二
菜乃花の日記を確認していると、知らない間に登場人物が増えていた。今やもう赤ペン先生というか菜乃花の保護者が板について来ている高村先生が「誰だい?」と尋ねると、三人は「友達!」とだけ答える。一緒に遊んだ、といっていたけれど、僕がお昼頃に見かけたのは三人で遊んでいる姿である。……今背筋がヒヤッとしたのは冷房が効いていたからと思いたい。
「ねえ、佐藤先生。遼ちゃんの家族の話って聞いたことある?」
海野さんが帰ったあと、立川さんはそう尋ねた。もしかしたら家で誕生日を祝うのでは、と思ったらしい。佐藤先生は「兄がいるとは聞いた」と答える。
「お兄さん?」
「ああ、でも、ずっと会っていないらしい。啄木に似てるって聞いたが」
「ああ、だから遼ちゃん啄木さんにトゲが多いのか」
納得したような立川さんの言葉に若山先生が否定する。
「いや、それは啄木が司書の刀を売ろうとしたからだ」
その言葉に、視線が啄木先生の方に向いた。なにしてるんだこの人は。いや、あれはどれくらいの価値になるのかとおもって、とぼやいた彼を立川さんがなんとも言えない顔でみる。なんとしてでも話をそらしたいらしい啄木先生が口を開いた。
「でも、なんでずっと会ってねぇんだ。今の時代、会おうと思えば会えるし、連絡も取りやすいだろ」
「ソレは確かに言えてるね。家出とかかな」
僕の言葉に、按司くんがやれやれという風に僕を見た。なんだろう? と首をかしげれば、彼は口を開く。
「東さん、履歴書見たんだろ。何か知ってるんじゃないか?」
「だから、政府に回収されたんだって」
「政府に?」
「ああ、先生達は知りませんよね。彼女、政府の推薦できたんですよ」
その言葉に、周りはしんとなる。多喜二先生が少し低い声で尋ねた。
「監視か?」
「アイツはそんな奴じゃない」
佐藤先生は少し怒ったような声色でそう告げると左右に首を振った。僕も違うと思いますよ、と彼に告げる。彼は「そうだな、悪い、考えすぎた」と謝った。佐藤先生が困ったような顔をする。
「いや、悪い、俺も流せたら良かったんだが――」
不意に食堂の扉がノックされる音がした。聞き間違いだろうか。段々と静寂に包まれる周りにノック音がもう一度響く。僕らは顔を見合わせた。ぎぃっと音を立てて扉が開くものだから僕らは息を飲む。まさか最近噂の怪異だろうか。
――そんな心配をよそに、開いた扉の先から現れたのは海野さんだった。彼女が夜に図書館にいるのは珍しい。それは他の文豪達もそう思ったんだろう。先ほどの勘違いもあってか、多く集まった視線に彼女は緊張したように固まった。それを見た佐藤先生が苦笑いして彼女に近づく。文豪達の視線を遮るようにたった彼の後ろ姿で彼女は見えなくなった。
「珍しいなぁ、海野さんがこの時間にここにくるのは」
「あの扉できたのかな?」
「あの扉……噂の扉か?」
「ああ、そういや先生は知りませんよね」
そんなことを僕らが話していれば、不意に佐藤先生が振り返った。
「若山さん、月見酒できるらしいがどうする?」
「もちろん行く!」
そう勢いよく立ち上がった若山先生に啄木先生がうらやましげに見た。
「ぼっさん、ずるいぞ!」
「へへん、遼は俺達の司書だからな」
「おいおい、牧水だけか?」
「そんなはずないでしょう、森先生も菊池さんもです」
そう佐藤先生の後ろから姿を現した彼女に、森先生は「喜んで行こう」とうなずき、菊池先生も「俺も喜んで」と立ち上がる。僕らはソレをうらやましげに見るしかない。その視線に気づいた彼女は困ったように眉尻を下げた。
「来たい人は来ても良いですけど、前みたいに羽目を外さないでくださいね」
その言葉に図書館の食堂は大いに湧いた。結局のところ、みんなあの扉の不思議体験をしたかったらしい。佐藤先生は彼女を見下ろす。
「前の桜の木の下か?」
「いいえ、私の家です」
「――家?」
「はい、今日はいつもよりも人が少ないので。ほとんど出払っているんですよ」
「おい、そんな場所に男をおいそれと招くんじゃない」
そう釘を刺した佐藤先生に彼女は首をかしげた。一拍おいて、「男はオオカミ」とどこかずれた納得をする。
「今日はほとんど出払ってるってことはいつもは誰か大勢がいるのか」
「ええ、家族みたいな人が」
「家族みたいな人? 家族はいないの?」
立川さんの言葉に海野さんはさも当たり前のような顔で口を開いた。
「ええ、私は施設出身なので家族はいないんですよね」
