九
十七時。帝国図書館が閉館する時間であり、海野さんが帰宅する時間だ。いつもより少し早い時間に閉まった図書館は静かである。そんな中僕らはバタバタと準備をしていた。なんやかんや言いつつもこういうことには皆協力的なのである。いや、美味しいごちそうやお酒が飲めるからかもしれないけども、さて、佐藤先生達はきちんと引き止めてくれているだろうか。まぁ、そんな心配は杞憂だったらしい。十八時ちょうどに食堂をノックする音が聞こえた。カチャリと扉を開けたのは海野さんである。その姿が見えた瞬間、僕らはクラッカーを鳴らした。
「誕生日おめでとう!」
パンッというクラッカーの音とそんな声に彼女は目をまん丸くして驚いて見せる。エスコートしてきていた佐藤先生がその様子にクスリと笑った。後ろにいた彼女の会派の先生達も笑う。
「一日早いけどな」
「さてさて、今日の主役のお通りだ」
されるがままに連れられて来る彼女に、周りはおめでとうと声をかける。ずっと驚いたような表情をしていた彼女は、豪華な料理の前に立った瞬間、ふにゃりと顔を崩した。心底から嬉しいというように、ありがとうございます、と告げた彼女は大人のそれというよりは子供の表情である。僕らはその表情を見て驚いたけども、彼女の会派の四人は慣れているらしい。ぐしゃぐしゃと彼女の頭を撫でた。
「そうしていると、海野さんも年相応に見えるね」
そう言ったのは棋院くんの隣にいる芥川先生である。菊池先生が「だろう?」だなんて苦笑いする。お互いにあまり関わりがないのだろう。海野さんは芥川先生をみて、苦笑いをしたけれど。彼が何かを聞こうとする前に、ずいっとやって来たのは島崎藤村先生である。それを見て芥川先生は隠すことなく顔をしかめたのだけど、藤村先生は何も思っていないらしい。
「ねぇ、海野さん、話を聞いても良いかな?」
「とーそん、だめー! さきにろうそくフーってやるの!」
取材を始めようとした藤村先生を菜乃花が制する。藤村先生が菜乃花を見下ろす。
「乾杯は良いの?」
「かんぱいして、ろうそくフーってする! お話はその後!」
「……そうだね。海野さんは今日は帰るわけじゃなさそうだし」
そう言った藤村先生は珍しく引き下がる。近くにやって来た館長がグラスに飲み物を注ぎ、志賀先生がケーキを持ってきた。可愛らしいデコレーションがついたチョコレートケーキだ。何あれ可愛いと立川さんが写真を撮る音が聞こえる。佐藤先生がそれを見て口を開く。
「高村か」
「あはは、バレちゃったか」
「よこのウサちゃんは菜乃花がつくったのよ!」
そう自信満々に告げた菜乃花に、僕らはケーキの側面を見る。本人談・うさぎのクッキー、僕らが判断するにエイリアンのクッキーがそこには鎮座していた。「あれがウサギか……?」と坂口先生と按司君がこぼしたのが聞こえた。海野さんはそれにクスリと笑う。
「可愛い」
――あれのどこが。
僕らの内心はともかく、海野さんは菜乃花の頭を撫でた。館長がグラスを彼女に渡し、僕らも近くにあったグラスを手に取る。
「さて、そろそろ乾杯しよう。――と、ここは初期文豪の役割だな」
ケラケラと笑いながら、館長はポンッと佐藤先生の肩を叩いた。佐藤先生はぎょっとしたように見る。今までそんな前振りはなかったからだ。黙った周りに、佐藤先生はコホンと咳払いを一つしてグラスを持った。
「司書が――」
「よそよそしいぞー」
完璧なヤジだ。牧水先生の言葉である。それを少し恨めしそうに見た佐藤先生はまた口をひらく。
「遼が生まれてきてくれたことに感謝を表して――」
彼がグラスを持ち上げる。彼女は目を伏せてグラスを掲げた。
「この日を祝っていただけることに敬愛を表して」
彼女の言葉に佐藤先生は笑って、大きな声を上げた。
「乾杯」
その声に、グラスとグラスがかち合う音がする。会派のメンバーとグラスを合わせた海野さんに僕らも混じってグラスをぶつける。一気に酒を煽ったらしい牧水先生が笑った。
「宴だ、宴。遼ものめのめ!」
「つぎはね! ケーキにフーってするの!」
菜乃花の言葉に、はいはいと苦笑いして志賀先生が消灯する。灯された蝋燭に彼女はふっと息を吹きかけた。その瞬間、桜の香りが漂う。電気がつけば、足下に数枚の花びらが落ちていた。すぐに消えてしまったけれど。
「海野さん、これ」
棋院くんがそう言って丁寧に包装されたプレゼントを海野さんの渡す。
「これは?」
「俺たちと、先生達からのプレゼント」
その言葉に彼女は目を瞬いて、プレゼントを見下ろした。
「開けても?」
「ああ、遼のために作ったんだ」
菊池先生が上機嫌にそう告げる。丁寧に包装を外した彼女はそこにあった本を見て――正しくは原稿用紙の束をみて目を見開いた。
「本来なら製本まで持って行きたかったんだが、時間がなくてな」
そう、本来ならば製本する予定だったのだ。しかし突拍子であったために、スケジュールにめどが立たずただの原稿用紙の束になったわけだ。
「――いえ」
彼女は大切そうにその本を見る。
「こっちの方が嬉しいです、ありがとうございます」
そうふかぶかとお辞儀をした彼女は本当に嬉しそうにそれを抱えた。
62
prev|INDEX|next