一
例えば夜中。本棚と本棚の間から、人の手のようなものや、昆虫の足のようなものが現れて、消える。背筋が凍えるような嫌な気配に振り返れば、笠をかぶった人物がジッと見ており、目を離せば消える。
最近囁かれる図書館の怪談である。図書館の一般職員や利用客の間で流行っているその話に、ずっと図書館にいるはずの僕らは首をかしげるしかなかった。
この図書館にはたしかに七不思議がある。そのうち五つは最近追加修正されたものだ。
例えば、夜中に人がいない図書館からピアノの音がする、とか、あの世に通じる不思議な扉、とか、知らない間に出来上がる奇妙な落書きに奇妙な壁や床のシミ、そしていきなり現れる男。話を聞いた自然派の三人がそれを調べて回ったが、どうやら特務司書達の話に尾びれがついて回っていたようで。
一つ目の正体は棋院くんがピアノの練習をする音。本を読んで感極まった彼がピアノを弾きたくなり、ピアノを弾いていたらしい。二つ目は海野さんの扉。確かに本の中――というよりは手紙の中の銀河鉄道につながったのだからそれも正しい。奇妙な落書きは菜乃花の落書きであるし、床や壁のしみは誰かが――だいたい立川さんのとこの誰か――がつける。急に現れる男は多分按司くんだろう。彼は本当に神出鬼没で坂口先生が忍者ではないかと疑っていた。まぁ、この殆どの噂話にには当人たちは気をつけるしか言えなかったようで苦笑いしていたと取材内容をまとめた機関誌には乗っていたけれど。
――と、いうように、七不思議の殆どが新しくやって来た司書たちの行動におびれはびれがついたものなのだ。この流れでいくと、恐らくは今回もそうなんだろう。
謎を解き明かしたいとまたいつもの三人に新しくやってきた小泉八雲先生や子供三人組が加わり――今日もバタバタと元気に走り回っている。
まぁ、七不思議の話は置いておいて。今はある意味非常事態だった。館長に言われて僕は特務司書の四人を呼んだのだけれど、館長にその前に朝はなかった物が張り付いていた。
「館長、その頬の傷テープどうしたんですか?」
「いや、中庭を歩いていたら木の枝か何かで切ってしまってな」
僕の言葉に館長は苦笑いして頭をかいた。立川さんが首を傾げる。
「あそこ、そんな鋭利な枝がありましたっけ?」
「それは森先生にも言われたよ」
「ああ、でも棋院もこの前どっかを切ってたな、庭で」
「腕をね。かすり傷だけど」
そう肩を竦めた棋院くんは館長を見た。
「で、館長、何かありましたか?」
「あぁ、本題に入ろう」
館長が僕を見て、僕は一冊の本を取り出す。その本の表紙は二つに割かれるように、いや、本に何かを突き刺したようにパックリと穴が空いていて酷い有様だ。タイトルなんでもう見えない。それを見た海野さんが口を開く。
「刃物ですね」
僕はその発言に目を瞬いた。見ただけでわかる物なんだろうか、と僕は本を見る。……前言撤回。これは誰から見ても刃物が原因だとわかる。
「恐らくは。利用客のイタズラなのか、どうなのかはわからない。ただ、イタズラであるのなら同じことが続いてしまう可能性はある」
館長は肯定した上でそう告げた。海野さんが少し眉間に皺を寄せた。
「最近ですか?」
「あぁ、恐らくは」
「でも、刃物なんて持ち込めるんですか? あ、カッターとかなら筆記用具の中にあるのか」
立川さんは自分の言葉に納得したように手を叩いた。
「いや、カッターじゃないぞ、この幅的に。ナイフとか刀とかそういう――」
按司くんのその言葉に僕らは海野さんを見た。海野さんは目を伏せる。
「まぁ、刀を持ってるのは私と森先生だけですし、森先生が文豪であることを考えると、私が有力候補ですね」
「いや、そんなことを言うつもりは」
そう首を振った棋院くんに、彼女はため息をついた。立川さんが口を開く。
「でも、遼ちゃん、それ、抜けないんでしょ?」
「はい」
彼女はそう頷いて刀を抜く仕草をする。ガチャリとも音がしないそれだ。試しに按司くんが抜こうとしたけれども、接着剤でくっつけたように抜けないそれである。これならまだ森先生の刀の方が抜きやすそうだ。
「お前じゃないな」
「ええ、でも――」
そこで彼女は言葉を途切らせる。でも? と首を傾げた僕らに、彼女は少し考えて、また口を開く。
「いいえ、なんでもありません」
「本当に?」
「……今日は実は短刀二つ持ってるんですけど、抜けないので同じだなって」
淡々とそう告げた彼女に僕らは彼女を見た。懐から短刀を二振取り出した海野さんに、僕は目を瞬く。どこから取り出したんだろう。銃刀法違反、と呟いた立川さんに、彼女は一つため息をついて、館長と棋院くんを見た。
「館長、棋院、預かっておいてくれませんか」
「預かる? 刀を?」
目をパチリと瞬いた棋院くんは刀を見つめた。僕らもつられて刀を見る。双方共に黒い鞘に金色の柄、そして白い組紐が特徴的な刀だ。それぞれには家紋のようながはいっているけれど、模様はみたことがないものだった。棋院くんは困ったような顔で彼女を見る。
「海野さんの大切なモノだろう?」
「ええ、まあ、でも、今の間だけです」
「今の間?」
「私の誕生日までに怪談話が片付けばまた回収しますよ」
彼女はそう言って目を伏せる。
「怪談話?」
「今、流行っているでしょう? 刀は魔除けだとされることもありますから、お守りです」
彼女は笑みを浮かべて、棋院くんと館長にその刀を押しつける。二人は咄嗟のことで受け取った。館長はため息をついて、海野さんをみた。
「貴方がそう言うなら、預かっておくよ。悪戯の犯人も、刀を見て驚くかもしれない」
館長の言葉に彼女はうなずいた。
「そうであることを願います」
本当に不思議な子である。 僕らは顔を見合わせた。海野さんは満足したように、クスクスと笑った。
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