「お〜、こがなところにおったがか?」
 静まりかえった食堂で、そんな雰囲気を切り裂くような陽気な声が食堂に響いた。扉から顔をのぞかせたのは青年だ。着流しのような甚兵衛のようなものを着た青年は人なつっこい笑みを浮かべている。だれだろう、とおもっていれば、海野さんが口を開いた。
「むっちゃん、なんできたの?」
「誰かさんが客を連れてくるとゆうたがやき、いつまでたっても来ないがで」
「海野さんの知り合い?」
 海野さんの砕けた物言いが珍しくて、僕はそう尋ねる。彼は二カッと笑った。
「兄みたいなもんじゃ」
「家族みたいな人のひとりです」
 彼女はため息をついてそう告げる。彼は興味津々、というように僕らを見渡して、彼女のそばによるとぐしゃぐしゃと頭を撫でる。
「佐藤達を、あんまり困らせちゃあいかんぜよ」
「困らせてないよ」
「ワシには困らしちゅうようにしかみえんけんど」
 先ほどとは打って変わって海野さんは子供っぽい拗ねたような表情をした。青年は苦笑いして佐藤先生を見る。
「いつも世話になっちょる」
「いや……」
 佐藤先生はそう言って首を振った。そして、眉間に皺を寄せたまま彼を見た。
「アンタは本当に止めないのか」
「なにを?」
「遼がいつか失踪しようとしたときだ」
 その言葉に彼は海野さんを見下ろす。
「主、言うたがか?」
「ちょっとだけ」
 相変わらず少し拗ねているような海野さんは我関せずという風に告げる。
「ちょっとって、どんぐらいやが」
「失踪したら、家族に会えるってぐらい」
 彼女の言葉に彼はやれやれという風に佐藤さんを見た。
「……主の戯れ言やき、おんしはきにせんで」
 そう苦笑いをした彼は「折角の料理がさめるき、はよう行くぜよ」と彼女を立ち上がらせる。そして、佐藤先生達も見下ろす。
「ほら、おんしらも。折角、月が綺麗なんじゃ、ワシらだけやったらもったいないき」
「いや、そんな気分じゃ――」
 佐藤先生はすっかり気分を害してしまったんだろう。そう断ろうとした佐藤先生の腕を彼は掴む。
「主のワガママ、きいとうせ」
 あまりにまっすぐに彼がいうからだろうか。佐藤先生は深く深くため息をついて、口を開いた。
「わかった、行けば良いんだろう」
「おん、やっぱしおんしは良い奴ちゃ」
 人なつっこい笑みを浮かべた彼は、そのまま海野さんと佐藤先生の手を引いていく。
「菊池もぼっさんも、森せんせもはよう!」
「おいおい、俺たちは呼び捨てかアイツ」
 やれやれという風に三人は席を立つ。海野さんを連れて扉を出た彼はまたひょこっと顔を覗かせた。
「ほかのせんせも、まっちょるぜよ!」
 カラカラと笑った彼は今度こそ廊下に消える。なんというか、底なしに明るい人である。その様子を見ていた谷崎先生が「ほう」と何か感心したように扉の先を見つめた。
「海野さんは御寮人なのでしょうか」
「御寮人?」
「貴人の娘や妻のことだ。そういえば、先ほどの青年は彼女を『主』とよんでいたね」
 荷風先生の言葉に、啄木先生が口を開く。
「ってことは、良いところのでなのかアイツ」
「でも、良いところの家族が失踪したら新聞騒ぎじゃないかなぁ」
 立川さんの言葉は実に的を得ていた。

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