さらりと告げた海野さん、であるけれど、僕らは固まるしかない。どうかしましたか?と首をかしげた彼女を驚きの表情を隠さないまま佐藤先生がみおろした。
「兄はどうしたんだ?」
「ああ、兄はいますけど、いません」
「日本語がおかしいぞ」
菊池先生のつっこみに、海野さんは菊池先生と佐藤先生を見た。
「失踪しました、というか」
そう首をかしげた彼女に佐藤先生が無言で手をつかむ。困惑した彼女を僕らの方に連れてきた彼は、同じく無言で彼女を空いているテーブルの椅子に座らせる。その前に腰掛けた彼は机に両肘を立てて寄りかかった。なんともないような顔をして森先生が彼女の左側を陣取り、若山先生が右側を陣取る。菊池先生がやれやれという風に肩をすくめた。
「過保護な連中だなぁ」
そういいつつも彼は佐藤先生の隣に座る。それを芥川先生が面白そうに見た。海野さんは「月見酒は?」と首をかしげる。
「それは後だ、あと。それよりも、話してもらおうか」
その言葉に、またですか、と彼女は呆れる。なるほど、彼らはこうやって彼女の情報を集めているらしい。その様子はまるで刑事が容疑者を取り調べしているようである。
「で、今回は何を話せばいいんですか?」
「兄が失踪したと言ったが、ソレはどういう意味だ?」
森先生が躊躇なくそう突っ込んだ。
「そのままの意味です。私が十歳のときに失踪しました」
「十歳?」
「はい」
うなずいた彼女は面倒くさそうである。もう少し深刻そうな顔をしても良いのでは、と思う。按司くんが口を開く。
「もう鬼籍入りしてんじゃねえか」
「鬼籍? 行方不明じゃなくて?」
立川さんの問いに、按司くんが補足する。
「人間、行方不明になって七年たったら処理手続き上で死ぬんだよ」
「ええ、按司の言うとおりです。なので兄は世間的には死亡扱いになります。だから、いるけどいないんですよね」
「親は?」
「親は七歳のころにいなくなりました」
隣のテーブルにすわっていた乱歩先生が興味深々という風に尋ねる。
「いなくなる、ということは失踪を?」
「ええ、そうです。母親は七年たったので死亡扱いにされてますね。父親は元々いないもの扱いですが」
淡々と答える海野さんにこちらが困ってしまうくらいだ。まるで小説の登場人物でアル。事実は小説よりも奇なり、というけれど身近でこんなことが起こるとは思いもしなかった。芥川先生が彼女を見る。
「何があったんだい、君の家系は」
「さあ、でも、私も何時かそうなるかもしれませんよ」
彼女はそう言ってつまらなさそうに頬杖をついた。私の家族はそういう運命なんです、だなんて諦めたようにつげた彼女は年相応には見えない。
「失踪宣言か、俺の前で。仕事もあるんだ、俺たちがそうさせると思うのか?」
佐藤先生の言葉に、彼女は目を伏せた。そうですね、とうなずいた彼女は口を開く。
「ここの人達は止めるでしょうね」
「当たり前だろう」
言葉に引っかかりを覚えて彼女に僕は尋ねる。
「一緒に住んでいる『家族みたいな人』はとめないの?」
「とめませんね、恐らくは。彼らは知ってるから」
「何を?」
「私は兄が失踪して、施設で過ごして、今住んでいる場所で彼らと暮らすようになりました。だから、彼らは色々しってるんです。だから、止めません」
彼女の言葉に四人の文豪は口を閉ざす、僕らも閉ざす。僕らは彼女のことを何も知らない。それは本当だ。でも、知っているからと言ってソレを止めない理由にはならないはずである。佐藤先生が眉間をよせる。
「そうか、アンタのことをよく知らないから俺たちは引き留めるのか」
「そうですね。逆に、どうして貴方は引き留めるんですか?」
海野さんの問いに彼は眉間に皺を寄せて告げる。
「……あたりまえだろう、危なすぎるし、命は粗末にするものじゃない」
「それはわかります」
「じゃあなんで」
「優しい貴方に一つ、教えるのならば」
彼女は穏やかな笑みを浮かべる。
「失踪すれば、私は十四年間恋い焦がれていた家族に会えるんですよ。死後の世界とか、 そう言う話ではなく、本当に会えるんです」
その言葉に、僕らは動きを止める。彼女は本当にそう信じているのだろう。変な宗教か、と小さく按司君がぼやく。佐藤先生が目を見開いたのが見えた。彼女は言葉を続ける。
「変な宗教みたいだって思いました? でもね、それが事実なんですよ」
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