼がまだ特務司書ではなく普通の大学生だったころである。

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