六
――君よりも、妹の方が。
それは、呪縛のような言葉だ。違う、違う、違う、と否定してもその言葉は振り切ることなんて出来ない。
――君は伴奏係。
違う。俺がピアノを始めた理由はそうじゃない。
――君の才能は妹が持って行ってしまった。
それは、否定なんか出来ない。いくら努力したって俺は妹を超えられないのだ。周りは妹を才能があると賞賛するが、俺の腕はひどいのだと笑った。
――君は、引き立て役だね。
違う、と声を上げて言いたかった。でも、妹のいる手前で、そんなことは言えなくて。楽しみにする両親に、祖父母に、妹に、ただ笑って奏で続けるのだ。音楽をインプットされればその通りに鳴るオーディオのように。
ピタリ、と音を止める。止める気はなかったが、体がもうイヤだと叫んだらしい。俺の様子に気づいた妹が音を止めて俺を見た。
お兄ちゃん? と首をかしげた妹は知らない。俺が醜い感情を持っているなんて露わにも思っていない。
俺は、我慢しなければならい。兄として。
俺は、喜ばなければならない。妹の才能を。
配慮しなければならない。
祝福しなければならない。
そう、ずっとかんがえていた。でも、もう無理だった。どうにかしそうだったのだ。だから、去年で終わりだと言っていたのに。去年を我慢すれば終わりだと思っていたのに。
俺がやりたいことはこうじゃなかった。妹のための伴奏ではない。
妹がいなければ?
――違う、そんなことを考えてはいけない。妹は大切な家族だ。
妹が、バイオリンを奏でていなければ。
――恐らく、俺はピアノを弾き続けていたんだろう。ピアノを弾いて、と強請る妹にイヤな顔をせず、昔のように。
妹に、才能さえなければ。
――それも、違うとはわかっている。神様は妹に才能を与える代わりに、いくつかを奪っている。それもわかっているのである。でも、一緒に奏でると感じる「差」に、俺の中でふつふつと醜い感情がわき上がるのである。
俺は、この子兄で、下手な伴奏者で、そんなものにはなりたくなくて、そんな評価もされたくなくて。それでも、こうやって、奏でるのは。
「――もう、頼むよ」
つぶやいた言葉に、妹は俺を心配そうに見る。その目さえも、煩わしく思えて目を閉じた。そうして怒りをそらすようにため息をつく。
「もう、頼むよ、俺にピアノを弾かせないでくれ」
俺の言葉に、妹が「どうして?」と尋ねるのが聞こえる。俺は彼女を見ることも泣く、ただ鍵盤を見つめた。これから俺は最低なことを言うのだろう。そう頭の隅にある冷静な部分が告げた。
「どうして? じゃない、俺はお前の引き立て役じゃないんだ」
「なにいって、」
「もう、やめてくれ。いっただろう? もう、去年で終わりだと」
「――でも、」
「でも、じゃないんだ」
俺は立ち上がって、ただただ目を見開いている彼女を見下ろした。
「俺は、お前のための伴奏者なんかじゃないんだ。俺は、こんなことのためにピアノを始めたんじゃないんだよ。だから、もう、終わり。いいね?」
そう笑いながら妹に告げて、楽譜を整える。それが今できる妹への気遣いだった。妹は何も言わない。目に涙をためて僕を見上げた。何か紡ごうとしているけれど、それを聞くことも今の状態じゃ出来そうにもない。
――そして、俺は逃げ出すようにその部屋を後にするのだ。妹をひとり置いて、冬の寒さを身に感じながら。
俺は優しい兄なんかじゃない。ただの、醜い嫉妬心でまみれた、汚い兄だ。
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