按司くん達と話しながら上機嫌な田山先生とすれ違った。なんだろう? と思っていたら、立川さんが疲れたように息を吐き、一緒にいた中野先生が苦笑いした。
「一目惚れしたみたいだったよ、気にしなくていいと思うけど」
「そうなると踏んでたが、本当にそうなると面白くもクソもねぇな」
 呆れた顔をした按司くんに、僕は首をかしげる。
「一目惚れ?」
「今日、知らない女の子がこっちに来てたでしょう? その子の後ろ姿に見惚れたみたい。でも、確かに可愛かった。後ろ姿だけど」
 立川さんが思い出すように告げた。僕もつられて「声も可愛かったよ」と告げる。立川さんと中野先生が驚いたようにこちらを見たけれど、僕の発言ではなく、徳田先生が「確かに」と同意したからだと思いたい。
「みなさんお揃いで何を話してるんです?」
 そう現れたのは海野さんだ。上着を羽織った彼女の後ろで佐藤先生がマグカップを持っているのを見ると休憩でもするところだったんだろうか。
「今日、可愛い女の子が来てたねって話。遼ちゃんは何してるの?」
「私は菜乃花と談話室で寝てしまって……佐藤さんに今起こされました」
「サボりかよ」
「朝からオダサクさんと坂口さんと国木田さんで雪合戦してた貴方に言われたくはないですね。オダサクさんと坂口さんが池に落ちたらしいですが、大丈夫ですか?」
 さらりとそう告げた海野さんに、按司くんがさっと目をそらした。
「なんで知ってるんだ。国木田サンと証拠隠滅したのに」
「だから医務室が混み合ってたのか」
 やれやれと息を吐いてやって来たのは志賀先生と棋院くんだ。
「按司、遊ぶのはいいけど、風邪をひかせるのはちょっと」
「あれは事故だ。雪で何処からか池かわからなかった」
「嘘だろ」
 そう指摘した棋院くんに按司くんはさっとまた目をそらした。インクで治ると思ったんだよ、とぼやいた彼に、中野先生が苦笑いする。
「さすがに風邪は治らないのかぁ」
「ある程度以上は治るけど、ある程度以下なら治らないよな、あのインク」
「ああ、やっぱりそうなんですか」
 志賀先生の言葉に佐藤先生が納得する。風邪はひかないようにしないと、という文豪達の総意を聞いて按司くんは棋院くんをみた。
「そういやワガママ嬢が来てたぞ」
「雪乃が?」
「お前目当てできてた。楽器を背負ってたし、そういうことだろ」
 そういった按司くんに棋院くんが少し考えるそぶりをした。そして、あぁ、と何かに納得する。
「だから最近よく母さん達から連絡が来てたのか」
「家族からの手紙、読んでないのか?」
「えぇ、最近忙しくて……あぁ、そっか、もう二月だもんなぁ」
 困ったような表情である。
「何かあるのか?」
「三月にバイオリンの発表会があるんですよ。多分その伴奏をしろってことだと思います」
「提琴?」
「妹が奏者なんです。俺は添え物」
「添え物? 君がかい?」
 徳田先生が不思議そうにみた。たしかに、棋院くんのピアノ演奏は添え物だとは思わない。
「そうは聞こえないけど」
「妹の演奏を聴けばわかりますよ。本来なら俺なんかが伴奏してもいけないのに」
 按司くんが静かに目を細めた。でも、それは一瞬ですぐに呆れたような表情をしたのだけれど。
「――でも、今年は出ないんだろ」
「そのつもりなんだけど、ね」
「優しいお兄ちゃんをやめたらどうだ?」
「俺は優しいお兄ちゃんなんかじゃないさ」
 自嘲したように笑った彼は珍しい。按司くんが何かいいかけたが、廊下の奥を見て――「じゃあ俺はここで」と逃げるように歩き出す。どうしたんだろうか、とそちらを見れば菜乃花がブランケットを引きずってやってきた。目をこすった菜乃花に、ああ、なるほど、逃げたな、と僕は察する。菜乃花は寝ぐずり、というか、目が覚めた時に誰もいないと泣いてしまう癖があるからだ。ポロポロと泣き出した菜乃花が大きな泣き声を上げるのはすぐのことで――慌てた海野さんが駆け寄るのと、棋院くんが慣れたように菜乃花をあやしたのもすぐだ。その様子を見た立川さんがポツリと呟く。
「優しいお兄ちゃんっぽい」
 その言葉に僕もこっそりと同意した。今まで僕は彼と話してきたけれども、彼は優しい青年である。

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